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JAは地域の生命線

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【特集・地域の活性化は女性力で】「1000人の村」の新しい挑戦へ JA馬路村(高知県)

・ユズを起爆剤に村再生
・持続的な村の発展を
・ユズは恵まれた農産物
・村に住み続けるための生産・販売加工事業

 ユズの加工販売で元気な村づくりを発信している高知県のJA馬路村。組合員数は約640人だが、農産物販売額は33億円を誇る(22年度見込み)。毎年のように新商品を開発し、今年度は化粧品も打ち出す。
 全国に先駆けた「村全体のブランド化」を支え組合員の営農と生活を支えてきたJA職員は95人。うち加工販売部門も含めると女性職員は半分近くを占める。10人の理事のうち常勤役員をはじめ計3人が女性だ。ブランドづくりに欠かせない研究、デザイン部門にも女性の力が生かされている。

【JA馬路村の概況】

 馬路村は高知の東部に位置し村の北部は徳島県と接する。総面積の96%が山林。バスは一日に4本。村の入口では「よう来てくれました」の看板が迎えている。 馬路村は高知の東部に位置し村の北部は徳島県と接する。総面積の96%が山林。バスは一日に4本。村の入口では「よう来てくれました」の看板が迎えている。
◎組合員数:641人(355戸、22年3月)
◎組合員組織:ゆず部会186名、女性部会:143名
◎職員数:94人
◎販売事業:販売額31.5億円
◎信用事業:貯金残高71.5億円、貸出金残高2.2億円
◎共済事業:新契約保障額7.9億円


現地レポート

暮らしを支える女性を農協が支える

村に雇用も作り出した。写真は「ゆずの森加工工場」内の出荷部門

(写真)
村に雇用も作り出した。写真は「ゆずの森加工工場」内の出荷部門

◆ユズを起爆剤に村再生

 JA馬路村の農産物販売はユズの果汁販売からスタートした。
 林業が不振となった昭和50年代半ば、県内への市場出荷ばかりではなく、なんとか活路を見出そうと、農家組合員から出荷されたびん詰めのユズの搾り汁を都会の物産展で販売することにチャレンジする。その先頭に立ったのが現在の東谷望史組合長だ。当時は委託販売方式、売れなければ農家に合わせる顔がないとプレッシャーがかかった、とかつて聞いたことがある。
 年間100日間にも達したその物産展での経験からリピーターを見出し、そのいわば、馬路村ファンリストをもとに確実に販売する手法として村からの通信販売を思いつく。
 これが村ごと情報を発信し、“馬路村ブランド”につながり販売が急拡大していくきっかけだが、同時に季節感あふれる新商品の開発にも力を入れた。その研究、試作にも原料となるユズが常に必要なことから、JAは農家が栽培したユズの買い取り制を導入する。今、出荷1kgあたり60円の配当を実現するまでになった。
 それだけの実績をあげたもとになったのが代表商品「ごっくん馬路村」だ。子どもたちが安心して飲めるものをと試作を繰り返し、発売してすでに20年になる。
 また、冬場の商品として開発したのが鍋用のタレだった。これらがヒットすればするほど大量に出るのがユズの皮。それにも目をつけ佃煮、ジャムなど加工品開発を実現した。

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馬路村訪問を歓迎してくれるカカシ

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平野常務。後はコールセンターのフロアー 平野美保常務はこの村で生まれ高卒後の1年間だけ高知市で働いたが、昭和42年に入組する。「両親に村に戻れと言われ、帰ってきたら農協に職が決まってました」と笑う。
 以来、5年間の購買担当を除きずっと信用事業担当。金融担当課長も努め平成16年から信用事業担当の常務に。入組は東谷組合長よりも早い。この村の農家組合員が何で生きていくか、農協はそのために何をすればいいのか、そこに最初からずっと関わり続けてきた。
 「都会の物産展での販売といっても当初は不振。東谷組合長たちは赤字だ、赤字だ、と肩を落として村に帰ってきていました。本当に下積み時代だった。でも当時のトップががまんして現場職員に任せたのがよかったんだと思います」。
 信用事業担当だったこともあって「私は金庫番でした」と話す。
 今は、人材を育成する立場でもある。
 女性も含め村外出身の職員も増えた。あの馬路村で働きたい、という若者たちだ。それだけに、ゼロからスタートしたユズの加工販売がこれだけ成長し雇用も生んできた背景に、どんな創意工夫、そして苦労があったのか、それも伝えたいとの思いを込めて、組合長とはまた違った視点で職員を見ている。
 「男性には気がつかない、やはりきめ細かい面がある」とは東谷組合長だ。

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平野常務。後はコールセンターのフロアー

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 村内を流れる安田川沿いに平成18年、「ゆずの森加工場」が稼働した。搾汁工場、加工場、コールセンター、研究室、デザイン室などを備える。
 見学コースも整備しており年間300団体が訪れるという。
 その隣には今年3月から稼働を始める予定の化粧品工場がある。ユズの成分を使った化粧水、乳液、石けんなどをブランド名「Umaji」で発売する。


