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【提言】日本社会における協同組合の果たしてきた役割  北海道大学名誉教授・太田原高昭

・協同組合のルーツ
・総合農協の必然性
・共同体と総合農協
・日本大震災の教訓

 今年は国際協同組合年であり、あらためて協同組合の存在理由や実績が問われている。わが国ではだいぶ前から農協批判が盛んであり、最近では総合農協を解体して欧米並みの専門農協にしなさいというところに論点が絞られてきているようにみえる。
 こうした主張が「この国のかたち」をアメリカ好みに変えようとするTPPがらみの策謀であることも次第に明らかになってきているが、意外に同調する人がいるのは、協同組合のルーツについての理解とも関係しているので、迂遠でもその点からみていきたい。

日本型総合農協のあゆみと実績


◆協同組合のルーツ

北海道大学名誉教授・太田原高昭 今年は国際協同組合年であり、あらためて協同組合の存在理由や実績が問われている。わが国ではだいぶ前から農協批判が盛んであり、最近では総合農協を解体して欧米並みの専門農協にしなさいというところに論点が絞られてきているようにみえる。
 こうした主張が「この国のかたち」をアメリカ好みに変えようとするTPPがらみの策謀であることも次第に明らかになってきているが、意外に同調する人がいるのは、協同組合のルーツについての理解とも関係しているので、迂遠でもその点からみていきたい。
 協同組合のルーツについては、ロバート・オウエンやロッチデール組合などを元祖としてイギリスに発生し、それが世界に広がったという一元論がこれまでの理解だった。これでいくと農協についてもヨーロッパの専門農協が本来のすがたであり、日本型総合農協は進化の遅れた亜流だということになる。研究者にもそういう見方がかなり強い。
 しかし1980年のレイドロウ報告いらいの歴史研究の深まりによって、現在では国際協同組合連盟(ICA)も複数のルーツを認める多元論を採用している。内橋克人氏の言われるように「協同組合は人々の必要によって世界各地に生まれた」のである。
ICA第27回モスクワ大会が開かれたコスモスホテル 大原幽学の先祖株組合や二宮尊徳の仕法は、時間的にロッチデール組合に先行しているだけでなく、自由意志による参加、「心田開発」の主体形成、「いもこじ」による民主的合意形成など、自立した個人に立脚する協同組合としての要件をすでに備えていた。
 明治になってからも、ドイツの信用組合法を下敷きにした産業組合法が施行される以前に、生糸や製茶の先進地では輸出商人の買い叩きに対抗する加工販売組合が叢生していたし、多くの信用組合が報徳社を基盤として結成されたことも歴史的事実である。
 協同組合とその思想を輸入品や外来思想とみて、それを本家に近づけるのが進歩だとする思い込みから脱却し、わが国における内発性や必然性を重視することによって、農協のあり方についても確固とした信念をもつことができるのではなかろうか。

(写真)
ICA第27回モスクワ大会が開かれたコスモスホテル


◆総合農協の必然性

 わが国において専門農協か総合農協かという問題が生じたのは今回が初めてではない。そもそも戦前の産業組合法自体が、信用組合、販売組合、購買組合、利用組合のいずれか一つ、またはいくつかを選んで設置するようになっていた。いわば事業別専門組合の組み合わせとして産業組合が構想されていたのである。
 しかし実際の組合は専門化ではなく総合化の方向に向かった。産業組合が大発展するのは昭和恐慌の時期からだが、「四種兼営・全戸加入・未設置町村の解消」をスローガンとしたこの時期に、現在の総合農協の原型ができる。
 この形が上からの統制に便利だったからという見方もあるが、自給的農業を基礎に共同体的集落を形成してきた日本農民の営農と生活のあり方が、顔のみえる範囲内で何でも用の足りる総合組合を必要としていたことがより規定的であろう。産業組合法をつくった官僚の頭にあったヨーロッパ的な専門志向を日本的現実が修正したといえよう。
 戦後の農協法の制定に際してもこのことが重大な論点となった。占領軍、GHQは経済民主化の必須条件として協同組合政策を重視したが、農協については当然のように欧米型の専門方式を構想していた。農林省はそれが日本の現実に合わないとして抵抗し、8次案にも及ぶやりとりがあった末に総合農協方式で決着したという経過があった。
 農地改革以上に調整が困難だったというこの問題で、専門農協しか知らないという意味で根っからの専門主義者だったGHQが妥協せざるを得なかったことは重要である。ヨーロッパの専門農協は、独立自営農民200年の歴史をふまえその一定の経営的地域的分化を前提に成立したものであるが、農地改革当時のわが国にはそうした前提がなかったのだ。 総合農協を解体して「信・共専門農協」などに再編せよと主張し、総合農協制度の採用を「戦後農政最大の失敗だった」などと言う元農水官僚がいるが、こうした歴史を無視することは、GHQとわたりあった農林省の先人たちの努力を冒涜するものであろう。


