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【提言】持ってほしい、危機意識  中野剛志・京大大学院准教授

 本紙編集部より、「農業、農村、農協への期待」というテーマでの執筆を依頼されました。私は農業については全くの素人なので、その任にふさわしいとは思えませんが、最近、TPP(環太平洋経済連携協定)に対する反対論を展開している関係で、各地の農協から講演を依頼されるようになり、農協と少しお付き合いするようになりましたので、そうした経験から感じたことを書くことにします。

中野剛志・京大大学院准教授 そもそも、農業とは縁もゆかりもなかった私がTPPに反対し始めたのは、農業が心配だからというよりは、TPP推進論があまりにデタラメだったためだからに過ぎません。私自身は、TPPへの参加によって直接的な被害を受けるわけではありません。また、マス・メディアやTPP推進論者たちが、しきりと日本の農業や農協のあり方を批判していることは知ってはいましたが、何が論点なのかについては、何も知らず、知る気もありませんでした。
 しかし、TPPへの参加が国益を大いに損なう可能性があると考えられる以上、一国民として黙っているわけにはいきません。それで、TPP反対運動を展開している農協の方々と接触する機会をもつようになりました。しかし、正直に言って、農協の危機意識の低さには多少驚かされました。
 もちろん、組合長クラスの方は皆、かなり事態を深刻に受け止めていました。しかし、それ以外の方々、特に年配の方々からは、「本当にTPPを自分たちの問題として真面目に考えているのだろうか」という印象を受けることが少なくありませんでした。

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 具体的に申し上げましょう。私は本年3月に『TPP亡国論』という本を出版していますし、それ以前からもインターネットの動画や新聞記事などで自説を発信してきました。また、拙著以外にも、多くの優れたTPP反対論の本がたくさんあります。私の講演での話は、たいてい、これらの本や記事などの内容を繰り返しているだけなのです。ところが、聴衆の反応を見ると、私の話に驚いている風がみられました。つまり、TPPについて自分で何も調べないで、講演に来ているのです。
 TPPについては、昨年秋から、東日本大震災で一時期中断したとはいえ、およそ一年にわたって世間を賑わせてきました。その最大の被害者となる可能性があるのは、もちろん農家です。にもかかわらず、農協の集まりに来て講演を聞くまで、新聞情報以上に、ほとんど何の知識ももっていないといった様子なのです。これは、一般組合員に限らず、理事クラスの集まりでの講演でも、そんな感じでした。
 同様の話は、別のTPP反対論者からも聴きました。この方は、医療関係や法律関係の団体に比べて、農協は勉強が足りないと嘆いておられました。
 もっと驚くべき経験をしました。APECハワイ会合を間近にし、TPP問題が再び緊迫し始めた十月のある日、私はある県の農協中央会の理事たちの前で講演をしました。講演終了後に喫茶室で休んでいると、理事の一人が近づいてきました。この方は、私の講演の言葉づかいを批判した後(まあ、確かに私の物言いは乱暴ですが)、農林水産省の補助金行政が無駄だという批判をし始めました。そこで、私は「それはそうかもしれないが、だからTPPに参加して農業を効率化せよというのが推進論者の論理ですよ。そんな論理に乗ると負けますよ。そんなことを言っていないで、私と戦ってくださいよ」と応じました。すると、この方は私にこう言ったのです。
 「いや、あんたは戦ってはいない。戦っているのは、わしらだ。」
 私は驚きました。そもそも、単なる大学教員の私とは違って、利害関係者の農協が戦うのは当然であって、偉そうに言うような話ではありません。ですが、今は、TPP反対派は圧倒的に不利な情勢にあり、農協としては味方を一人でも増やすべき状況にあるのです。そういう認識があったら、普通は、遠くから駆け付けた味方のやる気を削ぐようなことは言わないでしょう。要するに、この理事の方は、ここまで追い詰められてもなお、危機感がまったくないのです。

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 このエピソードだけから農協全体を類推するのは、もちろん公平ではありません。しかし、この不愉快極まりない経験は、政治や行政の庇護によって甘やかされて増長し、政治や行政の批判ばかりしている自立心のない農協という、TPP推進論者が作り上げたイメージに説得力を与えるものだったのも確かです。
 もちろん、だからといって農協を批判するつもりはないし、某元農水官僚と違って、農協憎しでTPPに賛成するなどということもありません。そもそも、私は農協とは無関係に、自分の問題意識からTPPに反対しているのです。また、農協は、多少の問題があったとしても、やはり日本の農業にとって必要な大事な組織だと思います。しかし、私は、農協に対する期待は特にありません。誰かに期待するような自立心のなさこそが、私が最も恐れるものだからです。

(2011.11.02)