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この人と語る21世紀のアグリビジネス

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プロ農家に信頼されて100年 農薬効果もある肥料・石灰窒素  電気化学工業株式会社取締役兼常務執行役員化学品事業部長 小野健一

・化学肥料を国産化するために創立される
・あらゆるシーンで社会を支える多彩な事業展開
・大震災復興で全社あげてのボランティア活動も

 電炉で化学製品をつくるカーバイド化学のパイオニアとして創立された電気化学工業株式会社は、近々創立100周年を迎える。創立以来の製品である石灰窒素は殺虫・殺草の効果もある肥料として、この100年近く多くの生産者に愛されてきた。同社の歴史と今日の事業について小野健一取締役兼常務執行役員化学品事業部長に、本紙論説委員・坂田正通が聞いた。

◆化学肥料を国産化するために創立される

取締役兼常務執行役員化学品事業部長 小野健一氏 ――御社は2015年に創立100周年を迎えられますが、御社の基礎を築いたのは石灰窒素ですか。
 「1915年(大正4)に、社名にもありますように、水力発電で得られた電気をエネルギー源として、石灰石とコークスを焼成し、カーバイドとその誘導品である石灰窒素の生産を開始しました」
 「カーバイド製造の技術は、藤山常一博士が1902年(明治35)に日本で初めて開発され、さらにカーバイドから石灰窒素を製造する技術を国内で初めて導入され、1912年(明治45)に苫小牧に北海カーバイド工場を開設されますが、それを譲り受けて、当時、輸入が多かった化学肥料を国内で生産するために、わが社が創立されました」
 ――その後、何カ所か工場をつくられますね。
 「最初の自社工場は1916年(大正5)の大牟田工場(福岡)です。その後、1921年(大正10)に青海工場(新潟)を開設しています」
 ――発電所を持っているのですね。
 「水力発電所のある近くに工場を開設していましたが、自前でも発電所をもっており、今でも使用電力の3割は水力、2割が火力で、合わせて5割を自家発電でまかなっています」
 「カーバイド法で石灰窒素を製造していますが、1トンのカーバイドをつくるのに3000KWという大量な電気が必要です。そのためか、いまではカーバイドを製造しているのはわが社と四国の東洋電化さんだけになってしまいました」
 ――石灰窒素は大変に優れた肥料ですね。
 「石灰窒素は、一番最初の窒素系の化学肥料ですが、他の肥料にはない、殺虫・殺草という『農薬効果ある肥料』ということで、いろいろな使い方ができると根強いご支持があります。とくにプロ農家には、肥効調整型肥料として絶大の信頼をいただいています」


◆あらゆるシーンで社会を支える多彩な事業展開

 ――御社は、これ以外も非常に多くのものをつくられていますね。
 「“あらゆるシーンで社会を支えるデンカグループ”といっていますが、カーバイド化学を基礎に培った技術から発展して電子材料事業、スチレン事業、セメント・特殊混和材事業、生活・環境プロダクツ事業さらにメディカルサイエンス事業など、多彩な事業を展開しています」
 「会社としては、当初は肥料をコアに発展をしてきましたが、現在は売上げでは肥料は数%しかありません。石灰窒素の需要そのものも、化成肥料がでてきたこともあってピーク時からみれば半分以下です」
 「しかし、石灰窒素は地力が弱くなれば必ず必要になる肥料ですから、なくなることはないと確信しています」


◆大震災復興で全社あげてのボランティア活動も

 ――東日本大震災の復興事業にも関わっているようですね。
 「私は、わが社の災害復興支援整備事業の本部長にもなっています。わが社がもっている素材で復興のお役に立てるのは、セメントとか、世界一といえるセメントに混ぜて早く固めたり、強度を強くする特殊な混和材など土木建築関係資材があります」
 「肥料でも腐植酸苦土肥料の『アヅミン』という土づくり肥料があります。これは津波などによって塩害を被っている土地でも、除塩した後にこれを混ぜると少々ナトリウムイオンが残っていても、作物に影響を与えないようにカバーしてくれる素材です」
 「雨樋とかポリエチレン樹脂製の排水管『トヨドレン』が水田の排水用に使えるのではないかと思っています」
 ――ビジネスだけではなくボランティア活動も…
 「会社として大震災直後から全社的なボランティア活動を行ってきていますし、今後もご要望がある限り、続けていきます」
 「早く田畑が復興して農業が活発にできるようになっていただくことが一番ですから…」
 ――ビジネスとしては多少手応えがありますか。
 「早いのは土木関係でも使える仮排水管とか、土木関係者の宿舎や仮設住宅に雨樋とか排水管とかがあります」
 ――農業では…
 「農業は農地の整備が遅れているので、もう少し時間がかかると思います。津波で全部流されていますから、まず道路から整備しなければなりませんし、大規模化という話も一方にはあり、野菜工場とかも計画されていますから、農業も東北から変わるのではないでしょうか」


