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この人と語る21世紀のアグリビジネス

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農業現場のニーズに応えるきめ細かな生産・流通を  コープケミカル株式会社相談役(前社長) 三浦政義

・肥料価格が大きく変動するリスクを実感
・奇跡的に被害が小さかった大震災
・創立25周年で悲願の配当を実現する

 戦後の食料増産時代を含めて日本農業を支えてきた大きな柱の一つに化成肥料がある。コープケミカル(株)の歴史はその前身である東北肥料を含めて、日本の肥料産業の歴史ともいえる。海外肥料原料のかつてない高騰や東日本大震災という予想もしなかった自然災害など、激動ともいえる時期にコープケミカル(株)の社長を務められ、この6月に相談役にひかれた三浦政義氏に現役時代の思い出や日本農業について語っていただいた。聞き手は本紙論説委員の坂田正通。

◆肥料価格が大きく変動するリスクを実感

コープケミカル株式会社相談役 三浦政義氏 ――今年6月に社長を退任されましたが、何年間コープケミカルの役員を勤められたのでしょうか。
 「平成17年12月に参与として就任し、翌年の株主総会で専務に就任し1年務め、その後社長を5年間勤めました」
 ――在任中は激動の時期でしたが、長年無配だったのを配当を実施されるなど実績をあげられましたね。
 「巡り合わせともいえますが、予期せぬ事態に遭遇することが多かったという感じですね。平成20年には肥料原料価格が歴史的な高騰をし当社も始まって以来の好決算でしたが、その反動というか後遺症で翌年は販売数量が一気に3割近くも落ち込みました」
 「肥料価格はここ30年近く大きな変動はありませんでしたが、大きく変動する時代になり、それによる経営リスクを身をもって認識させられたという気がしています」
 ――その原因は…
 「世界的な原料価格の高騰です」
 ――一番上がったのは何ですか。
 「カリ、リン鉱石で3倍くらい上がりましたので、国内価格も6割強値上がりしました。石油ショックのときでも製品価格の値上がりがせいぜい30数%でしたから…」
 ――原料高騰の原因は…
 「世界的に食料在庫が減ってきていることと、リーマンショックによって金余りになった投機資金が流れ込んできたことではないですか」

 

◆奇跡的に被害が小さかった大震災

 ――そして東日本大震災で被災された…
 「宮古、八戸という津波被害が大きかった地に工場がありました。それと石灰窒素水和造粒品にメラニンが含まれていたため製品を自主回収するという問題が同じ時期に起きました。そういう意味では振れの大きかった6年だったといえます」
 ――大震災では相当な被害を受けたのですか。
 「宮古では港に置いてあったタンク類が損傷しましたが、先人の知恵でやや高いところに工場が設置されていたおかげで、奇跡的に宮古も八戸も工場自体はほとんど被害はありませんでしたし、製品や原料の浸水被害もありませんでした。業界全体では甚大な被害を受けていますので、素直には喜べませんが、会社としては運に助けられた、あるいは天に生かされたというべきかもしれません」

 

◆創立25周年で悲願の配当を実現する

 ――話が戻りますが、配当をしたのは…
 「社長に就任した平成19年度決算において、当社発足25周年の記念配当をしました。翌年度もよい決算ができましたので2年連続で配当することができました」
 「最初の配当には紆余曲折がありました。当社が昭和58年に、東北肥料、サン化学、ラサ工業、日東化学を統合して発足して以来、合理化の連続でしたので慎重論もありましたが、配当することは当社の長年の悲願でしたし、会社の将来を考えれば“いずれ配当を”と空念仏ばかり唱えているわけにはいかないのではないかという思いで実施に踏み切りました」
 ――この4月から新たな中期3カ年計画がスタートしたそうですが、その柱は…
 「今回の大震災を契機に、改めて地域に根ざし、地域から信頼される自立した企業をめざすということを、4月からスタートした中3計画『バリュー26』で掲げました」

 


◆地域に密着した存在意義を改めて認識した

 ――震災復興対応としてはどのような取組みを…
 「震災復興には10年以上かかると思います。そのなかで当社として何ができるのか検討していますし、何らかの形で貢献していきたいと考えています」
 「それに役立つ資材をもっていますので、手始めにできるのは除塩対策です。少し手を加えれば除塩に役立つであろう資材もあります。そして、宮古では高台にあり被害を受けなかった社宅を一時避難所として開放しましたが、がれきの処理や遊休地を提供し宅地などに活用していただければと考えています」
 「宮古も八戸も工場を設置して長いわけですが、今回の大震災は、地域に密着した存在意義を改めて自覚する契機になったのではないかと思います。そうした主旨を中3計画にも盛り込んだわけです」
 ――本業の肥料事業ですが、現在の概要はどうなっていますか。
 「当社売上げの4分の3が肥料で、年間およそ20万tですがそのうちの半分くらいが肥効調節型一発肥料とか農薬入り肥料、ペースト肥料とか有機入り肥料など機能性的化成肥料で、そのウェイトは年々高まっています」
 「こうした幅広い品ぞろえで現場ニーズに即した対応力に強みがあると思っています」

