◆大震災と愛国心
寺田寅彦は昭和9年に発表したエッセイで、自然災害から人を守るのは国を守ること、国防と同じである、それはともに愛国心の問題だと言っています。
今回の東日本大震災できちんと動き活躍しているのはやはり自衛隊です。つまり、自治体を跨ぐような被害の規模になると国家が出てこざるを得ない。なぜ、国家が出てくるかといえば、そこには愛国心があるからです。愛国心とは、東日本の被災地域の人たちに対して、西日本の人も九州の人も胸を痛めたということです。それがなければ復興のための予算にも誰も合意しないことになる。
まさに愛国心です。これは戦後はずっと危険なものとみなされてきましたが、実際、大震災が起きてみると、みなわがことのように胸を痛めた。
三陸が津波に襲われているころ、実はリビアではカダフィ大佐に殺されている人がたくさんいましたが、やはり三陸の悲劇に日本人は心を動かされた。
(写真提供:岩手県宮古市)
◆自ら弱めた「国」の力
ところが震災から3カ月が経っても復旧がなかなか進んでいない。災害の規模が大きいということもありますが、ここではそもそもの問題として、この間、グローバル化こそが課題だといってきたことを考えなければなりません。
つまり、愛国心、愛郷精神ということ、たとえば地方が疲弊していることに胸を痛める、あるいは失業者が多くて若者が就職できないことに胸を痛めて何とかしようということを考えてきたのか、ということです。そうではなく日本は少子高齢化が進むから、海外に打って出ようというような議論ばかりでした。また、国家ではなく、地方分権、地域主権といったことばかりが強調されて、国家の関与などいらないんだといってきた。すなわち、グローバル化とローカル化の両方から「国家はいらない」とされてきたのです。国と地方を対立的に考えていたことも問題でした。
だから、震災が起きて、急に「国」がなんとかするべきだと言っても、どうにもならないわけです。そこから反省しなければいけない。
◆「これを機に」の傲慢さ
グローバル化だから愛国心は関係ない、国家は引っこんでいていいんだ、という風潮がずっとあったわけですが、では、そう主張する人たちに、どうやればうまく社会が立ちゆくのかと問えば、市場メカニズムに任せればいい、でした。規制を緩和して民間の自由に任せればいい―、こう言ってきた。しかし、まったく反省している雰囲気がない。
その最たる理由は、まさに構造改革を先導した人たちが、こぞって被災地を「この際、実験場にしてやれ」という提案を山ほどしているからです。論者によっては「これを機に」とまで言う。まるで人の不幸を喜んでいるようです。
要は東北は少子高齢化していて、田舎でつまらないところで効率的な農業もやっていない、と。これを機に大規模化して効率化するんだというような風潮です。土地を持っていた人たちが土地を失って抵抗できなくなっているので強引にやってしまえ、という提案を平気でしている。
もっと言うと、戦後日本が繁栄を謳歌できたのは戦前の日本が戦争によって破壊されGHQがゼロから作り直してくれたからだと正当化して、多くの日本人が過去のことを忘れたのではなかったかという問題にまで遡らなければいけないということです。
失われた人たちの命のことを思いやることをせず、暗黒時代が終わってよかったんだ、というメンタリティです。震災からの復興の議論にもそれと同じメンタリティが感じられる。したがって「これを機に」といった提案が出てくるわけです。これを私はけしからんと思いますが、たぶん多くの日本人はけしからんと思っていないのではないでしょうか。そう思う人たちは、今回の震災で被災した人たちがどんな思いでいるのかに配慮がない、つまり愛国心がないということです。
その人たちの発想は、震災でも何でもよくて、今あるものをぶっ壊せば新たに一から作り直せる、という発想です。この手の論者には山下一仁氏もいますが、彼がTPP(環太平洋連携協定)参加に賛成しているのは、TPPがいいからというよりは、憎い農協がつぶせるからだ、ということ。ただそれだけなんです。
◆破壊から生まれるものは?
