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【特集 もう一度考えよう! TPP】  「韓国の『国のカタチ』」  鈴木利徳 氏(農林中金総合研究所 常務取締役)

・迅速で徹底した韓国の輸出指向工業化路線
・外資の意向を無視して前に進めない韓国の経済
・FTA戦略網の急拡大で企業のグロ?バル化を展開
・IMFの管理体制下でアメリカ式市場主義を貫徹
・大企業の極端な偏重政策で中小企業層は希薄化へ
・後継者のいない高齢専業農家が農業を支える

 TPP推進派の多くは日本と韓国との貿易戦略を比較し、TPP不参加の場合のデメリットを唱えている。韓国が1960年代以降、国を挙げての輸出工業化を図りめざましい経済発展を遂げたのは事実だが、それによって韓国の「国のカタチ」も大きく変わった。韓国の歴史や現状を理解しないまま盲目的に目標とすべきではないと提言する農林中金総研の鈴木利徳氏に、韓国経済の"今"を解説してもらった。

韓国企業の躍進に目を奪われ
脅威感じる日本の財界人

(イメージ写真=韓国・ソウルの風景) 「韓国に後れをとるな」。これは、TPP推進派の主張のひとつである。朝鮮戦争の停戦(1953年)直後、韓国は国民所得80ドル、文盲率70%の最貧国であった。しかし、1960年以降の約半世紀、年平均成長率7%を超える驚異的な経済成長を遂げ、今は一人当たりGDP(国内総生産)約2万ドル、世界でもトップクラスの経済大国になった。そして、激しいグローバル競争を繰り広げる自動車や電気・電子機器等の分野では日本の有力企業を脅かす存在となっており、韓国企業の躍進に脅威を感じる財界人などが、その全体像や具体的な内容を理解しないまま、韓国のFTA(自由貿易協定)戦略に対抗する思いでTPPの推進を唱えているのが、今の実状ではなかろうか。
 しかし、韓国の大企業の躍進ぶりに目を奪われてしまうと、韓国の真の姿は見えてこない。ここでは韓国の真の姿を少し追いかけてみよう。そのためには、韓国の現代史を振り返らねばならない。

(イメージ写真=韓国・ソウルの風景)


◆迅速で徹底した韓国の輸出指向工業化路線

 韓国の国家再建は1961年の朴正熙(パクチョンヒ)将軍による軍事クーデターから始まった。軍事政権は65年にはアメリカ援助当局やIMF(国際通貨基金)の要請する「市場メカニズムの正常化」を受け入れ、韓国経済を世界経済にリンクするための一連の改革を断行する。いわゆる輸出指向工業化路線がこのときに敷かれたことになる。また、経済復興の牽引役となったのは朝鮮戦争後に生れた財閥であり、その後いくたびか政権が交替したが、財閥が国家経済をリードするカタチは今に至っても変わらない。ここに韓国経済の大きな特色がある。
 経済復興の戦略が輸出と定まった後の軍事政権の対応はきわめて迅速であり、輸出振興にむけて国民を動員し、大本営なみに「輸出拡大会議」を設け、輸出拡大に貢献した企業を愛国企業として表彰した。産業の保護育成がこれほど徹底して輸出奨励に焦点を合わせて行われた例は他にないといわれている。徹底した輸出奨励、これが韓国経済の第二の特色である。
 輸出工業化は功を奏し、60年代後半から79年にかけて韓国は平均成長率約10%という目覚しい経済発展を遂げた。
 工業化とともに、この間爆発的な都市化が進んだ。都市と農村の人口分布をみると、60年当時は農村人口が7割超であったが、80年には4割に減少し、都市に人口の6割が集中した。この傾向はその後も継続し、95年には都市人口が8割を占めるに至っている。異常なまでの人口の都市集中、これが韓国経済の第三の特色である。


