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【提言】戸別所得補償制度の特徴と課題  北出俊昭(元明治大学教授)

・制度の内容と特徴
・米と水田農業からみた特徴と課題
・対象農産物の拡大と実施上の課題

 農業者戸別所得補償制度(以下「戸別補償制度」)についてまだ詳細が明かではないが、これまで公表された民主党の資料により制度内容を中心に特徴と課題について検討したい。

◇制度の内容と特徴


 戸別補償制度は農産物の販売価格が基準生産費を下回った場合その差額補てんを基本とする制度で、次のような内容とされている。
(1)生産数量目標の設定と割り当て
 農産物ごとに生産数量目標を設定し、面積に換算して戸別農家に割り当てる。
(2)対象農畜産物
 農山漁村再生法案で示した米、麦、大豆などの「主要農産物」、牛肉、牛乳、乳製品などの「主要畜産物」のほか漁業、林業も対象とするが、果樹と野菜は対象外とされている。
(3)対象農家
 制度に参加した販売農家のみを対象とする。なお、現に耕作している者を対象とするので集落営農組織のほか請負耕作者、消費者グループも対象とする。
(4)補償交付金単価
 「標準的な生産に要する費用」から「標準的な販売価格」を控除した額に「単位面積当たりの収穫量」を乗じて算定する。なお、生産費、販売価格は全国一律の単価とする。
◎交付金単価=〔(標準的な生産費)/Kg―(標準的な販売価格)/Kg〕×単収
(5)その他
a.
交付金は国から農業者へ直接交付する。
b.2010年度に調査、モデル事業、制度設計などを行い11年度から実施。ただし米は10年度から実施予定。
 この内容を少し説明すると、民主党が07年10月に示した農業者戸別所得補償法案では、所得補てんの対象となる主要農産物は米、麦、大豆のほか政令で定める農産物として雑穀、なたね、飼料作物などが想定されていた。それが農山漁村再生法案を経て今回のマニフェストでは漁業、林業にまで拡大されている。
 この対象農産物は二つに分けられている。米は過剰なので割り当てられた生産面積を意図的に超えて作付けした農家は支払い対象から除外されるが、自給率が著しく低い小麦・大豆、なたねなどについては生産数量目標を上回っても支払い対象となる。また、所得補償は生産数量目標を面積換算して交付金が交付されるが、制度への参加を農家に強制することはしない。その意味では「選択制」といえないこともないとされている。
 いずれにしても、現在、国内農業生産の増大には生産費を償い生産継続が可能な対策が望まれているので、この制度は不足払い方式でWTO上問題があるという意見もみられるが、生産費を基準とした価格・所得対策の実施は重要な意味があるといえる。

 


◇米と水田農業からみた特徴と課題


 (1)米の生産費と価格問題
 この制度の最も重要な特徴は生産費を基準とした所得補償にあるが、これまで生産費基準により政策価格が決定されたことがあるのは米と牛乳(加工原料乳)である。その経験を踏まえ、米について戸別補債制度を適用した場合の問題を考えてみたい。
 第1は規模や地域ごとに大きな格差がある生産費から「標準的な生産費」をどう算定するかである。これまでも全階層ではなく一定規模以上の農家の生産費を採るべきだとの意見も強く、そうした運用もみられた。また、生産費目の算定方法も問題となるが、戸別補償制度でも自己資本利子、自作地地代を参入せず家族労働費も一定割合(80%)を想定するという意見もある(注1)。こうした措置は生産費と財政負担を引き下げることになる。
 第2は需給対策との関係である。前政権のもとで農水省が示した二つのシミュレーションでも明らかなように、米価は生産調整の実施状況によって大きく異なる。したがって、米価を維持安定するためには、しっかりした米の需給計画を策定する必要がある。こうした観点から、戸別補償制度での生産数量目標も単なる希望的な観測数量ではなく、水田総合利用計画に基づいた政府として責任ある計画数量とすべきである。
 なお、米を含め国内農業生産を発展させるためには、MA米の輸入を中止しWTOやFTAなどによる国境調整措置の引き下げ・緩和を認めるべきでないのは当然である。
 第3は財政負担問題である。いま07年産米についてみると、資本利子・地代全額参入生産費は1万6412円、農家販売価格(うるち玄米)は1万2790円なので、差額は3622円(いずれも60Kg当たり)となる。これに同年産の出荷・販売量の632万トンを乗じて補償額を試算すると、米だけで約3800億円となる。複数年の平均生産費を使用すれば財政負担額も変わるが、民主党がいう財政規模は1兆円なので、生産費算定方法とともに来年度の予算規模が注目されるのである。
 