とにかく今あるものを破壊すれば一からいいものに作り直せるという発想がある。これは構造改革、あるいはその背景にある、内橋克人さんが批判する新自由主義の典型的な発想です。
もっともこれは市場原理主義者だけではなくいろいろなところにまん延している。戦後は一からやり直せてよかった、つまり、戦前の政治や社会が壊れたからよかったんだという発想もそうですが、菅政権はこれを「第二の開国」といったわけですね。そして「第一の開国」だとする明治維新は、黒船ショックによって江戸社会が崩壊したからよくなったんだと。そしてTPPを「第三の開国」だというわけです。
全部壊せばいいものができるという考えは非常に傲慢です。この20年に及ぶ構造改革路線とは、これまでの日本経済を破壊して構造改革するんだといってきましたが、彼らの発想が幅をきかせたこの間、日本経済はまったく成長しなくなったわけです。
たとえば、こういう言葉を残した人がいます。
「真っ白な紙の上にこそ、もっとも美しくもっとも新しい字が書けるのである」。
たぶんこの言葉に市場原理主義者だけでなく多くの日本人が賛意を示すと思います。しかし、これを言ったのは誰でしょうか? 毛沢東なんです。つまり、文化大革命。過去を破壊すればよくなると言ってやったことは、結局、大虐殺でした。
こういう発想によって国家が弱められていて震災が起きても対応できていない。それどころか対応できていないのを見てもっと壊しましょう、と言う。おそらくこういうことになると思います。そうすると被災者は犠牲になってしまう。
◆東北の声から復興を
復旧ではなくこれを機に復興を、と言っている人たちはもともと東北の人たちがなぜ東北にこだわっているかを理解できない人たちだと思います。
人間は豊かな生活、贅沢な暮らしがしたいからではなくて、ご先祖様のお墓があるからとか、知り合いが多いからという理由で生活するわけですね。ところが市場原理主義者は、不便なところに住んでいるのは合理的ではないんだ、という。竹中平蔵氏が典型ですがみんな都会に住めばいい、過疎に住んでいるのはその人たちが悪いんだ、その人たちのために国の財政を注ぎ込む必要はない、こう言ってきたわけですね。
こういう主張に対してはよほど強烈に異を唱えないとずっとやられっぱしになる。
今回の被災者は、家族や友人、故郷、あるいは思い出といったことを傷つけられて、簡単に復旧することは不可能なわけです。失われた人間の命は復旧しませんから。そういったなかでなお生きていく――。家族をなくしたら、その後を生きていくのは本当につらいことだと思います。
そうであっても生きていこうとしているわけです。その場合、三陸沿岸の町をどういう町にしていくかということはその町に愛着を持っている人たちの間で決めていくしかない。
それこそ現場の声であり、それは尊重しなければならない。ただ、それはそうだとしても、町は相当傷んでいるし、今後の津波のリスクを放置するわけにはいかないから、堤防の高さを高くするといったことは政府が行う。こういった物理的なことは単なる復旧ではなく、前よりもっといいものができるでしょう。復旧ではなく復興が可能だと思います。
つまり、ソフト面は彼ら地元の声を聞いて決めるべきであり、それを可能にするためのハード面、物理的な担保としての堤防や橋、道路を国がつくるということになるわけです。これが基本的な話で当たり前といえば当たり前です。
ところが政府がやろうとしていることやマスメディアが主張しているのはまるで逆です。
ソフト面に関して中央で復興構想会議が議論している。高台への移転や山を削って平地をつくるとか、勝手なことを言っている。ところが、その一方で国が本来やるべきハード面については出し渋っているわけですよ。財源をどうするか、などと。やるべきことをやらないで、やらなくていいことをやっている。こういう状況にあるわけです。
国がやるべきことは、地元の声を聞いて復旧、復興できるような環境整備をすることです。ハード面の物理的な復興と、さらには二重債務問題の解決などの資金的な支援ですね。それをどう使うかは地元の人たちに任せる。地元の人たちが自分たちの手で復旧、復興できるようにお金と物理的な支援をすることです。
◆TPP賛成とは復興に反対すること
そしてもうひとつ国がやるべき重要なことは、将来の不確実性を払拭することです。それが「TPPは不参加です」と決めることなんですよ。
被災した農地は、これからがれきを撤去して塩害を受けたところは除塩してということになるのでしょうが、その間、借金を抱えて農地を復興させるわけですね。ところがやっと復興し、これから借金を返せるぞと思った瞬間、TPPに参加するのであなたたちは農業できなくなるかもしれません、ということになったら、じゃ今から復旧しても意味がないじゃないか、ということになる。それでは東北の農業の人たちは今の状況から前進できない。
そうなったら農業を諦めるだろう、諦めた農地を集めれば大規模化ができる、と狙っているのが構造改革論者です。まさに被災者が農地を手放してくれたら好都合だと思っているわけですね。したがって、彼らは震災が起きたからこそTPP参加を、と主張しているわけです。
これだけ悲惨な震災にあったからTPP問題はなくなるだろうと思うのは甘い。逆です。むしろTPPを進める口実ができたと思っていますよ。しかし、TPPに賛成するということは、実は復興に反対することである、と認識する必要があります。
◇ ◇
今回の震災が見せつけたことのひとつは、共同体が大事だということです。その土地に定着して暮らしているということです。これは危機のときだけではなくてふだんから必要なことですが、これまではともすれば、そういった共同体に束縛されないことがいいことだという風潮でした。しかし、もし束縛されないことがいいことなのであれば、地震の多い日本列島に束縛されないで外国に逃げればいいということになる。実際、外国人は国外に逃げましたね。
その土地に束縛されない人間はその土地を復興させようとはしません。復興に取り組む人たち、危機のときに助けてくれる人たちとは、その共同体を、ここは自分の生まれた町なんだからここに住むんだと言う人たちです。
まさにその地域で暮らしているTPP推進論者が蔑む内向きで束縛された人たちだけが、復興を成し遂げるんです。その共同体を壊さないように守るのが国だということです。
【略歴】
京都大学大学院工学研究科 准教授・中野 剛志
(なかの・たけし)
1971年、神奈川県生まれ。1996年、東京大学教養学部教養学科(国際関係論)を卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。2000年より3年間、 英エディンバラ大学大学院に留学し、政治思想を専攻。2001年、同大学院より優等修士号(Msc with distinction)取得。2003年、同大学院在学中に書いた論文がイギリス民族学会(ASEN) Nations and Nationalism Prizeを受賞。2005年、同大学院より博士号(社会科学)を取得。経済産業省産業構造課課長補佐等を経て現職。著書に「考えるヒントで考える」「成長なき時代の「国家」を構想する」「自由貿易の罠 覚醒する保護主義」「恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることができるのか」など。