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21世紀日本農業の担い手をどうするか-常識の呪縛を超えて-

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第2回 聖なる米=食用米の呪縛からいかに解放されるか

・2009年の三つの転換
・日本のビールに潜む米の影
・再び2009年の意味
・日本文化を支える聖なる米
・米と麦の重要な違い
・飼料用米の意義と水田農業の限りない可能性

 2009年は飼料用米にとって画期的な転換の年になった。第1に、旧政権下だが、飼料用米が初めて本格的な政策的認知を受けた。第2に、飼料用米を重視し、水田農業を通じた食料自給率向上に意欲的に取り組む民主党政権が誕生した。
 第3に、3月にキリン一番搾り生ビールが「麦100%」を宣言して、原料からコーンスターチを除外した。日本のビールが原料における長い間の米依存から脱却する大きな一歩を踏み出した。米の地位に重大な変化が現れたのである。

◆2009年の三つの転換

 2009年は飼料用米にとって画期的な転換の年になった。第1に、旧政権下だが、飼料用米が初めて本格的な政策的認知を受けた。第2に、飼料用米を重視し、水田農業を通じた食料自給率向上に意欲的に取り組む民主党政権が誕生した。
 第3に、3月にキリン一番搾り生ビールが「麦100%」を宣言して、原料からコーンスターチを除外した。日本のビールが原料における長い間の米依存から脱却する大きな一歩を踏み出した。米の地位に重大な変化が現れたのである。


◆日本のビールに潜む米の影

 周知のように西洋起源であっても日本のビールは二つの点で極めて日本的である。
 一つは原料だ。キリンラガービールは明治時代には麦芽とホップのみを用いていたが、大正時代に米が加わり、昭和の戦後にはさらにコーンスターチが加わって今日に至る。日本人には米の「うまみ」を感じる味蕾があることが、ビールに苦みと爽快感に加えて「うまみ」を求めさせ、原料に米を加えさせた。日本的な料理もまた日本酒に近いビールにさせた。
 もう一つは大瓶の存在だ。ヨーロッパでは1/2リットルや1/3リットルの瓶が基本で、日本の大瓶にあたる633mlといった端数の規格はない。明治時代のビール瓶は日本酒4合瓶に相当する720mlだった。その後、大正から昭和に移るにつれて、ほぼ3.5合程度が中心となり、1940年制定の酒税法で3.51合=633mlが容量として統一された。問題はなぜ、3.5合程度に収斂していったかだ。当時のビールのアルコール度数4〜4.5%からすると、ビール大瓶1本のアルコール量がアルコール度数14〜16度の日本酒1合とほぼ等しいこと、つまり、ビール1本は日本酒1合に等しいというわけである。


◆再び2009年の意味

 日本のビールでも1971年復活のヱビスビールや1986年発売のサントリーモルツはいずれもドイツ流だが、これらが主流となることはなかった。1990年発売のキリン一番搾り生はキリンラガーの伝統を捨て、原料から米を排除した。その後、キリンの主力ブランドとなり、2009年にはついにコーンスターチも排除した。背景にはここ数年ザ・プレミアムモルツやヱビスビールの販売シェアが急速に高まっている現実がある。そして、これは日本人の嗜好性の急速な変化を物語る。つまり、ビールにおける日本酒や米の影響からの脱却だ。プレミアムモルツが大瓶を使用せずにもっぱら0.5mlの中瓶にこだわっているのも、こうした変化と無縁ではない。こうした観点からすれば、米も食用米の呪縛から解放されるべき時がいよいよ到来したのではないか。


◆日本文化を支える聖なる米

 日本では米が食用穀物として特別の地位をもつ。加工用の酒米も例外ではない。神棚にお供えするのは米・塩・酒で二つが米由来だ。この場合の酒とは日本酒であり、特別に神酒(みき)と呼ぶが、“み”自体が“御”に由来しているにもかかわらず、さらに御の字をつけて、“おみき”と呼んだりする。また、直接に日本酒を指す酒という言葉がアルコール全体を指す言葉としても用いられている。
 また、神社のしめ縄や祭りなどの至る所に米文化の影響をみることができる。正月の鏡餅は雑煮用の餅(丸餅と切り餅)とは異なり、どこでも丸形である。これは三種の神器の一つの八咫鏡(やたのかがみ)に対応して、円鏡の形をした餅に神が宿ると考え、正月に五穀豊穣を祈願するものである。五穀のトップはもちろん米だ。このように神聖で貴重な米を食用以外の餌=飼料用にするなどは長い間タブーだった。


◆米と麦の重要な違い

 ヨーロッパでも小麦やライ麦はかつてパン穀物であり、決して飼料用ではなかったが、今日ではむしろ飼料用が中心である。だから、米もそうなっておかしくないが、彼我の間には二つの断層がある。
 第1に、ヨーロッパでは畑で栽培される穀物のうち、小麦やライ麦はもっぱら食用に、大麦やエン麦は飼料用になるという伝統を中世以来継承している。食用と飼料用の穀物を同一地目の圃場で輪作することに何ら抵抗感がないが、日本の水田ではそうではない。水田にはもっぱら食用米(酒米を含む)のみを連作してきた。
 例えば、豊穣を祈願する五穀には米のほか、麦・粟・豆・黍・稗などが含まれるが、米以外はいずれも畑作物であり、かつては食用であった。しかし、今日では飼料用にされることが多いのだが、日本人の間に強い抵抗感はない。畑作物だからだ。
 第2に、ヨーロッパでは昔から大麦が醸造用と飼料用に、エン麦が食用と飼料用に向けられ、食用のものが飼料用になることに抵抗感がないのに対し、日本では稲WCSの飼料化には抵抗感はないが飼料米には抵抗感があるという差違が存在している。
 つまり、水田で栽培される稲WCSは食用穀物ではなく、飼料作物の一種であって、水田転作で畑作物として栽培される牧草などと同一だという観念が支配しているのではないか。だから、水田の穀物である飼料用米に対しては“許せない”という感情が生まれても、稲WCSには冷静に対応できるという差違があるのだろう。


◆飼料用米の意義と水田農業の限りない可能性

 しかし、畜産物消費が食生活で決定的な意義をもちながら、それを支える飼料穀物の自給基盤をほとんどもたない日本で、耕作放棄地や不作付地が蔓延している現状はやはり病んでいる。筆者は遅くない時期に食用米も一人当たり消費量が欧米先進国と同様に反転上昇すると予測している。したがって、食用米と飼料用米を含めた水田農業の最高度の活用に日本農業の未来を展望している。
 だからこそ、食用米が恒常的な生産過剰の現局面では何よりもまず、飼料用米の広範な普及にこそ取り組むべきであると考える。ビールにおける米からの脱却は国民の嗜好が変化したことを示している。飼料用米の政策的認知がなされた今、必要なのは国民の意識・思想における飼料用米の受入れである。この意識革命なくして日本農業に未来はないだろう。

【著者】谷口信和
           東京大学大学院農学生命科学研究科教授

(2010.02.08)