◆外資の意向を無視して前に進めない韓国の経済


 財閥優遇、輸出奨励、都市集中という韓国経済の特色は、アジア通貨危機を端緒とする97年の経済危機とその克服の過程を通じてさらに深化する。97年12月に、韓国政府はIMFとの間で資金支援などを盛り込んだ合意覚書を交わし、IMFの管理体制下におかれた。IMFは韓国政府に対し、構造改革を求め、その見返りとして583億5千万ドル(うちIMFからは210億ドル)という巨額の資金援助が約束された。これは通貨危機にまつわる支援としては過去最大のものであった。
 97年12月、危機のどん底のなかで誕生した金大中政権はIMFの提示したプログラムを忠実に履行した。2001年までに5つの銀行が認可取り消し、9つの銀行が合併させられた。一方、外国人の投資制限が完全撤廃されて銀行・証券など金融部門での外資の流入が際立った。05年現在、主要金融機関においては株式の710割(国民銀行86%、韓国外換銀行74%、韓美銀行99%、第一銀行100%)が外資に握られてしまった。金融機関だけでなく、優良企業の外国人持ち株比率も高い(サムスン電子54%、ポスコ66%、SKテレコム48%、現代自動車48%、いずれも04年)。こうした外資比率の高まりにより、現在の韓国経済は外資の意向を無視して進めることはできなくなっている。
 経済危機で内需が落ち込むなかで、ウォン安に支えられる形で輸出が急増した。輸出が危機後の経済復興を牽引する役割を果たした。その後、03年から韓国政権は輸出振興のためにFTAへの取り組みを積極化したが、FTA戦略強化に踏み出すこととなる伏線は経済危機後の経済復興の過程にあったといえよう。


◆FTA戦略網の急拡大で企業のグロ?バル化を展開


 ここで韓国のFTA戦略について簡単にふれておきたい。
 韓国は2000年代初めまではFTAに対する取り組みにおいて日本よりも後れていた。取り組みを積極化したのは03年からであり、韓国政府は03年8月に同時多発的にFTAを推進することを内容とする「FTAロードマップ」を決定した。
 06年までにチリ、シンガポール、EFTA(欧州自由貿易連合:スイス、ノルウェー、リヒテンシュタイン、アイスランド)との間でFTAを発効、07年にASEANとの間で商品貿易協定発効、その後09年にはサービス貿易協定発効、2010年にはインドと発効、アメリカと合意、EUと署名するなど、FTA締結の動きを加速している。
 国内の市場規模(人口48百万人)が小さい韓国は輸出依存度が高く(08年54%、日本は18%)、FTA網を拡大することで、企業のグローバル展開を後押ししているのである。
 IMFの緊急支援を受けた国でこれほど早く復活した国は前例がない。その意味で危機克服策はとりあえず成功したと評価できる。
 しかし一方、マイナスの影響も大きかった。それはひと言でいえば格差社会の深化である。


◆IMFの管理体制下でアメリカ式市場主義を貫徹


 IMFの管理体制下におかれた98年以降、韓国の旧来型の経営は悪とされ、それに代わってアングロサクソン型の効率経営モデルが善とされた。経済体制、政策、制度においてアメリカ式の市場主義が貫徹された。
 経済危機後、まず行われたことは徹底した合理化である。危機前に30大財閥といわれた財閥系企業の約半数は解体、破綻した。生き残った企業は猛烈な人員削減で危機を乗り切ろうとし、当時ソウルの街にはホームレスが急増したといわれている。
 つぎに実行されたことは労働市場の改革である。韓国の労使政(労働者・使用者・政府)委員会はIMFの求めに応じ労働慣行の見直し、整理解雇制・派遣労働制の導入などに合意し、これを契機に企業では大規模なリストラが実施された。
 しかし、このようなリストラは韓国企業の早期再生に寄与した反面、失業と非正規雇用の増加につながった。雇用者全体に占める非正規雇用者の割合は01年には27%に上昇し、09年現在で35%と高い割合を占めている。非正規労働者の増加は所得格差の拡大につながり、このような所得・雇用環境の不安定が少子化加速の大きな要因ともなっている。


