シリーズ

信用・共済分離論を排す

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第1回 これまでのJA批判との違い

―総合JA批判の背景とは―
・繰り返される農協批判
・関心高め理論武装を

 農協界に大きな衝撃が走った。2005年6月7日付けの日本経済新聞に「農協の解体的改革を」なる論文が掲載された。筆者は、元農水省特権官僚の山下一仁氏である。
 その主張は、「兼業農家と一体となって事業を肥大化させてきた、JA農協の存在が農業の構造改革を阻んでいる。農業の再生のためには、JAから信用・共済事業を分離して農業事業に特化させたり、JA傘下外で主業農家による専門農協を設立するなど、企業的農家の育成を支援する必要がある」というものだ。

◆繰り返される農協批判

 農協界に大きな衝撃が走った。2005年6月7日付けの日本経済新聞に「農協の解体的改革を」なる論文が掲載された。筆者は、元農水省特権官僚の山下一仁氏である。
 その主張は、「兼業農家と一体となって事業を肥大化させてきた、JA農協の存在が農業の構造改革を阻んでいる。農業の再生のためには、JAから信用・共済事業を分離して農業事業に特化させたり、JA傘下外で主業農家による専門農協を設立するなど、企業的農家の育成を支援する必要がある」というものだ。
 JA批判は、JA誕生以来、常に行われている。JA運動の歴史は、JA批判の歴史でもある。
 古くは、明治の産業組合の時代の反産運動がある。これは、産業組合拡充5カ年計画に基づいて産業組合の拡充が進められたことによる農村の商人の没落が原因で、米穀商や肥料商など、産業組合の事業と競合するさまざまな業者によって、産業組合に対する国家的保護・特典を廃止または制限する運動が進められた。
 時代は進み、1988年には政府による「農協の行政監察」が行われた。これは、86年の衆参同日選挙に際し、JA全中が衆参の全議員にアンケートを行い、農業政策について踏み絵を踏ませたことに当時の中曽根総理が激怒し、総務庁という国家権力を使ってJA批判が行われた。
 また、バブル崩壊後の90年代初めには、住専問題に関連してJA批判が行われた。住専問題は、過剰流動性によるバブル崩壊という金融構造そのものの問題であったにもかかわらず、ほかの金融機関に先駆けて系統に政府の公的資金が投入されたため、「住専問題は農協問題」だなどとする的外れな批判が行われた。


◆関心高め理論武装を

 そして、今回のJA批判である。これは、新自由主義思想を背景にした市場主義万能の小泉構造改革のもとで行われた。農業の構造改革を阻害しているのは信用・共済事業を兼営しているJAであり、JAが信用・共済事業にうつつを抜かしているから企業的農家が育たないとして批判され、信用・共済の事業分離が主張された。
 このように、今回のJA批判は、はじめて「総合」JA批判として行われたことに特徴があり、これまでのJA批判とは質的に違うことに留意が必要だ。現在のJAはほとんどの場合、信用・共済事業の収益によって支えられており、JAから信用・共済事業が分離されればJAは崩壊する。JAが崩壊して本当に困るのは構成員の農家・組合員だ。地域におけるJAの地位が低下したといっても、助け合いの協同組合としての総合JAの役割は依然として大きい。
 とくに、主業農家による専門農協の設立は、兼業が主な稲作経営では困難で、かつ経営的に成り立たないだろう。結果は、多くの農家がよりどころを失い農家経営は更なる窮地に立つことになる。
 このJA批判は、さらに進み、協同組合こそ企業的農家の育成を阻む非効率な組織であるとして協同組合そのものの批判にまで及んでいる。近年、そうした競争万能の市場原理主義は、誤りであることが鮮明になってきている。だが、一方で効率論のみから語られる信用・共済事業分離論に無関心な人も多い。多くの人々がこの問題に関心を持ち、しっかり議論して行くことが肝要だ。
 組織の本質である組合員の協同活動がしっかりしている限り、JAという組織は簡単には崩れない。だが、最終的に組織の存続を決めるのは国民的理解である。農業・JAに対する国民的理解の促進がJA大会で繰り返し決議されるのはこのためだ。JA批判を、不断の理論武装と自らの組織についての見直し・反省・変革の契機としたい。

福間莞爾【著者略歴】
福間莞爾(ふくま・かんじ)
1943年生。島根県松江市出身。JA全中常務理事、(財)協同組合経営研究所理事長を歴任。鯉渕学園客員教授、総合JA研究会主宰。明大大学院経営学修士。農業経済学博士。

【著者】福間莞爾
           総合JA研究会主宰

(2010.08.09)