◆中国の大学と石灰窒素で実証比較試験を

 ――もう一度、肥料の話に戻しますが、『とれ太郎』というりん酸質肥料がありますが、ネーミングがよいので伸びていますか…
 「水稲には珪酸が必要で、ケイカルが一番使用されているのですが、量を撒かないといけないので、生産者が高齢化するなかでは少ない量で効果がある質の良い珪酸肥料というニーズに『とれ太郎』があっているということで、かなり伸びています」
 ――『ようりん』は輸入ですか?
 「いえ、100%子会社の日之出化学に集約して製造しています。中国のようりんについては、中国国内でも必要だということで輸出を制限する政策を中国政府がとり、現在82%の輸出税がかかりますので、一緒にやることは難しいですね」
 ――石灰窒素を中国に輸出したらどうですか。
 「農業では、硫安とか化成肥料を使い、石灰窒素はあまり使わないそうです。土づくりをして孫子の代まで美田をつくり継続させるという思想がないようです」
 「最近は、富裕層で増えてきていますが、彼らは質の高いものを求めますから、これから石灰窒素が中国でも関心が高まるのではないでしょうか」
 「中国の大学とは、石灰窒素の普及に役立つような実証的な比較試験を行っています」
 ――マーケットも大きいですから…
 「夢がありますね」
 ――TPPについてはどういうご意見をおもちですか。
 「私どもは関税障壁のない、同じ土俵で勝負したいという気持ちがあります。農業についても”避けて通れない”のではないかと個人的には思っていますし、日本の農業は負けないのではないかとも思っています。
 とくに大震災で大きな被害を受けた宮城県では、特区かもしれませんが、実質的には来年でしょうが、世界と戦える農業の基盤がモデル的にできるのではないかと考え、期待しています」
 「日本でも農業を担い戦っていこうという若手の起業家が出てくると思います」
 ――今日はありがとうございました。

【プロフィール】
おの・けんいち 1949年新潟県生まれ。1972年明治大学法学部卒、同年電気化学工業(株)広報課入社。79年セメント事業部へ異動、88年富山支店セメント課長、同年本社セメント事業部営業推進課長、96年新潟支店セメント課長、97年同支店次長、98年同支店長、2001年本社セメント事業部次長、02年セメント事業部長、03年デンカポリマー(株)専務取締役営業本部長、04年同社社長、06年電気化学工業(株)取締役樹脂加工事業副本部長兼デンカポリマー社長、07年同社上席執行役員兼デンカポリマー社長、10年取締役に就任し取締役・常務執行役員化学品事業部長兼デンカケミカルズGmbh担当、現在に至る。

 


インタビューを終えて

 石灰窒素は製造から100年を超える。その原料は、石灰石とカーバイドである。小野常務の故郷は石灰石を産出する黒姫山のふもと、新潟県糸魚川市、デンカ青海工場の近くで生まれ、育った。青海工場には水力発電所も併設、ほぼ自家資源で肥料製造が可能である。小野さんはセメント部門出身だが、現在は化学品も掌握、全社の売り上げ26%の責任を持つ。肥料は5%。小野さんの信条はオネスト・イズ・ベストポリシイという。嘘をつくとつじつま合わせに困る。若い社員への訓示も同じ。趣味は、テニス、ゴルフなど。住いが千葉県柏市なので、ゴルフ場が近い。仕事関係より同級生や若い社員などとのお付き合いを楽しむ。お子さんは女・女・男の3人、うち2人は所帯を持ち独立、1人は同居、キャリアウーマンの娘さんは、たまたま同じ日本橋のビルに通勤。奥様との3人暮らし。
(坂田)

 

           インタビュアー坂田正通(本紙論説委員)

(2012.06.11)