◆持続的な村の発展を

今、JA出資法人「ゆず組合」が農地造成をすすめている 一方、JAはJA出資法人「ゆず組合」を平成20年に設立した。今、山林を造成しユズ栽培の農地として整備する事業を展開している。農地面積としては1.5haほどだが、村の96%が山林という土地で、最近はIターンなどこの村で柚子生産をしたいという人もいることから農地造成に取り組んだ。また、同法人では後継者不足の農地を受託してユズ栽培を維持する事業も行っている。
 「ゆずの森も稼働し、これから1歩でも2歩でも前に進まなければ」と平野常務は話す。
 その一歩にしようというのが「1000人の村」をコンセプトにした商品開発だという。1200人の人口が、残念ながらこの5年で100人以上減った。東谷組合長は「これを逆手にとりたい。1000人って、きりがいいじゃないですか」というのだ。

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今、JA出資法人「ゆず組合」が農地造成をすすめている


村に住み続けるための生産・販売加工事業
インタビュー
東谷望史組合長


◆男性にはない女性の気づきを生かす

東谷望史組合長 今村 ずばり女性役員の役割は?
 東谷 男性が必ずしも気づかない面があります。きちんとルールやマニュアルができている事業は変わりないですが、職員の配置であったり人と人とがコミュニケーションに関わる部分など、男性にはない面がありますね。そんな面でアドバイスを受けると、そうだな、と気づくことも。
 今村 職員も約90人のうち半数が女性です。それも村外からの希望者も多いとか。採用の発想は?


◆販売拡大をいかに実現するか?

 東谷 まず村内から募集しますが、数年前から村外からもということにしました。応募があるかどうか、まったく未知数でフタを開けたら、こんな山間のなかのJAですが応募があった。しかし、なぜわざわざ来るのか、その点は実は採用した本人たちからいまだに明確には聞いてないんです(笑)
 今村 事業は次々に新しい発想が出てます。とくに全国では耕作放棄地が増えるなか、生産法人を設立してこの山間地で今どき農地造成をして作付け拡大しようというのは本当にすばらしい。
 東谷 もともとは林業の村で、それが衰退し組合員が生活していくうえで農協は何を作ってどう売っていったらいいかを考えた。ユズを中心にしていこうということでしたが、産地間競争も激しく売れなかった。そこで東京や大阪に売りに出ようということになった。
 今は6次産業化の先駆的な事例だと言われますが、考えてみると私たちの農協は小さかったからできたのではないかと思いますね。生き残ろうという必死の思いのなかで小さなスタートを切りそれで組合員が一生懸命がんばってついて来た。農協もそれに答えるためにがんばって売る、商品を開発する、職員も雇うという積み上げを繰り返しやってきたということです。


◆ユズは恵まれた農産物

 今村 新商品では化粧品が注目されます。食品には胃袋の限界があるけれども、塗るほうには限界がない(笑)ということですな。それと食べるものは一本100円単位だが、化粧品は1000円単位。付加価値が全然違うという発想ですか?
 東谷 確かに1ケタ違いますが、あくまで売れれば、の話です(笑)。他と競争しても負けない品質でなければなりませんが、これだけ不況になってくると今までの価格帯でいいのかということも考えました。職員とプロジェクトチームをつくって1年ぐらい議論しましたね。
 ユズは種子の油、抽出液、それから果皮の油それぞれに特性等があって、たとえばアンチエイジング効果も研究で確認されていますから、捨てるところのない非常に恵まれた作物だと思います。
 今村 雇用を作り出したことも大きい。村から町へというのがこれまでの人の流れですが、ここでは町から山へ。今の日本では驚異的です。
 東谷 最初に募集をしたときは村に住んでくれることが条件でしたが、今は状況が変わり始めました。今度は若い人たちの結婚ラッシュ的になってきているんですね。それで、そのパートナーが高知市在住だったりする。その2人が村のなかでこれからも住んでもらえるような環境整備もJAとしても課題になってきています。
 Iターンで農業をやりたいという若者もいます。そのためにも農地造成事業をしているわけですが、畑の貸し借りや経営移譲も大事になってきます。
 それから、その先を考えると村には高校がありませんから、中学を卒業すると子どものために住居費がかかるなど結構大きなお金がいるわけですね。そのためにも柚子を生産して所得を上げてもらう事業がますます必要になっているわけです。


◆厳しさを逆手に取る

 今村 そのためにも新商品を、ということでしょうがその開発エネルギーはどこから出てくるのでしょうか。
 東谷 売るという仕組みはそこそこできているわけです。次に何をつくろうかなということは日々の暮らしのなかで頭にあって、私はそのイメージを今は研究員がいますので、彼らにテーマを与えています。その先は何回も試作品をつくり試食するなどの繰り返しですが、何よりもイメージをつくることです。
 昨年は国勢調査の結果、残念ながら馬路村の人口はまた減って1014人になりました。しかし、それを逆手にとって「1000人の村」という商品を作ろうと思っています。
 今村 それはいいね。「1000人の村」の新しい挑戦、ですね。

(2011.01.20)