コラム

吉武輝子のメッセージ JAの女性たちへ

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【吉武輝子】
孤独死は自然死

 3歳年下の35年来の友人が急死した。ちなみにわたくしは昨年の7月に喜壽を迎えて...

 3歳年下の35年来の友人が急死した。ちなみにわたくしは昨年の7月に喜壽を迎えている。63歳から俳句を始めたが、喜寿の祝いを迎えたとき、口をついてでたのが

 喜寿迎え実りの秋となりにけり

 の一句である。句会に出したら花丸をいただいてしまつた。喜寿というと木枯らしがなるとか落ち葉がどうしたとか、人生先細りの句が多い中で、むしろこれからが人生実りの時だという喜ばしさを歌った句は類想、類句がないというほめことばを主宰から頂戴してしまった。俗世界から身軽になった分、これまで貯め込んだ人持ちの財産を存分に生かして、自分のためではなく人のために生きることが出来る晩年は最高との思いが強かったからである。
 その最高の晩年をどっぷりと生きる機会を奪われてしまった年下の友人の死はズシンと身に応えた。おまけに病死ではなく溺死だった。
 ちょうど遅まきの新年宴会が彼女の自宅で開かれ、孫を入れて7人の家族が居間でわいわいと騒いでいた。昨年の暮れまで1ヶ月、彼女は糖尿病で入院していた。急激に痩せたので心配していたらかなり重度の糖尿病だった。
 この日は退院祝いもかねての集まりだった。途中で友人がお風呂に入りに行った。夫妻2人の家だからさして広くはない。風呂場は居間と一部屋隔てたところにあった。
 「おばあちゃま、ちょっと長風呂ね」とお孫さんがお風呂場をのぞきに行ったらすでに溺死していた。医者の診断の結果は純粋な溺死。足を長々のタイプのバスで、ずるっとからだが滑ったとき支える筋力がないために、そのまま顔ぐるみお湯につかってしまったのが死因だったのだとか。
 「7人も家族がいながら孤独死させちゃうなんて」と娘さんが受話器の向こうで泣きむせんだが、30年近く呼吸器障害で今は酸素ボンベのお世話になっているわたくしは、孤独死は自然死と思い定めて生きている。
 わたくしには再婚した2回り年下の夫がいる。「何かがあったときに安心ね」と羨ましがられるときがあるが、彼は早寝癖で九時過ぎには2階にある彼の寝室に引きこもってしまう。わたくしは夜の2時近くまで原稿を書いたり、だらだらとテレビを見たりした後でお風呂に入り、下にある寝室で猫と一緒に寝る。
 屈強の壮年期の家族がいても、お風呂に入ったとき呼吸困難を起こしたときは、大声を上げて助けを求めるすべもなく、年下の友人と同じように孤独死を遂げざるをえない。
 最近メディアはやたらに孤独死が悲劇であるようにあおり立てている。しかし何十人という家族とともに暮らしていても、みんなでワンツウスリーと一緒に死ねるわけでもなく、誰もがひとりで死んでいく、これが人間という存在の宿命である。何日も発見されない場合は孤立死。これは人間貧乏の結果である。孤独死と孤立死を混同して、子供を羽交い締めにする親も増えている。孤独死を人の宿命ととらえたとき孤独な人間という存在にやさしくなれるのではないだろうか。孤独死は自然死、孤立死は人間貧乏の結果と、しかと見極められれば、「喜寿迎え実りの秋となりにけり」の最高の晩年を我がものに出来るとおぼしめしあれ。

(2009.03.03)