提言

JAの現場から

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【東北関東大震災・現場からの声】「結いの心」で日本をひとつに  JAいわて中央理事 熊谷健一

・地震発生時の我家の恐怖
・顔の見える支援活動
・宮古市復興の現状
・二宮尊徳思想を全世界に発信せよ

 地震発生から2週間以上経過した。いまだに多くの被災者が避難所生活を強いられている中、被災地の内外で助け合いの環が広がっている。JAいわて中央理事の熊谷健一氏に、協同組合的精神、農村集落の"結いの心"で被災地支援に取り組む岩手県の現状を緊急レポートしてもらった。

◆地震発生時の我家の恐怖

JAいわて中央理事 熊谷健一 3月11日午後2時46分ごろ、私の携帯電話に緊急のメールが入った。10秒後、自宅が揺れ動いた。2階にいたが、いつも通りすぐ止るだろうと思った。
 しかし止るどころか大きくなり、1分以上続いた。タンス、本棚が揺れ動き始めた。急いで手で押さえた。別の本棚が倒れた。外から女房の声がした。「逃げろ」。私は本棚から手を離し外に出た。本棚がパソコンに倒れ完全に壊れた。2分半くらい続いただろうか。私は北海道、宮城地震も体験したが、こんなに大きく揺れ、長く続いた地震は初めてである。同時に電気も水道も止った。スーパー、ガソリン、全てのライフラインの機能は止った。夜はローソク、懐中発電燈、ラジオを頼りに夕食をとった。4日目に電気、5日目に水道が回復した。3月27日現在ガソリンはいまだスタンドへ長い列で並んでいる。私も朝5時に並んだ。しかし「あなたは600台以上」と言われ給油できなかった。
 この災害で気付いたことは数多い。今まで日本人は恵まれすぎた感じがした。衣、食、住、全てにおいて不満なく、自由に生活してきた。電気、油、水道が止っただけでこんなに不自由になるとは? 生活の全てを節約することが大切だと思った。国や他人に言われなくても気付いたら実行する。今まで資源は無限にあるかのように無駄遣いがあったのではないか。

◆顔の見える支援活動

 JAいわて中央都南地域営農組合の傘下である下湯沢集落組合は地震発生3日後に役員会を開いた。集落内に嫁いでいる女性の実家の被災者に物資と義援金を支援することを決定した。
 集落の営農組合が被災者を1秒でも早く支援するために、どこに何をどのようにするか役員会で検討したが、良い案が出なかった。遠くを見る前に集落内にたくさんの関係者がいることに気付いた。調査の結果は87戸のうち12戸(15%)が三陸から嫁いでいた。これが本当の支援である。送る人もいただく人もはっきりする。具体的な支援方法は3月21日の総会で決定して取り組むことにした。総会では原案通り、物資と義援金の支援が決定し日程、方法は次の通りとした。
 (1)22日=婚家の女性は実家の家族からどんな物資が必要か聞くこと。
 (2)23日=必需品を事務局がまとめ全農家に文書で物資の協力を流す。
 (3)26日=午前8時〜12時公民館で受付選別する。
 (4)26日=午後1時〜4時に嫁さん又は実家の家族が選別し受け取る。
 (5)義援金は平等に配分する。
 (6)その他は役員会で決定する。
 こうして26日午前中で50人の組合員から衣類、食べ物、子どもの衣類、文具、本、コーヒー、化粧品、自転車などダンボール箱で約80箱以上が公民館に並べ切れないほど持ち込まれた。義援金は7万円以上だった。午後からは被災者本人と、関係者が来て、物資の中からサイズや色柄を見ながら選別し、詰め替え後、三陸の被災者へ持ち込むことにした。嫁さんや被災者本人、また集落内の婚家の家族から「私の嫁の家族のために夢にも思っていなかった支援を本当にありがとうございます」とお礼を言われた私は、この組合員にこのように申し上げた。「このことは50年前からこの集落で取り組んでいる農作業の結いの心、助け合いの心、協同作業の仕事の成果です。これはあなた方から引き継いだ活動であり、私の方からお礼を申し上げます」と。

◆宮古市復興の現状

 27日に宮古市へいった。市内を歩くと、1/3は床上まで浸水し、1階の1m〜1.5mまで水の跡が残っていた。自宅内の被害物は袋詰めして道路に置き、室内は水洗いされていた。中には4月1日から営業案内の表示も見られたが、中心街の道路に大きな船が流され、津波の大きさを知った。
 宮古市の災害でもっとも残念に思ったのは日本の観光地として名高い極楽の浜で知られる浄土ヶ浜の壊滅である。湾内に1軒あるレストハウスの2階まで壊れていた。海水浴場の浜は大きくえぐりとられ、コンクリート、鉄筋の手すり、道路は波にさらわれて見る陰もなかった。しかし浜を囲む大きな3つの岩が津波を少しでも防いでくれたように見えた。湾内にいた市の消防団員の話では「当日10人くらいの観光客がいた。海の水が大きな音を立て、海底が見えた2分後、大きな地震が来た。高台に逃げた15分後に10m以上の真っ黒い津波が来た。この世の光景ではなかった」と言っていた。

◆二宮尊徳思想を全世界に発信せよ

 このたびの巨大地震で考えさせられ、再認識したのは日本の協同組合思想である。市場原理主義の大企業は自社の利益を内部留保して海外に会社を移し、日本国内の労働者の利益や、国益を考えようとはしない。これに対して協同組合は実費主義を原則として自立し、利益を目的にしない。組合員の経済と心の豊かさを求めた思想を基に新しい社会づくりを進めている。
 この思想は約200年前の二宮尊徳の考えを引き継いでいる報徳の思想であると思う。報徳生活の三要素である「勤労」「分度」「推譲」の原則は協同組合運動の三原則である。
 このたびの巨大地震の災害復興の原則でもあり日本人の特徴である農村集落の結いの心、助け合いの心、協同の心を日本国民が一体となってそれぞれの人が会社が立場々々で被災者と日本の復興への協力・支援をすることが大切である。
 東日本全体ではなく、日本の半分の経済と生活がまひしている。全世界の国の人達が支援の輪を広げて物資と心で応援している。
 この巨大な災害を1日でも早く乗り越えるためには協同組合精神で協同組合間提携し、短期と長期の計画を樹立し、復興にのぞむことが大切である。支援するJAと支援されるJAの話し合いを急ぎ実行することが急がれる。
 この災害の教訓を生かし、食と農の大切さを国と国民に再認識させ、JAと協同組合のすばらしさを来年開催される国際協同組合年でアピールすることを望みたい。

(2011.04.05)