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時論的随想 ―21世紀の農政にもの申す

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(33)  「政治ショー」に自給率向上を懸念する

・「仕分け人」への疑問
・農地確保の重要性は意識されたか?
・「仕分け」の論拠に納得できるか!

 3兆円の「無駄洗い出し」を目標にしていた「事業仕分け」は、8千億円の事業費節減、1兆円近いいわゆる埋蔵金の国庫への返納計1兆8千億円程度の概算要求節減を答申して幕を降した。この政治ショー、予算編成過程での問題を一部にせよ国民の見ているところで明らかにしてくれたという意味では、評価していい。密室論議だった予算編成過程を公開論議で進めるというこの手法が、政治ショーに終らないようにしてほしいものだ。
 が、今回のやり方を見ていると、「仕分け」に当たった委員の人選がこれで良かったのか、疑問を感じざるを得ないことが、特に農業問題については多々あった。

◆「仕分け人」への疑問

 3兆円の「無駄洗い出し」を目標にしていた「事業仕分け」は、8千億円の事業費節減、1兆円近いいわゆる埋蔵金の国庫への返納計1兆8千億円程度の概算要求節減を答申して幕を降した。この政治ショー、予算編成過程での問題を一部にせよ国民の見ているところで明らかにしてくれたという意味では、評価していい。密室論議だった予算編成過程を公開論議で進めるというこの手法が、政治ショーに終らないようにしてほしいものだ。
 が、今回のやり方を見ていると、「仕分け」に当たった委員の人選がこれで良かったのか、疑問を感じざるを得ないことが、特に農業問題については多々あった。
 例えば、「縮減」と仕分けされた「国産農産物消費拡大・販売促進(食料自給率向上国民運動拡大推進事業)」の論議の際、“食料自給率(カロリーベース)が41%(平成20年度)である中、民主党の食料自給率目標(10年後に50%、20年後に60%)を達成するためにも生産面の努力だけでなく消費面でも大変な変革が必要…”という農水省の説明に対し、仕分け人からは「食料自給率が50%になるとどうなるのか、国民にとって納得できる説明が欲しい」という質問があったという。
 こんな質問をする仕分け人を選んだこと自体、10年後50%、20年後60%の自給率目標を掲げた民主党としては問題なのではないか。民主党を代表して仕分けに当っていた民主党議員の方から、そんな質問に対しては、“50%、60%引上げはわが党が最重要視している政治課題であり、その理由はこうだ”とその場で発言して然るべき問題だろう。が、そんな発言は無かったようだ。

◆農地確保の重要性は意識されたか?

 「事業仕分け」は、“社会から本当に求められているのか”の論議からまず入るのだとされている。民主党政権として判断するのだから、その判断基準は、当然ながら民主党の基本政策に照らして、ということになろう。党の基本政策は、社会から本当に求められていると党として判断したことをこそ基本政策にしているはずだからである。自給率引上げ政策は民主党が農業政策の中でも最も重視してきた政策なのではないのか。
 民主党が食料自給率目標を10年後50%、20年後においては60%とすることを明記したのは04年5月に発表した「農林漁業再生プラン(骨子)」が最初だろうが、法案としても06年第164国会に提出した「食料の国内生産及び安全性の確保等のための農政等の改革に関する基本法案」のなかに規定されていたし、近くは今年の第171回通常国会に提案したが廃案になってしまった「農林漁業及び安全性の確保等のための農政等の改革に関する基本法案」の第6条にも“この法律の施行の日の属する年度から10年度を経過した年度においては50%に達するようにするとともに、更に10年度を経過した年度においては60%に達するようにするものとする”と書かれていた。
 その自給率引上げにとって、農地の確保が重要課題になることは、農業政策にかかわる者にとっては常識としていいだろう。が、今回の「事業仕分け」で“来年度予算計上は見送り”とされた耕作放棄地再生緊急事業の論議の際には“原野化された場合も、耕作地に戻す必要はない”と放言した委員がいたという。その委員は自給率引上げなど政策課題にしなくていいという委員なのであろう。こんな委員に基本政策の評価に密接にかかわる「事業仕分け」委員にしたことを、民主党は反省する必要があるのではないか。

◆「仕分け」の論拠に納得できるか!

 「事業仕分け」のもう一つの重要な視点は、“国が担わなければならない事業なのか”ということだそうだが、その判断基準は一体どこに置かれているのだろうか。
 例えば今回の「仕分け」で廃止とされた農道整備事業は、“その歴史的意義はもはや終った。…必要があれば自治体が自ら整備すべき、というコメントが大勢であった”とされている。“歴史的意義はもはや終った”というのは、ほとんど整備は終ったということなのであろう。が、“必要があれば”ということはまだ必要なところがあることは認めているわけである。問題は、今整備を必要とするようなところの事業は“自治体が自ら整備すべき”というその論拠、基準が示されていないことである。
 まだ農道整備を必要とするところは、多くは財政力の乏しい自治体の多い中山間地である。財源移譲を伴わない限りは自治体だけでは必要を認めてもやれない、というところが殆んどであろう。そういう条件不利地の営農は縮小後退し、“原野化”してもかまわない、と考えているのだろうか。“実施は各自治体の判断にまかせる”と仕分された「農地有効利用生産向上対策事業」の仕分け論理にも同じ問題がある。耕地利用率を高めることが自給率アップには不可欠だが、そのための土地改良事業などは国がやる必要はないというのである。とんでもない「仕分け」である。

【著者】梶井 功
           東京農工大学名誉教授

(2009.12.16)