提言

JAの現場から

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危機の経験を活かす

沖縄県農業協同組合
農業事業本部参事(耕種担当) 普天間 朝重

 昨年来、世界経済が急激に悪化するなかで、わが国経済も大きな打撃を受け、雇用が悪化し、GDP伸び率も戦後最悪のマイナス幅を示すなど、国民に動揺が広がっている。こうした状況をどう捉えるべきなのだろうか。春が来るまで冬の間冬眠するハブのように、景気が回復するまでひたすら耐え忍ぶのだろうか。

◆ものの見方とだまし絵

沖縄県農業協同組合 普天間朝重参事 昨年来、世界経済が急激に悪化するなかで、わが国経済も大きな打撃を受け、雇用が悪化し、GDP伸び率も戦後最悪のマイナス幅を示すなど、国民に動揺が広がっている。こうした状況をどう捉えるべきなのだろうか。春が来るまで冬の間冬眠するハブのように、景気が回復するまでひたすら耐え忍ぶのだろうか。
 こういう話がある。 歴史的にバブルが崩壊した国はその後に世界のリーダーになっているという。オランダはチューリップバブルが起き、崩壊したが、その後、先行するスペイン、ポルトガルに取って代わって世界に君臨することになる。次にバブルが発生したのがイギリス。南海株式会社の株が高騰し、バブルが発生したが、その崩壊後イギリスはオランダに代わって世界を支配する。その次はアメリカ。ニューヨーク株式市場の高騰と一九二九年の暴落。その後アメリカはイギリスに代わって超大国となる。
 なぜ、こういうことが起きるのだろうか。結局、国民というのは猛烈な危機に襲われたとき、生き残りを賭けてありとあらゆる工夫をし、他の国では見られないようなすさまじい改革を成し遂げていくからではないだろうか。
 大切なのは、ものの見方・考え方である。
 米国の心理学者エドワード・ボーリングの「だまし絵」は、最初は若い女性の絵が描かれているように見えるが、見方を変えると老女にも見えるというもので、物事を多方面から見ることの重要性を教えている。
 われわれはどうも最初に見えたものによって判断し、行動してしまいがちだが、様々な角度から見ることによって全く異なるものが見えたとしたら、自ずと対応の仕方も変わってくるだろう。私は職員にこの「だまし絵」を見せて「お互い老女も見えるようになろう」と激励している(最初は誰も老女が見えない)。

◆単一JA発足への道のり

 本県では平成10年頃から不良債権問題が大きな課題となり、特に広域合併JAに顕著であったことから、当面の早期是正措置、14年4月からのペイオフ解禁を乗り切ることが極めて難しい状況になっていた。
 その対応に当たっては様々な議論が繰り広げられた。元々あった5JA構想の貫徹、そのための県域を挙げた不良債権処理支援等々。ところがどの案も決め手を欠き、様々な角度から対応案を見直していくうち、単一JAの姿が見えてきた。
 結局、平成14年4月1日に県下27JAが合併して「JAおきなわ」が誕生したが、合併時に300億円を超える多額の全国支援を受けて不良債権を全額処理し、信用事業再構築計画のもと700名弱の要員削減、信用店舗33
、購買店舗54店舗の統廃合等、厳しいリストラを断行することになる。
 また、自己資本比率が8%に満たないことでJAバンク基本方針に基づく融資規制が課せられ、組合員の大きな反発を招いた。貯金量は合併時の6500億円から1時6200億円まで急減し、6000億円の大台を割り込むのではないかと懸念したほどだ。併せて大規模なリストラは職員のモチベーションの低下を招いていた。

◆希望はある。未来志向で。

 このように合併前後は非常に厳しい状況にあり、JAの危機といっても過言ではないほどであった。しかし、役職員の血のにじむような努力と組合員の理解・協力、全国組織の支援等により多額の不良債権を一掃し、経営もスリム化して筋肉質の体になった。
 貯金量も現在では7000億円の大台を突破し、自己資本比率も合併当初の6・4%から現在では10・2%に向上した。
 危機を完全に脱したかどうかはまだわからないが、先のバブルの発生→崩壊→繁栄の例のように、大きな危機を経験したからこそ回復への強大なパワーが生み出されるとすれば、希望は持てる。未来志向である。
 現に明るい兆しが見えつつある。
 宮古島のカボチャのJA取扱量が平成17年度の417tから19年度には135tまで減少したが、20年度は269t(シーズンベースでは300t超)に回復し、今年度は500tを計画している。
 特産のマンゴーも19年度の270tから20年度は470tに急増した。ファーマーズマーケットも平成14年度に1号店を開設してから現在では5店舗となり、売上高も当初の数千万円から30億円に拡大している。明らかに雰囲気が変わってきた。
 今年度は第三次中期計画の最終年度であり、JA大会も控えている。次期中期計画を有効なものにするためにも、過去の経験を活かしていきたい。

【経歴】
(ふてんま・ともしげ)
昭和32年沖縄県生まれ。
56年国立琉球大学農学部農学科卒、同沖縄県信連入会
61年国立宇都宮大学大学院農学研究科修了
平成14年沖縄県農協出向・改革推進室長
17年管理本部参事兼総合企画部長(信連統合)
19年農業事業本部参事(耕種担当)兼農業統括部長
20年農業事業本部参事(耕種担当)
現在に至る

(2009.06.17)