コラム

吉武輝子のメッセージ JAの女性たちへ

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【吉武輝子】
病気はするけれど病人にはならない

 自慢ではないが、押しも押されぬ病気のデパートである。膠原病(免疫疾患)の類縁シ...

 自慢ではないが、押しも押されぬ病気のデパートである。膠原病(免疫疾患)の類縁シェーグレン症候群と病名を特定されたのが20年前。シェーグレン症候群は端的に言えば涙とか唾液とか体のさまざまな機能を円滑に動かしてくれている体液の自力生産力が低下、徐々に体が砂漠化していくまことに厄介な病気である。
 ところで膠原病の90%は女性である。まだ病因が判明していないので国家指定の難病の1つになっているが、ストレスが病因というのが昨今は定説になっている。ところで近代医学は細分化が極端に進んでいるので、膠原病のように多岐にわたる病気はとかく、病名の特定が遅れ、病院巡礼を余儀なくされる。もっとも膠原病という病名が明確になったのはまだ4分の1世紀前。
 病名が特定されるまで、わたくしも病院巡礼の1人だった。涙液が出ないので角膜に穴があき、激痛のあとぱったり見えなくなったりする。当然眼科に飛び込み、「角膜周辺水泡症」との診断の上で治療を受ける。節々の痛みはリューマチ科。唾液不足で嚥下に難があるので、耳鼻咽喉科に言ったら、「更年期障害でしょう」とのたまわった。病因に見当がつかないと全て女の生理のせいにされてしまうところに、女のつらさがある。
 あるとき、瞳の真中に水泡ができた。10歳は先輩の女性の眼科医が「ヘルペスかもしれません」と総合病院の眼科部長に紹介状を書いてくれた。患者を抱え込まない懐の深い医師の存在はありがたい。
 総合病院の眼科部長が検査の結果、病名を特定してくれたが、病気の説明は時間的に皆無だった。初めて聞いた病名、正体が知れないだけにわたくしは不安と恐怖心におののいていた。気が付いたら30年来の主治医の診察室のドアーを押していた。2時間近くかけて懇切丁寧にシェーグレン症候群の正体について説明してくれた。
 無知から解放されたことで不安、恐怖心にとって代わって静かな闘志。病気を手なずけながらかっこよく生きる第一歩を踏み出し始めたのである。
 集中的に肺の粘膜が狙われ、右肺の三室を切除。左肺の半分が肺気腫。おかげで常時低酸素で普通の人が10分でいかれる最寄駅まで30分はかかる。3年まえに、大腸がんの手術をした。今年は肺炎と膠原病で高熱を発し、まる2月入院をした。「命を休ませてください」と医師に言われ、「はい」と神妙に答えて退院したが、わたくしの夢は無傷で平和憲法を手渡すこと。その夢が押し潰されそうな政治状況にカッときて、参議院選には日本列島を駈けめぐった。おかげで肺炎と膠原病を再発、まる3週間強制入院の羽目となった。6日、7日は大分での講演の約束があった。とめても無駄だと知っている医師は、酸素ボンベ持参を条件に許可してくれた。
 700人の人たちが、参加してくれた。酸素ボンベを引きずりながら舞台せましと歩き回り、腹式呼吸で朗々たる声でまる1時間半。「病気はするけれど病人にはならない。それは人の約束事に縛られながら、かっこよく約束事を果たしていくこと。呼んでくださってありがとう」と頭を下げたら嵐のような拍手がまきあがった。人は人によって支えられているんだなと頬に涙がつつと走った。

(2007.08.28)