 (2)米との所得格差と水田の高度利用問題
 米の生産調整では米と転作作物の所得格差、とくに10a当たり格差を補てんするため多様な助成補助金が交付され、現在に至っている。では、戸別補償制度により生産費が補償されればその所得格差が解消するのか、が問題となる。いま、小麦、大豆(いずれも田・畑作平均)で試算すると、収量変動などで年産により程度は異なるが、生産費が補償されても現在の米所得すら下回るものと推計される。したがって、今後自給率の低い農産物の生産を増大するためには、従来の助成対策を含め、戸別補償制度によっても解消されない所得格差の別途補てんが必要である。なお、来年度予算の概算要求では産地確立交付金などを組み替えた新たな水田利活用対策が考えられているが、その動向が注目される。

 


◇対象農産物の拡大と実施上の課題

 

 (1)生産費の算出問題
 この制度の政策効果を確実に発揮するためには生産費の把握が不可欠であるが、対象農産物の拡大はこの問題を一層クローズアップする。わが国の農畜産物生産費調査は80年頃では作期別、作型別など多様な生産形態に応じ対象農産物数は米の4340戸を含めて合計1万6307戸となっていた(注2)。それが現在では米は標本数として900戸、麦類は4麦から小麦のみになるなど、対象の農産物、戸数とも著しく縮小されている。畜産物は継続されているが野菜、果樹では94年産で生産費調整は廃止され、95産からは別調査となり、生産費調査から除外された麦類3麦はこの品目別経営統計に移行されている。
 こうした実態からみて、この制度を本格的に実施していくためには生産費算定についてはとくに次のことが問題で、その対策が重要な課題となる。
 a.生産費調査が実施されていない農産物を対象とした場合、「標準的な生産費」をどう把握するのか。過去の生産費を最近時に修正するのか新しく調査を実施するのか。
 b.現在の生産費調査は調査農家に現金出納帳、作業日誌の帳簿を渡し記帳してもらうと同時に担当職員の面接による聞き取り調査を併用して正確性を期している。新しく生産費調査を行うとすればそのための人員と経費が必要となるが、これをどうするか。
 なお、調査期間は1年がほとんどなので、新しく生産費調査を来年度から実施しても本格実施が予定されている11年度には利用できない可能性がある。
 
 (2)推進体制問題
 補償金を交付するには前述した算式から明らかなように、生産数量目標を換算した生産面積の実態を農家ごとに確認する必要がある。この実績確認は米の生産調整では行政と農協が一体となって行ってきたが、米だけでも大変な作業量である。対象農産物が拡大すると当然作業量も増大するが、それにどう対応するのかが問われることになる。
 (3)生産数量目標と基本計画
 自給率の低い麦類、大豆、飼料作物などの生産を増大していくことは食料・農業政策として重要な課題であるが、生産が増大しても需給のミスマッチが生じてはならない。これはとく転作の小麦、大豆で問題になった経過がある。現在の小麦、大豆の生産量は概に基本計画における2015年度目標とほぼ同じ水準に達しているので、戸別補償制度が実施され生産量が増大すると基本計画との関連が問題となるので、その改善が必要である。
 もちろんそのためには、小麦、大豆などは収量の安定、新品種の開発・普及と品質改善、生産技術の向上など、中長期的視点に立った対策が不可欠なのはいうまでもない。
 いずれにしても、戸別補償制度を実施し食料自給率を10年後50%、20年後60%(農山漁村再生法案)とするには、従来の農業政策を国内農業生産増大を基本とした理念と内容に根本的に転換することが不可欠なことを最後に強調しておきたい。
 
(注)
(1)08年2月16日の農業協同組合研究会第3回課題別研究会における平野達男参議院議員の提出資料。
(2)加用信文監修「新版 農林統計の見方使い方」(1979年2月 家の光協会)347ぺーシ。

(2009.10.21)