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【特集 もう一度考えよう! TPP】 関税の歴史と関税政策の役割―新しい世界秩序の構想を世界に示すべき  清水徹朗 氏(農林中金総合研究所)

・関税とは何か
・関税の目的
・貿易論争と関税制度の歴史
・50年かかった関税自主権回復の歩み
・GATT体制下の関税率引き下げ
・途上国の開発問題と特恵関税制度
・FTA・関税同盟とAPEC
・重要な関税政策の役割

 TPPが成立すると加盟国間の関税は原則として撤廃される可能性が高いが、そもそも関税とは何なのか、関税制度はどのように形成されてきたのかについて考えてみたい。

関税とは何か

 関税とは、国境を超える商品の取引(=貿易)に際し、取引される商品の金額や数量に対して一定割合の税金を課すことである。商品の取引に際して課税するという点では、関税は国内の商品取引に課税する消費税に似ている。関税は輸出に際し輸出業者から徴収することもあるが(輸出税)、輸入に際し輸入業者から徴収する輸入関税が一般的である。

関税の目的

 それでは、なぜ輸入品に対して関税をかけるのであろうか。
 関税が導入された当初の目的は、国家の税収の確保である。港湾整備、通関業務等に公的経費がかかり、また産業政策の財源も必要であるため、それを関税収入でまかなおうというものである。関税率の低下、他の税収の増加によって日本の税収に占める関税収入の割合は2%程度まで低下しているが、所得税、法人税、消費税の制度が未整備であった時代には国家収入に占める関税の割合は高く、現在でも途上国のなかには関税収入の割合が高い国が多くある。
 関税のもうひとつの目的は、国内産業の保護・育成である。経済の国際化が進展すると外国製品との競合が激しくなるが、産業が未発達の状況で外国との競争にさらされると国内産業が打撃を受けるため、競争上の不利を是正するために関税が設定・維持される。農産物関税もその一つであり、国内の農業を維持するため諸外国からの輸入農産物に対して関税をかけて輸入の増大を防いでいる。

貿易論争と関税制度の歴史

 関税のあり方に関してこれまで多くの論争が行われており、関税論争の歴史は、そのまま経済学(特に貿易論、国際経済学)の発達の歴史でもある。


◆重商主義

 1618世紀の絶対王制の時代では、イギリスの東インド会社に代表されるように、国家が貿易に深く関与していた。この時代の政策体系は重商主義と呼ばれており、富の源泉が輸出と輸入の貿易差額にあるとして、国による産業保護と輸出奨励が行われ、輸入は制限された。


◆自由貿易主義

 重商主義の政策体系に根本的批判を与えたのがアダム・スミスであり、スミスは自由な貿易(交易)による分業こそ経済発展の源であるとし、『国富論』において自由貿易を主張した。スミスの自由貿易論を体系的に整備したのがリカードであり、リカードは「比較優位説」により自由貿易の利点を示し、当時の穀物法(輸入穀物に対する高関税)を批判した。穀物法は1846年に廃止され、その後、イギリスは自由貿易の道を歩むことになる。


◆保護貿易の主張

 一方、マルサスは食料の安定供給という観点から穀物法を擁護し、リカードと対立した。また、ドイツの経済学者リストは、産業発展の遅れた段階で自由貿易を採用すると産業の発展が阻害されるとして、関税による保護貿易を主張した。こうした自由貿易と保護主義の論争は明治期以降の日本でもあり、自由貿易論者として田口卯吉、石橋湛山などがおり、保護主義を唱えた者として河上肇、犬養毅などがいた。


◆経済ブロック化とGATTの成立

 1930年代に世界恐慌によって経済状況が悪化すると、自由貿易を標榜していたイギリスも自国産業保護のため経済ブロック(英連邦特恵関税制度)を形成し、英連邦以外の国・地域からの貿易を制限した。これを契機に世界経済のブロック化が進み、こうした戦前の状況に対する反省から生まれたのが、GATT(関税及び貿易に関する一般協定)であった。

50年かかった関税自主権回復の歩み

 周知の通り、日本は江戸時代に鎖国政策をとっており、長崎の出島におけるオランダ、中国との貿易を例外として外国との自由な貿易を認めていなかった。しかし、黒船来航(1853年)以降、米国からの圧力に押されて、日本は1858年に日米修好通商条約を結び、横浜など長崎以外の港での貿易も認めることになった。
 しかし、この条約は日本の関税自主権を放棄するような内容を含んでいたため、その後の日本は、この不平等条約の改正、関税自主権の回復に多大な外交努力を注ぐことになった。その結果、小村寿太郎、陸奥宗光らの努力によって日本は関税自主権を回復したが、それが実現したのは、条約締結から約50年を経た1911年(今からちょうど100年前)のことであった。
 中国も同様の状況にあり、イギリスとのアヘン戦争の後に結ばれた南京条約(1842年)によって、中国は、香港をイギリスに割譲するとともに関税自主権を失い、半植民地的な状態になった。こうした清国の状況に危機感を持った人々によって革命運動が起き、清国は辛亥革命(1911年)によって滅亡した。
 
