シリーズ

21世紀日本農業の担い手をどうするか-常識の呪縛を超えて-

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第1回 米政策から水田農業政策へ―日本農業蘇生への第一歩

・未曾有の転換期を迎えた日本農政
・農業政策の特性
・すでに始まっていた農政転換
・日本農業をめぐる基本問題とは何か

 日本の政治・経済・社会・文化が未曾有の転換期に差しかかっていることは多くの日本人に共通の感覚であろう。2008年の食料危機やそれに続く、100年に一度といわれた金融・経済危機はこうした感覚が現実に根ざしたものであったことを示した。そして09年の政権交代は転換期を意識した国民の選択の結果であったといってよい。
 "万機公論に決すべし"とした五箇条の誓文=マニフェストが発せられた明治維新から、それを実現する第一歩の帝国議会が開催されるまで実に22年の歳月を要した。鳩山首相は今回の政権交代を明治維新に次ぐ平成維新と名づけたから、総選挙マニフェストの実現は至上命令ではある。しかし、いくら時間が早く流れる時代になったとはいえ、4年間でマニフェストの全てが実現されるべきだと考えている国民は決して多数派ではない。絞り込まれた重要課題の実現に取り組みながら徐々に壮大な転換を実現することこそ国民は求めているのではないか。

東京大学大学院農学生命科学研究科・谷口信和教授◆農業政策の特性

 農業政策は、一方では安定性と継続性・持続性が最も求められる政策分野ではあるが、他方では旧政権下の農政だけではどうにもならない閉塞感が農村の現場や市町村・JAの関係者の間に充ち満ちていたこともまた現実である。農業政策は農業・農村という浴槽に予算=事業という水を満たして、これを湯に変える営みである。古い湯が入っている浴槽の湯を一気に全量抜いて、新しい水に入れ換えるのでは、中に入っている農民も消費者も風邪をひいてしまうことだろう。上から新しい水を注ぎ、下から古い湯を抜きつつ暖めながら、時間をかけて全量入れ換えることが求められているのである。


◆すでに始まっていた農政転換

 実は2009年度は政権交代以前に農政転換に関わる三つの政策方向が検討・実施段階に入る時でもあった。
 第一は、2010年3月決定予定の新基本計画である。審議に先立って示された08年12月の農水省提案「食料自給力・自給率工程表」は2020年の供給熱量ベースの自給率目標を50%に設定し、それまでの45%という目標を引き上げ、自給率向上に大きく舵を切ったと思われた。なぜなら、民主党が「農山漁村再生法案」において、法制定後10年で50%、20年で60%という高い自給率目標を掲げていたからである。しかし、計画策定部署の周辺から漏れ伝わってきたのは、「あくまで数字を示せばこうなるというものに過ぎず、上げるという意思表示ではない」という何とも理解不能な説明であった。政策審議会企画部会の議論もこの点に関しては決して熱が籠もっていたとは思えないものであった。
 第二は、09年6月の農地法改正で、民主党も賛成して成立し、すでに12月15日に施行されている。対象地域や農地に関する一切の制約を受けずに一般企業(個人もまた)が通常の農地賃貸借に参入できるようになったわけで、その影響はかなり大きいのではないかと推察される。換言すれば、今後の日本農業の担い手として従来とは性格の大きく異なる一般企業を認知したわけであり、農業構造政策は法人化重視に向けて大きな一歩を踏み出したのである。そして、こうした方向性は政権交代の前後を貫く共通のベクトルとなっていることが注目されるところである。
 第三は、米政策改革と品目横断的経営安定対策に基づく構造政策が2007年末から大転換し、新たな米生産調整政策と担い手政策に移行しつつあったことである。転換の直接の契機は2007年の参議院選挙における自民党の歴史的敗北であった。前者は食用米に限定されていた米政策を「水田フル活用政策」に集約される水田農業政策へと大化けさせ、後者は選別的な担い手政策を実質的に放棄させ、担い手の社会的認知を国から地域の自主性に委ねるものであったといってよい。この転換を歴史的な後退とみるか、前進とみるかで農業経済学者の立脚点は二分されるというべきであろう。
 すでに始まっていた以上のような政策転換が本物であり、歴史の流れに沿ったものだったならば、政権交代はあるいは不要であったかもしれない。にもかかわらず、農民はもとより多くの国民が旧政権に「ノー」と意思表示したとすれば、多くの国民が直感的にこうした政策転換にある種の「うさん臭さ」を感じていたからではあるまいか。それが雪崩を打った投票行動に結実したとみるのが自然ではないかと思われる。


◆日本農業をめぐる基本問題とは何か

 それでは政策転換の軸心に据えられるべき日本農業の基本問題をどう捉えたらよいのだろうか。筆者はそれを飽食(過剰)と飢餓(不足)の日本的併存構造の問題と捉えることにしたい。一方では、飽食が支配しているにもかかわらず、先進国で最低の供給熱量総合食料自給率(つまり実力としては飢餓状態)に止まっていることが指摘できる。他方では、狭小で山地・傾斜地が多いという国土条件の下で限られた耕地面積に止まりながら(耕地の不足=飢餓状態)、「農地」に占める耕作放棄地が9.7%、不作付け地が5.2%に達している現実(耕地の過剰=飽食状態)が対峙している。そして、こうした脆弱な食料供給基盤すら掘り崩しかねない担い手問題における危機的状況=農業構造改革の遅れ、そこに食料安全保障上の全問題が集約されるとみたいのである。だとすれば、全問題の解決の道筋は、到達点としての食料自給率向上、手段としての「農地」(とくに水田)の完全・高度利用、両者を結ぶ担い手問題の解決を同時的に遂行する以外にない。


