シリーズ

視線「日本農業の活性化と食の安全・安心を目指して」

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(1) 地域密着型の普及路線 蓄積したノウハウの最大限発揮へ

自然に優しく 安全に厳しく 生命と緑の未来のために

 本紙では、『日本農業の活性化と食の安全・安心を目指して』のテーマのもと、シリーズ 「視線」を掲載することにした。1回目の日本農薬は2008年11月、創立80周年を迎える。同社の歩みは、日本の農薬産業の歴史でもあろう。業界のリーディングカンパニーとして農薬技術開発の一翼を担うと同時に、その技術力を最大限活かし医薬、化学品、緑化、環境関連など周辺事業の拡大をはかり今日に至っている。
 同社は、現在、「事業競争力の強化」と「収益力の拡大継続」からなる新中期経営計画(『日農ステップ・フォワード・プラン2009』)に鋭意邁進している。「前進そして飛躍」という意味を込めており、従来の「守り」から「攻め」の経営に転ずる計画だが、その基軸には生産者および消費者相互のニーズをベースとした農薬開発がある。そして、地域密着型の普及を展開する同社。大内脩吉社長へのインタビューなどを交えながらまとめた。

◆東西のライバル会社が合併 農業技術開発の一翼を担う

日本農薬(株) 大内脩吉社長
日本農薬(株) 大内脩吉社長

 ――まもなく、創立80周年を迎えられます。貴社の歩みは、日本の農薬産業の歴史でもあろうかと思われます。

 大内 来年の11月に80周年を迎えます。 1920年代初頭に、古河鉱業(現古河機械金属)が、銅精錬の副産物を利用した研究の中で、後にわが国農薬登録の第1号となった砒酸鉛(ひさんなまり)の工業化に成功し、旭電化工業(現ADEKA)により事業化されました。
 当社は、1928(昭和3)年11月、旭電化工業の農薬部門と大阪・藤井製薬の合併により、わが国初の総合農薬メーカーとして産声をあげたわけです。

 ――合併の背景と社名の由来は。

 大内 当時、旭電化工業の農薬部門と藤井製薬とは業界の東西を代表するライバルとして、北海道における甜菜(てんさい)や、青森県、長野県におけるリンゴなどで農薬の販売にしのぎを削る市場競争を演じ、あまりにも激しい値下げ競争の結果、両社とも経営が困難に陥ったため、一転合併話が持ち上がり、合併に至ったことが背景です。
 社名の中に「農薬」という言葉を用いたのは、いうまでもなく当社が最初です。日本農薬とした理由は、「競争で最後まで残った2社が合併したのだから、当時としては日本でただ1つの農薬会社という意味で、新会社に日本農薬という商号を用いた」と言われています。
 そんなことで、80年にわたり、当社は業界のリーディングカンパニーとして、農薬技術開発の一翼を担うとともに、その技術力を最大限に活かし医薬、化学品、緑化、環境関連など事業の拡大をはかり今日に至っています。

◆全購連との取引開始など4つの接点がポイントに

 ――80年の歴史の中でポイントとなったのは。

 大内 企業も生き物なので多くのポイントが挙げられますが、全購連(現全農)との取引開始、殺菌剤「フジワン」をはじめとする自社品の開発・上市、総合研究所の竣工、さらに、外資系企業の直販攻勢、の4点が接点として挙げられると思います。
 全購連との取引開始は1964(昭和39)年のことです。東京オリンピックの年ですが、実は、私はこの年の入社で、全購連の初代営業マンだったんです(笑い)。
 全購連の農薬取扱いの拡大要因は、食管制度と関連して農業生産資材面において有利な地位を占めていたこと、農薬の備蓄が全購連にゆだねられていたことなどが挙げられますが、もっとも寄与したのは共計運動(筆者注:農薬全利用共同計算運動)の実施と予示価格制度の導入だったと思っています。
 この背景のもと、当時、商系の事情の1つとして農薬が伝統的には果樹向けであったこととも関連して、特約店の配置が果樹地帯ないしはその周辺に多く、米作地帯は必ずしも十分ではなかったのです。当社とすれば、水稲用農薬の売上を確保するためにも全購連との関係を打開する必要がありました。ともあれ、取引開始は流通面での大きな変革をもたらしました。現在のシェアは、商系約65%、系統約35%となっています。

研究開発拠点の総合研究所(大阪府河内長野市)
研究開発拠点の総合研究所(大阪府河内長野市)

 ――「フジワン」以降、大型剤の上市が続きました。

 大内 「フジワン」は、1975(昭和50)年に上市した当社初の自社開発品です。人畜に対し安全性が高く、予防と治療効果を併せ持つ浸透移行性タイプのいもち剤で、以来30有余年にわたり、いもち病防除の定番殺菌剤として全国の生産者にご愛用いただいております。余談となりますが、フジワンから医薬品「カンテック」(肝疾患用薬剤)が開発されたように安全性が優れているという証明でもあります。
 「フジワン」に続き、殺虫剤の「アプロード」、殺菌剤の「モンカット」、さらに、殺ダニ剤の「ダニトロン」、除草剤、枯凋剤「エコパート」を開発、上市しましたが、社内ではこれを「FAMDE」と命名し、営業戦略を強化しました。今日を思うと、これらの品目の創出により「研究開発型企業」を目指す当社の方向性としての路線が敷かれたのではないでしょうか。 また、2002年に譲り受けた三菱化学、トモノアグリカの原体、製品も加わり、念願であった原体から製剤までの販売一貫体制が整った意味は大きいと思います。

