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【提言】変わろうニッポン 新しい時代の始まりへ 農民作家・山下惣一氏

・破滅の淵に立つ私たち
・経済が成長するほど人は不幸になった
・日本の土台は農山漁村
・「がんばろうニッポン」ではなく……

 今年の春休み、東京から孫娘2人が佐賀県唐津市郊外のわが家に避難してきた。東電福島第一原発事故のあと、東京の水道水から放射能が検出された旨の報道があった直後だった。
 「健康にただちに影響するレベルではない」。
 毎回同じ言葉を繰り返す官房長官談話よりも外国メディアの報道を信じる親たちが電話で依頼してきて「せめて子ども達だけでも」というので承諾した。
 駅まで車で迎えに行ったら、中学2年と小学5年の眼鏡の姉妹がリュックを背負い、両手に大きな荷物をさげて改札口を出てきた。その姿に私は60年以上も昔の「学童疎開」を思い出した。

◆破滅の淵に立つ私たち


 今年の春休み、東京から孫娘2人が佐賀県唐津市郊外のわが家に避難してきた。東電福島第一原発事故のあと、東京の水道水から放射能が検出された旨の報道があった直後だった。
 「健康にただちに影響するレベルではない」。
 毎回同じ言葉を繰り返す官房長官談話よりも外国メディアの報道を信じる親たちが電話で依頼してきて「せめて子ども達だけでも」というので承諾した。
 駅まで車で迎えに行ったら、中学2年と小学5年の眼鏡の姉妹がリュックを背負い、両手に大きな荷物をさげて改札口を出てきた。その姿に私は60年以上も昔の「学童疎開」を思い出した。
 私たちの同世代は戦争末期、都会の空襲や食料難から逃れるために都市部の児童の多くが農村へ避難した。これを「学童疎開」といい、集団での避難が「集団疎開」だ。親たちはさておき、次の世代を担う子ども達だけは生かしたいというまっとうな親心、人間の心、社会の精神があった。ところがいまは状況が違うのだ。
 東京からはるばる避難してきた母のふるさとのわが家は、実は九州電力玄海原発の10キロ圏すれすれの位置にある。加えて村にひとつしかない川の源流には産業廃棄物最終処分場が稼働中という場所になっているのだ。
 つまり「東京が危ない!」と避難してきた田舎はもっと原発の近くだったというブラックジョークである。原発から300キロ以上離れているのは北海道の網走地方と沖縄だけだという。このまま進むならいずれこの国には避難する場所はなくなるだろう。
 周知の通り高速鉄道と原発の輸出は日本の新成長戦略の要に位置づけられている。もし仮に日本企業による原発が中国沿岸部にずらりと並び、交互に想定外のトラブルを起こしたとしたら、上空を覆う放射能によって日本は人の住めない国になる。日本発の破局のブーメランである。とりわけ黄砂現象がひどかったこの春、上空を見上げながら私は本気でそう考えた。食の安全安心や地域振興どころの話ではない。私たちは破滅の淵に立っている。今回の原発事故が教えたのはその事実ではないのだろうか。

 

◆経済が成長するほど人は不幸になった


 そして、そのことは私たちが生きてきたこの半世紀、経済成長の犠牲にされてきたものが自然環境や命というもっとも大切なものだったことを示している。経済は損得の問題だが環境や食料は生死の問題である。これを混同し、むしろ経済を上位に置いてきた。第一次産業の苦境と衰退はその帰結である。
 私の住む村の半分は漁師で、当然、親戚や友人知人も多い。漁村の疲弊は農村よりも早く、より深刻だった。乱獲の問題もあるが、それ以上に水産物の輸入が漁民を追いつめた。
 日本列島の主要な海岸線の総延長は3万2000キロ、漁港数が約3000、およそ10キロにひとつの漁港があり、排他的経済水域や領海を含めると世界第6位の海洋国だとされる。その海にかこまれた日本が水産物の輸入では金額ベースで世界第1位、バブルのころは世界の貿易量の27%を買い占めていた。平均関税率は4%だ。
 漁師が減って輸入が増えたのではない。その逆である。昭和63年には50万人いた漁業就業者は20万人に減り、半分が60歳以上だ。食えなくなった漁村が原発経済に依存せざるを得なくなった構図がある。54基の原発は列島をぐるりと囲む海岸線に立地している。
鍬ヶ崎小学校から宮古湾をのぞむ 一方、山村はどうか、日本の国土の67%が山林で、その40%およそ1000万haが造林面積だと林業白書にある。昭和39年東京オリンピックの年に木材が自由化され25%の関税がゼロになり、世界中から安い木材が殺到した。90%あった自給率は18%まで低下し、山村は暮らしの土台を失った。限界集落への第一歩だった。元気を失った山村にやってきたのは「産業廃棄物処分場」だ。
 山と山の間には谷川が流れている。私たちの若いころまでは、田んぼの落水が終わるとその谷川の水を飲んでいた。何代にもわたって飲んできた清潔な谷川の水は飲めなくなり、水道の蛇口に浄水器をつけ、ペットボトルの水を買って飲むようになった。これが経済成長のメカニズムである。それゆえ、経済が成長するほど人は不幸になる。
 敗戦後、戦後復興は植林から、と国をあげての大合唱によって植えられた杉や桧は伐採期を過ぎ、毎年花を咲かせ、花粉を飛散させて花粉症の発生源となっている。さながら造林に汗を流した先人たちの怨霊が乗り移って子孫に報いているかのようだ。