◆共同体と総合農協

 このような総合農協の内発性、あるいは表現は適切でないが土着性は、農村における共同体的諸関係の伝統と結びついている。共同体的諸関係というと、かつては封建制の代名詞のように否定的にみられたが、そういう時代はずっと以前に終わっている。
 現代において共同体的関係と言われるものは、水田農業に欠かせない水利機構や共同作業、集落や地域社会の近隣共助や相互扶助など、農村社会での営農と生活を維持するうえでむしろ積極的な意義をもつ諸機能が、近代化のふるいにかけられて残ったものといえよう。そしてこのような諸機能を、協同組合という近代的組織にうまく組み込むための最適の組織形態が総合農協であったと考えられる。
 このような特性をもつ総合農協は、戦後日本の複雑多岐な農業情勢にきわめて柔軟に対応してきた。基本法農政下の主産地形成の担い手として、総合農協よりも専門農協の方が優れているのではないかという議論がなされたことがあったが、総合農協も成長農産物の量的面的拡大にみごとに対応し、専門農協に負けない産地形成の実績を挙げてきた。
 総合農政下の主要な課題であった生産調整は、もともと市町村行政が責任をもつものとされたが、間もなく行政は農協に丸投げするようになる。耕地や水利が複雑に入り組んだなかでの減反や転作の実施を最終的に調整できるのは集落だけであり、その集落機能を農事実行組合を通じて掌握しているのが全員加盟の総合農協だからである。この頃から行政は集落を意識するようになり、共同体機能の再評価が始まる。
 国際化農政と言われるウルグアイ・ラウンド以降の市場開放政策によって、日本農業は厳しい状況に追い込まれ、全国的に農家、農業労働力の減少と高齢化が続いているが、個別農家によっては担いきれなくなった地域農業の担い手として「集落営農」という新たなかたちが注目されるようになった。
 集落営農は、品目横断的経営安定対策など農政の受け皿として位置づけられているが、もともとは集落内部から自主的、創意的に形成され、それを農協が育て上げたものである。このような地域ぐるみのソフト事業こそ総合農協が最も得意とする分野なのである。


◆日本大震災の教訓

 東日本大震災以降、日本人の価値観が変わってきたといわれる。競争原理的な人と人の関係に代わって、助け合いや絆という共同体的人間関係が重視されるようになってきた。まさに協同組合の出番であるが、こうした価値観の転換には大震災の被害にすばやく対応した農協や生協の活動実績もおおいに貢献しているように思われる。
 とりわけ被災地の農協の不眠不休の活動は高く評価されている。当初各地の避難所は農協女性部の炊き出しで維持されており、それに必要な米や野菜は周辺の農家の拠出でまかなわれていた。行政の活動も、被災者を組合員、準組合員として組織している農協や漁協の情報に頼ることが多かったという。
 その後の生産活動の回復、風評被害と闘いながらの販路の回復、政府や電力会社を相手取った復興のための諸要求など、取り組むべき課題はまさに総合的なものであり、地域ごとに全農家が加入する総合農協でなければ対応できないことばかりである。あらためて地域に農協があってよかった、総合農協でよかったという声が聞かれるようになった。
 復興に欠かせない仕組みとして保険、共済制度があるが、地震や津波の自然災害に際しては、かねてからJA共済の加入者本位の仕組みが注目されてきた。今回の被害に対してもJA共済の保障実績は一般の保険会社にくらべて圧倒的である。この共済の優位性を抹消するのがTPPのねらいの一つとされるが、そこにもTPPの反国民性が示されている。
津波被害にあった岩手県釜石市鵜住居地区 大震災からの復興についても大資本を導入して大規模農業や漁業を作り出す絶好のチャンスという人がいるが、こうした発想そのものがいま反省されているのだということを知らなければならない。荒涼とした無機的な新自由主義的風潮に代わって、人と人との絆を大切にする協同の精神がこれからの日本を支えなければならないが、それだけではない。
 地球はやがて人口90億時代を迎えるといわれている。これに対処するには最も人口が増加しているアジア、アフリカでの農業生産力と農協の発展がどうしても必要となる。国際協同組合年にはそうした問題意識も込められているが、これらの地域に適合的なのはおそらく欧米型専門農協ではなく、日本型総合農協であろう。こうした視角から世界をみつめ積極的に国際貢献していくことが必要になっている。

(写真)
津波被害にあった岩手県釜石市鵜住居地区

 

【略歴】
(おおたはら・たかあき)
昭和14年福島県生まれ。38年北海道大学農学部卒業。43年同大学大学院農学研究科単位取得。同年北星学園大学経済学部、46年北海道大学農学部に勤務。52年同大学助教授、平成2年教授。7年日本協同組合学会会長。10年日本農業経済学会会長、11年より北海道大学大学院農学研究科長、農学部長、15年退職。農学博士。

(2012.10.05)