GATT体制下の関税率引き下げ

 第二次世界大戦に至る戦前の世界体制に対する反省として生まれたのが国際連合やGATT、IMF、世界銀行であり、米国を中心とした戦後の世界体制(ブレトンウッズ体制)が構築された。
 敗戦によってGHQの占領統治下に置かれた日本は、1952年に独立し、その後高度経済成長の時代に入ったが、戦後の日本は、戦時中の独善的な外交姿勢を反省し、1955年にGATTに加盟し、翌1956年には国連に加盟して、国際社会に復帰した。
 そして、1960年に貿易為替自由化大綱を策定し、日本はGATT精神に従って貿易自由化を進め、貿易を原動力に経済成長を実現した。日本はGATTにおける関税削減交渉(ラウンド)にも積極的に参加し、農産物に関しても徐々に輸入自由化(関税化、関税率引き下げ)が行われた。
 GATTの加盟国数が増大するとともに、世界の関税率は徐々に引き下げられ、GATTは経済のグローバル化を進める原動力となった。さらに、1995年にはWTOが成立し、社会主義路線のなかでGATTを批判してきた中国も2001年にWTOに加盟し、まもなくロシアもWTOに加盟する予定であり、WTOは世界の貿易秩序を協議する重要な場となっている。

途上国の開発問題と特恵関税制度

 このように戦後の世界貿易体制の枠組みを形成してきたGATTであるが、そのなかで大きな問題として浮上してきたのが、途上国の経済開発問題である。1960年代に、アジア、アフリカ諸国の独立が進むなかで途上国から先進国中心の世界経済体制に対する批判が強まり、国際経済体制の改革を求める要求が強まった。そのため、1965年に、GATTのなかに最恵国待遇原則の例外として途上国に対する特恵関税制度が設けられた。
 ドーハラウンドの正式名称が「ドーハ開発アジェンダ」であることに象徴されるように、途上国の経済開発問題はWTO成立後も大きな問題であり続けており、現在WTO交渉が難航している最大の要因は途上国と先進国の対立である。

FTA・関税同盟とAPEC

 こうした世界的規模での関税交渉の一方で、FTA(自由貿易協定)、関税同盟など地域間の関税協定も進められてきた。FTAや関税同盟は特定の国の間で関税を撤廃・削減するという経済統合の一形態であるが、GATTの最恵国待遇原則と矛盾する側面があるため、GATTでは一定の条件を満たすものに限ってFTA・関税同盟を認めている。
 GATT成立当初あったFTA・関税同盟はベネルクス関税同盟など小規模で数も少なかったが、1958年にEECが結成され、90年代には、ECと旧東欧諸国との間で多くのFTAが締結されるとともに、北米でNAFTAが成立し、2000年以降は、世界各地でFTAが乱立する状況になっている。
 日本は、90年代までは、経済ブロック化につながりかねないFTAや関税同盟を批判しており、APEC(アジア太平洋経済協力)による「開かれた地域協力」を唱えてきた。しかし、世界的なFTAの流れの中で日本も2000年頃から方針を転換し、その後、FTAを推進してきた。

重要な関税政策の役割

 以上、関税を巡るこれまでの歩みを概観したが、関税のあり方に関して様々な論争・交渉が行われて今日の関税制度が形成されてきたことがわかる。
 自由貿易理論によれば、関税などの保護主義的制度は国民の経済厚生を低下させ、貿易は自由化したほうがよいとされる。しかし、問題はそれほど簡単ではない。自由貿易主義は市場原理主義と同じであり、規制緩和を進めて全てを市場にゆだねた場合、経済・社会に何をもたらすかは、これまで起きた様々な問題で明らかであろう。
 日本は、これまで貿易自由化を進めてきたものの、WTOにおいてもFTAにおいても、重要農産物の除外、漸進的改革などによって日本農業、日本社会への影響を少なくする努力を行ってきた。しかし、TPPは、例外をほとんど認めておらず、これまでの交渉とは根本的に異なる要素を有している。米国がTPPを進めたいと思っているのは、米国がアジアを取り込みたい、米国の輸出を伸ばしたいという、あくまで米国の都合であり、それに日本は安易に乗るべきではない。また、日本の経済界がTPPに対して望んでいるのも、関税負担を減らしたいという目先の利益であり、経済界の人々がそれほど深い思想・構想を持っているわけではない。
 「第3の開国」とは威勢がいいようであるが、日本は、1回目の「開国」(日米修好通商条約)の時も、2回目の「開国」(日米安全保障条約)の時も、米国と不平等条約を締結させられ、1回目の不平等条約の改正には50年かかり、2回目の安保条約は、60年が経過してもいまだに沖縄の人々を苦しめている。米韓FTAは、投資条項など米国に有利で韓国に不利な内容が多く含まれている不平等条約であることが指摘されており、TPPも米国主導の不平等条約にならないという保証はない。
 現在の日本の農産物関税は、日本の食料生産を維持するために不可欠のものであり、食料安全保障、農業の多面的機能の維持のため重要な役割を果たしている。関税政策は、それぞれの国の主権に属するものであり、それをTPPによって米国にゆだねるべきではない。自国の利害を優先させ、他国の経済・社会を混乱に導いてきたこれまでの米国の外交姿勢を批判し、日本は、TPPに代わる、アジア地域の平和構築のための新しい世界秩序の構想を世界に示していくべきであろう。

(2011.05.26)