◆大企業の極端な偏重政策で中小企業層は希薄化へ


 また、韓国政府は国際競争力を強めるために財閥系企業優先の政策をとってきた。そのために、大企業と中小企業の収益力格差が拡大するとともに、大企業偏重の政策のなかで中小企業の層は極めて薄いものとなった。中小企業の育成がなされなかったのである。経済のグローバル化により部品等の中間財は輸入すれば事足りたことも、国内の中小企業育成に力を注がなかった要因のひとつである。
 これは、2010年の韓国の貿易収支構造にも表れている。2010年の韓国の貿易黒字は過去最大の417億ドルであったが、中間財の多くを日本に依存しているために、対日貿易赤字も過去最大の348億ドルとなった。工業製品を輸出すればするほど日本からの中間財の輸入が増える構造になっているのである。
 しかし、中小企業の層が薄いことが「国のカタチ」をいびつなものにした。中間財の多くを輸入しているために、輸出が拡大しても国内の雇用の増大に結びつかないのである。韓国は雇用創出力の著しく低い国となった。大卒の若者の就職内定率は3、4割だといわれている。正規職に就けない若者は非正規職を転々としているという。


◆後継者のいない高齢専業農家が農業を支える


 中小企業の層の薄さは農村の構造にも影響している。韓国の専業農家比率は58%(08年)と高いが、農家の世代構成をみると、1世代が55%、2世代34%、3世代11%であり、1世代が圧倒的に多い。また、農家の世帯員数をみると、12人が52%(05年)を占める。しかも、その実相は単身高齢者と高齢者夫婦世帯である。つまり、高齢1世代専業農家が過半を占めているのであり、2世代、3世代家族が大半を占める日本の農家とは様相が大きく異なる。

農家の世代構成 つぎに、家計費に占める農業所得の割合をみてみると、農業所得の家計費充足度(農業所得/農家の家計支出)は95年の71%から2000年には61%へ5年間で大きく低下した。農家は農外所得で家計を補足する必要があるが、中小企業の層が薄いこともあって農村に兼業機会は少ない。そのために、離農が増加している。日本の場合は昭和一桁世代を中心とする高齢者の離農が進行しているが、韓国では青壮年層を中心とする離農であり、かつ、都市への流出を伴う離農である点に特色がある。

家計費充足度の変化


 確実視されている食糧自給率の急速な低下

 輸出依存度の高い韓国は、03年以降FTA推進を積極化し、財閥系企業は国際競争力を強化した。5大財閥グループ(サムスン、現代、SK、LG、ロッテ)の売上高の合計はGDPの7割に匹敵する規模となった。しかし、「国のカタチ」をみると、中小企業の層が薄く、雇用創出力は弱い。多くの若者が正規職に就けない。農村から青壮年層が流出し、高齢専業農家が農業を支えている。そして、農家の96.5%は「後継者がいない」(05年韓国農業総調査)という現実をかかえている。将来、食料自給率の急速な低下が確実視される「国のカタチ」がそこにある。

農家の後継者の有無

 大戦、米ソによる分割占領、朝鮮戦争、貧困、独裁政治、クーデター、軍事政権、民主化運動、経済破綻とその後の急速な経済復興等々第二次大戦後の韓国の歩みは対立と流血が繰り返された凄まじい歴史である。人々は家族を失い、離散し、飢えに苦しみ、ときには死を賭して圧政に立ち向かった。
 韓国が歩んできたこの苦難の歴史を理解せずに、韓国の「国のカタチ」を盲目的に標榜することも、また、安易に批判することも許されない。
 日本は、日本としてのあるべき「国のカタチ」を創造的に追求すべきであり、それは韓国と相互に切磋琢磨し、また、真に連携する道であると信じる。

(2011.05.27)