(写真)
鍬ヶ崎小学校から宮古湾をのぞむ

 

◆日本の土台は農山漁村


 農業もまた然りである。昨年の農林業センサスによって、農業就業者数が260万人、平均年齢65.8歳と発表された。国民100人の食を2人で担っている勘定になる。よく頑張っていると褒められるべきだろう。
 ところが「GDPの1.5%の農業のために残りの98.5%が犠牲になっている」旨のお粗末な発言をする大臣がいたり、「自由化がなくてもいずれ農業は立ち行かなくなる」とあろうことか総理の耳を疑うような談話が報じられたりする。
 勘違いしないでもらいたい。相次ぐ自由化で立ち行かなくなったのであって「自由化がなくとも」ではない。農産物の純輸入では依然として日本は世界1位である。
 それもこれも農業に産業としての国際競争力がないからだと主張する人たちがいる。しかし、頭を冷やしてよく考えてみてほしい。日本は山国で耕地は国土の13%しかない。耕地はせまい、地価は高い、労賃も高い、肥料も農薬も資材も高い。それなのに出来た農産物は国際価格で、という。これは無理難題、難くせというものである。それができないから企業は海外へ転出していくのではないか。 第1次産業は国内から動くことはできない。究極の国内産業であり地場産業なのだ。と、まあ、この国で半世紀以上百姓をやっていると、長い間の愚痴や怨み節が次々と吹き出してくるわけである。
 私は思うのだ。もとより経済は大事、貿易も大事、国際協力も友好も交流も大事である。しかし、それもこれもわが家あっての話だろう。再びあってはならないことだが、あの敗戦のとき外地からの引揚げ者は700万人とも800万人ともいわれ、そのほとんどが絆にすがって農村に寄留し飢えをしのいで再起を図った。これがたった60年前の日本人の実体験なのである。一朝有事の際に日本人が帰ってくるところは、結局、日本しかない。農山漁村はその土台である。月夜もあれば闇夜もあるぞ。第1次産業をもっと大切にしておくべきではないのか。私は執拗にそう問わずにはいられない。

 

◆「がんばろうニッポン」ではなく……


 さて、未曽有の大震災と原発事故はいまを生きている日本人の価値観に大きな衝撃を与えたことは間違いない。ひとりひとりの生き方、国のあり方が問われていると多くの人が感じている。
 「ひとつの時代の終わり」と定義する人もいる。ただひたすら成長・発展を金科玉条としてひた走ってきた時代の終焉という意味であろう。私もそう思う。
 ところが一方には「懲りない面々」がいて「それでも原発は必要だ」「貿易は日本の生命線だ」「震災復興のためにもTPP参加を」などと声高に主張している。原発推進もTPP参加も経済成長のための車の両輪で、どちらも手放せないというわけだろうが、その結果が成長神話、安全神話の崩壊である現実には目を閉じている。
 だから、メディアや巷にあふれているのは「がんばろうニッポン」コールである。つまり、この受難に耐えて、がんばって、早く以前の路線に立ち戻り、より大きく強いニッポンを再興しようというメッセージだ。
 人としての生き方が問われていると受止めている人たちの願いは「がんばろうニッポン」ではなく「変えようニッポン」「変わろうニッポン」ではないのだろうか。私はそうだ。原発を止めるためならエアコンをやめて庭先に打ち水をし縁側での団扇パタパタで過ごすし、TPP参加には断固反対だ。原発推進とTPP参加は同根であり破局へ向かう車の両輪だと考えている。
 「ひとつの時代の終わり」は新しい時代の始まりでなければならない。では、いかなる未来を目指すのか。
 米国発のグローバリーゼーションから20年。国境なき競争、優勝劣敗、弱肉強食、勝ち組負け組……などひたすら競争に明け暮れ、追い回されて、みんな疲れ果て、とりわけ若者には職も希望も未来もない社会となってしまった。この道をさらに進むのではなく、成長よりも安定、拡大よりも持続、競争よりも共生を目標にできないものか。カネが中心の世の中から人間が主人公の社会への転換である。つまり「変ろうニッポン」である。
 共通の理念としては「1人は万人のために万人は1人のために」の協同組合憲章だろう。ともすれば形骸化し、絵空事のイメージの時代も長かったが、いま、まさにこのフレーズは鮮烈であり、万国、万民の共通の旗印となり得る。グローバリーゼーションの対抗軸としてこれ以外にはないと私は考える。
 おりしも新設された福島県の「県復興ビジョン検討委員会」(鈴木浩座長)はその基本方針に「原子力に依存しない社会作り」を掲げたと報じられている。当然のことだろう。「変ろうニッポン・脱原発から」これを合言葉に協同の力で新しい未来を拓いていきたいものである。


山下惣一氏【著者紹介】
農民作家
山下惣一

やました・そういち 1936年佐賀県唐津市の農家の長男に生まれる。中学卒業後、家業の農業に従事、現在に至る。農業の傍ら文筆活動を続ける。著書に「農業に勝ち負けはいらない」「身土不二の探究」ほか多数。山形県川西町の生活者大学校(劇団こまつ座主宰)教頭、農民連合九州・共同代表、アジア農民交流センター代表などを務める行動派農民作家。

 

(2011.07.27)