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日本農業の未来を拓くために―元気な生産者から学ぶ

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【現地ルポ】仲間と研鑽し日本一のレンコンをつくる  高橋勲さん(行方市レンコン研究会会長)

・母親や地域の人に支えられ手探りで
・葉タバコ・水稲からレンコン一本に
・若い仲間と研究会を立ち上げる
・早期に収穫できる2年掘りに挑戦
・息子が後継者に

 茨城県南部に位置する行方市は、県庁所在地の水戸市から40km、東京都心から約70kmのところにあり、東は北浦、西は琵琶湖に次いで日本で2番目に大きい霞ヶ浦に挟まれ、東西の湖岸地域は低地となり、レンコンやミツバが生産されている。
 サッカーファンにはJ1の鹿島アントラーズのホームスタジアムがある鹿嶋市に隣接し、アントラーズのホームタウンの一つといった方が分かりがいいのかもしれない。
 この土浦市をはじめとする霞ヶ浦周辺の地域は日本でも有数なレンコンの産地で、茨城県は作付面積でも出荷量でも日本一の産地となっている。
 行方市は作付面積が小さいので生産量では県内5番目だが、良質なレンコン産地として全国的に知られている。そしてここのレンコンづくりのリーダーがこれから紹介する高橋勲さん(44歳)だ。

◆母親や地域の人に支えられ手探りで

茨城県行方市 高橋家では、父親と母親の2人で、葉タバコを中心にネギなどの畑作と、レンコン、水稲を作付し営農していた。その父親が、高橋さんの高校卒業時に急逝。農業を母親だけに任せるわけにはいかないと、高橋さんは就農することを決心した。
 普通なら父親から手ほどきを受けながら農業を覚えていくのだろうが「手本となる父親がいなかったから、最初は不安でいっぱいでした。それでも母親や地元の先輩などに支えられながら、なんとか手探り」で農業に取組んでいく。


◆葉タバコ・水稲からレンコン一本に

左から高橋勲さん、美代枝さん、勇希さん 葉タバコ、水稲、レンコンがメインの農業だが、葉タバコと水稲は夏場に作業が集中するため、大変な労力を必要とする。そこで高橋さんは、作業が一時期に集中せず、9月ころから翌年の3月ころまで長く収穫できるレンコンだけに転換することを考えた。それが就農して5年経ったころだったという。
 レンコンづくりももちろん簡単なものではないが、農業機械が少なくてすむことや、毎日一定量を収穫して出荷できるので「毎日収入がある」ことが魅力だという。
 レンコンへの転換にあたっては、葉タバコなどを作付けしていた畑を人に貸し、高齢化などで作付が難しくなっている水田を借りてレンコンを作付することにした。
 レンコン一本に絞ったが就農してまだ5年、経験も知識もまだ不足しているのが実状だ。「栽培に関する本を読んでも、刻々と変化する天候や地域ごとの気象条件は異なり」本の通りにはいかないこともある。レンコンの生長を止めるアブラムシの「防除時期を間違えてしまい、収量が大きく落ち込んだ」こともあった。

(写真)
左から高橋勲さん、美代枝さん、勇希さん


◆若い仲間と研究会を立ち上げる

 「農業は実践で学ぶしかない」のだが、レンコンは1年1作だから「経験が少ない」。だが「経験を持ち寄れば、20人いれば20の経験が集まり、1人では難しいことも解決できるのではないか」と考え、地元の若いレンコン農家に声をかけ平成7年に「北浦町レンコン研究会」を立ち上げ会長になる。当事の会員は18名だった。
 研究会の目的は「この地域に合った栽培技術を模索し、仲間で共有する」ことだ。そして「それぞれの経験を持ち寄ることで、1人では得られない知識を得る」ことだ。
 研究会には10アールの試験ほ場がある。当初は施肥や土づくりなどの研究につかっていたが、いまは新しい品種の試験栽培が中心だ。
 レンコン栽培に情熱を燃やす高橋さんたちは、2カ月に1回定期的に集まると同時に、県内はもちろん新潟県など県外産地にも出かけて、栽培技術を習得したり新たな知識を持ち帰ってくる。さらにそれらの地で栽培されているレンコンを待ちかえり試験ほ場で栽培。行方でも栽培できるかどうか品種の選定に活用している。
 その後、平成17年に北浦町と麻生町、玉造町が合併し行方市が誕生。研究会も市全域を対象とすることになり「行方市レンコン研究会」となり、現在は22歳から50歳くらいまで33名の会員が参加している。取材当日にも事務局となっている市の農業振興センターに研究会に入会したいという人から電話が入ってきており、研究会に関心をもつ人が増え、会員はさらに増えそうだ。


◆早期に収穫できる2年掘りに挑戦

 高橋さんのレンコン畑(水田)は現在、3.5ha。その一部で「2年掘り(ここでは「床立ち」とよんでいる)」を平成14年から始めた。
 2年掘りとは、収穫時期がきたレンコンを湛水させたまま越冬させて翌春の種とし、夏ごろに収穫する栽培方法のことだ。このことで、通常の作型(9月から収穫)より2カ月早い7月から収穫することができる。
 この方法だと収穫量は通常作型よりも少なくなるが「省力化ができることと、早い時期に出荷するので値段がとれる」というメリットがあるのだ。
 行方のレンコンは、「掘りたてなら生でも食べられる」ほど品質がいいのが自慢だ。高橋さんはJAなめがたの組合員で、仲間の多くはJAの共選に出荷しているが、高橋さんは「かるがもレンコン」と名付け、「JAを通すが個選で出荷(契約販売)」している。
 かつてJAを離れた時期もあったそうだが、「1人ではなにもできないし、生産者が協力しあわないといけない」といまは考えている。研究会もそうだが、互いに協力し合うことで栽培技術も向上し、産地としての地位を確立していくことができるということだ。


◆息子が後継者に

親子で日本一のレンコンづくりをめざす 父親を亡くし「手本がない状態」で農業を継いだ高橋さんは自分の経験を振り返り「親は子に自分のやり方を押し付けない方がいいように思う」という。
 だが、高校を卒業して就農した息子・勇希君の話になると「子どものころは田に入ることはなかったけれど、箱入れとか手伝い、良いモノができた喜び」をしっているから後継者になったのではと話す口元は緩みぱなしだった。
 奥さんの美代枝さんと3人。今日も日本一のレンコンづくりに励んでいる。

(写真)
親子で日本一のレンコンづくりをめざす

 

           第3回

(2012.02.24)