◆旧政権の政策転換のどこに問題があったのか

 こうした視点からすると、旧政権下の政策転換には三つの重大な弱点があったといわざるをえない。
 第一は、食料自給率向上に向かう断固とした政策意志の不在である(官僚主義的対応)。第一次基本計画策定から10年が過ぎようとしているのに、相変わらず自給率の数字の取り方といった二義的な問題に終始している。他の先進国のどことも異なるわが国の食料自給率上の問題はひとえに供給熱量自給率が低いことに尽きているからである。
 第二は、自給率向上に向けた水田農業政策を軸とした体系性の欠落である(縦割り行政の欠陥)。米政策=食用米政策(旧食糧庁担当)と水田転作作物政策(旧農産園芸局担当)が独立に存在し、水田全体の包括的な土地利用を考えた水田農業政策が存在してこなかった。たしかに、農政転換にともなって水田における飼料生産が注目されることになったが、飼料用米の生産振興担当は生産局農業生産支援課であって、飼料用米の実需者である畜産経営のニーズや実情には疎い。また、飼料用米の加工・流通支援は総合食料局食糧部計画課が担当している。反対に、稲WCS生産振興を担当する生産局畜産部畜産企画課は畜産経営の実情には精通しているものの、飼料用米には関心を示してこなかったといった具合である。
 第三は、政策における継続性・一貫性・漸進性の欠如である(猫の目農政の欠陥)。旧政権末期における最良の政策選択は飼料用米の採用であった。だが、これほどに重要な政策を弄んでしまった感は否めない。
 2007年度補正予算の「地域水田農業活性化緊急対策」で初めて認知された飼料用米は、08〜10年産の三年間の試験栽培に対して10a当たり5万円の一時金を交付するものであった(1年では約1.7万円)。だが、07年12月末という政策決定の遅さが関連予算の執行率を22.4%という超低位に押しとどめた。現場では受け止めきれなかったのである。また、2009年3月27日に成立した09年度予算の「水田等有効活用促進対策」において飼料用米は09年産から毎年10a当たり5.5万円の交付が認められたが、先の緊急対策にいち早く対応した、農政に忠実な「先進的経営者」は馬鹿をみることになったといわざるをえない。さらに本予算成立からわずか2ヶ月後に成立した09年度補正予算の「水田フル活用元年」政策では「需要即応型生産流通体制緊急整備事業」の名の下に飼料用米に10a当たり2.5万円の追加助成が認められたほか、「飼料稲フル活用緊急対策事業」によって「飼料用米+稲わら活用」の場合にはさらに1.3万円の追加助成が行われることになった。だが、農政路線の重大な転換に関わる事業がこのような「緊急事業」の連発で仕組まれていることを冷静に理解することは容易ではないというべきであろう。


◆米政策から水田農業政策への転換

 にもかかわらず、先に暗示的に示しておいたように、このような「水田フル活用政策」への路線転換は日本農業の将来構想に関わる重大な内容を有していたことを指摘しておきたい。そのことを端的に示すために表を掲げた。この表の左半分は農水省が筆者の知るかぎり初めて、米という共通項に基づいて主食用米から飼料用米・稲WCS、さらにはバイオエタノール米まで、米の用途に関して現在考えられる全てについて包括的な作付状況を提示したものである。換言すれば、水田農業における米の可能性について、従来の食用米の殻を打ち破って全体像を示した初めての試みだったと評価したい。
 だからこそ、この表の右半分にドイツの小麦と日本の米を対比する形で、国内消費仕向量の構成割合を示した。ドイツと日本の構成上の対照的な差違は、日本の米の用途における食用の圧倒的優位と、ドイツの小麦の用途における飼料用の優位である。それは決して彼我の農業や食習慣上の構造差ではない。ドイツでも1846年から1913年に至る67年間の小麦の用途においては、たった5%だけが飼料用にすぎなかった。それが第二次世界大戦後の1960年には27.4%に上昇し、2005/06年度には53.0%にまで到達しているのである。肉類を始めとする動物性タンパク質摂取の飛躍的上昇という食生活の転換に合わせて、飼料の自給基盤を主穀たる小麦にまで求めたドイツと(小麦の自給率116%)、あくまで輸入飼料穀物たるトウモロコシにお任せし、水田農業における米の限りない可能性に目を閉ざし、食用米にのみ用途を限定してきた日本における農政思想の差違がそこにあるというべきであろう。
 水田農業の限りない可能性に正当な光をあてることを通してしか、日本農業に未来はない。こうした観点から日本農業の担い手問題に接近することが、本シリーズにおいて筆者が読者に訴えたいαでありωである。次回は、なぜ日本の農政が食用米の枠内の思考に止まらざるをえなかったかを、米と日本人という視点から検討する。日本人の意識の深層に潜む米の特殊な位置づけからの解放を抜きにしてはこの問題に接近できないからである。

米と小麦の飼料用仕向の対比―日本とドイツ

【著者】谷口信和
           東京大学大学院農学生命科学研究科教授

(2010.01.07)