 

◆合理化との格闘肥料産業の歴史

 ――現場ニーズに対応して30年になる…
 「来年が30周年ですが、コープケミカルの歴史を振り返ってみると、前身である東北肥料を含めると、日本の肥料工業の歴史そのものといえます。昭和から平成元年ころまでは、肥料安定法や構造改善法とかがあり、法律に基づいた合理化を進め、その後は法律がなくなり輸入品がどんどん入ってくるようになり、絶え間なく合理化と格闘してきた歴史だといえます」
 「当社も平成10年と14年の2回大きな合理化をして、工場規模を縮小し大幅な人員整理を経て現在の姿があるわけです」
 「これが最終形ではないと思いますが、かといってなにがなんでも効率をあげればいいかというと、農業現場のニーズに応えるという意味では実態に合わない。きめ細かな生産・販売体制と経済合理性をどう調和させていくかが、当社のみならず肥料業界全体の課題だといえます」
 ――歴史的には肥料は日本の製造業の中心的な役割を担い、食料増産に貢献してきたわけですから…
 「これからは、立地条件からして、地元を無視しては成りたちませんから、ニーズを的確にとらえてそれにどう対応していくかだといえます」

 

◆兼業農家含めた集落営農でアジアの先進モデルに

 ――いまの農業とか農政についてはどうご覧になっていますか。
 「個人的な思いですが、私は山形県の酒田出身で、明治時代から米とナシの複合経営を続けてきた専業農家です。現在は弟が専業農家として後を継いでいますが、40戸ほどのこの集落で専業は2〜3戸で残りは兼業農家で、そのことで農業も集落も成立っています。だから、規模拡大とか企業参入といわれますが、私は集落あっての日本農業という思いが強くあります」
 「そして世界的に例をみないほど、栽培品目も栽培技術も多様化しています。同じ作物でも地域ごとに栽培方法は何通りもあるのが特徴であり強みだといえます。効率化を追求する大規模化農業は、こうした多様性農業とはなじみにくいので、日本農業の将来という意味では大規模農業は大勢にはならないと私は思います」
 「したがって日本農業は、兼業農家を含めた集落営農的なものを基本としたアジア型農業の先進モデルとして量よりは質、規模よりもブランド化を志向すべきだと思います」
 「いままでは農産物も大きなブランドにする方向でしたが、私は農産物のブランドは小さければ小さいほどいいと考えています。農家は均一化されることを嫌いますし、大くくりなブランドではありがたみも薄れますから…。そういう観点でJAがこれから果たしていく役割は大きいと考えています」

【プロフィール】
みうら・まさよし
昭和25年2月生まれ。山形県出身。48年慶應義塾大学法学部卒業。同年JA全農入会、平成6年大阪支所肥料農薬部肥料課長、12年本所肥料農薬部肥料課長、14年同部次長、15年同部長、同年コープケミカル(株)取締役(非常勤)、17年JA全農肥料農薬部長退任、同社参与、18年専務取締役、19年取締役社長、24年相談役。

 

インタビューを終えて

 コープケミカル(株)誕生から来年は30年になる。東日本中心に農業の中心的役割を果たしてきた。会社としては合理化の歴史であり厳しい時代だったと三浦相談役は振り返る。三浦さんの専務―社長時代が7年続いた。その間2度の大きな事件に出会う。一つは原料高騰とリーマンショック。平成19年度に肥料価格の高騰もあってコープケミカル(株)として初めて株式配当実施。翌年その反動で赤字に転落。二つ目が3.11東日本大震災だった。
 八戸、宮古、茨城の工場は被災地に立地している。運よく工場・倉庫への浸水や建物倒壊等の被害は免れた。高い立地に社宅があったのも幸い。会社全体で1億円程度の被害で済んだのは奇跡に近い。
 三浦さんは、山形県酒田市の米と梨農家の長男に生れる。40軒の集落のうち、専業農家は2〜3軒、家業は弟が継いでいる。盆には帰省して農村を観察し後継者問題等の実態を憂う。そこは映画「おくりびと」の舞台にもなった地域。好きな言葉は“局面の打開”、どう転換するかを考える。常時バランス感覚、ブレナイことを心がけて仕事をしてきた。趣味はゴルフと海釣り。息子は結婚し独立、娘は看護師で両親と同居、適齢期だがまだ嫁にやりたくないという。(坂田)

【著者】インタビュアー坂田正通(本紙論説委員)

(2012.10.19)