 ――近年、総合研究所から2つの新薬剤が創出されています。

 大内 殺菌剤の「ブイゲット」(有効成分:チアジニル)と今春から上市した「フェニックス」(有効成分:フルベンジアミド・別掲)です。おかげさまで「ブイゲット」は順調に推移し、「フェニックス」も生産者から大きな期待を持って頂いており、日本のみならず世界の市場でも、大型剤に生長することを期待されている剤でもあります。
 当社は、創立以来、優れた農薬を提供することで、農業の発展に貢献してきました。豊かな食を支え、緑を守るために、時代のニーズに合った新農薬の創出は、欠かすことのできない、最優先すべき大切な使命だと思っています。この原動力となる研究開発に資源の重点投資を行うべく1995(平成7)年大阪府河内長野市に総合研究所を建設しております。

 ――パイプラインを多く持つ外資系企業も高い評価をしています。

 大内 GLP(筆者注:優良試験所基準)に対応した総合研究所は、当社の永年にわたる技術とノウハウ、そして最先端の機器・設備が結集され、いっそうの機能向上がはかられています。化学・生物の研究者が常に情報を共有し、相互に創造性を触発しあい次世代に羽ばたく新製品を生み出す基地に成長させることが目標です。
 新薬創出のベースとなる合成・探索研究をはじめ、安全性試験から製品の実用化研究まで、名実ともに総合研究所として、明日への夢の実現を加速させつつあります。
 2月下旬に登録認可となった「フェニックス」に続いて、殺虫剤「アクセル」(試験番号:NNI−0250」の登録申請も完了し、審査中です。また、殺虫剤「コルト」(試験番号:NNI−0101」の開発も進んでおり、先ごろ登録申請いたしました。さらに、いくつかの化合物もパイプラインにあることから、総合研究所を基地とした研究開発活動は軌道に乗ってきたと思っています。

 ――外資系企業の直販攻勢は、相当な痛手だったのでは。

 大内 1980年代後半から1990年代にかけて外資系企業の直販攻勢が本格化したわけですが、外資系から導入していた中核的な製品が無くなってしまった訳ですので、大きな痛手であったことは事実です。
 そのため、売上げ、利益ともに下降線をたどり1998(平成10)年度には60数億円の特別損失を計上し、翌1999(平成11)年度には早期希望退職を募るなど大規模な構造改革も実施しました。しかし、その後も品目剥奪による売上げ低下は続き、2002(平成14)年度には、売上高267億円まで落ち込み、非常に厳しい局面を迎えました。

 ――トモノアグリカおよび三菱化学からの譲り受けなどは、新しい血液を注いだのでは。

 大内 「事態ここに至る。座して死を待つよりは、戦場に打って出る」ではありませんが、2002(平成14)年にトモノアグリカより営業の一部を譲り受け、さらに、三菱化学から農薬事業を譲渡・譲り受けたわけです。両社の原体・製品は当社の動脈に新しい血液を注ぎ込み、自社の原体・製品のポートフォリオを増強させることになりました。2002年度の売上に対する比率がわずか36%であった自社品が、今期末には67%に達するものと思われます。また、譲り受け営業権の償却が今年度で終わることから、利益性の改善となり、事業の基盤整備が今後いっそう進められると考えております。

 ――JAグループに対して一言。

 大内 現在、わが国農業は、食糧自給率目標の達成や農業振興が叫ばれていますが、輸入農産物の増加、食の安全・安心への関心の高まり、国産農産物価格の低迷、農業従事者の減少と高齢化など構造的問題の解決が依然として遅れている状況にあります。
 この意味で、構造改革を支え推進していくのがJAグループだと思います。系統の組織力の発揮に期待しています。

◆食の安全・安心を目指して防除や省力化などへ取組む

 ――食の安全・安心に対しては。そして、新中期経営計画の目指すものは。

 大内 生産者が求める安全・安心と消費者が求める安全・安心、この相互のニーズをベースとした農薬開発が大切です。農作物の安全・安心を裏付ける防除のあり方や省力化などに貢献し、今日の農業に対応できる技術革新に取組んでいきます。
 また、新中期経営計画は『日農ステップ・フォワード・プラン2009』(別掲)に象徴されますが、これには「前進そして飛躍」という意味を込めており、従来の「守りから攻めの経営に転ずる」計画です。
 これを実現するためにも地域密着型の販売体制構築の中で、当社のこれまで培ってきたノウハウを最大限に発揮し、キメ細かな技術サービスなどを展開していきます。

 ――ありがとうございました。

研究開発型リーディングカンパニーを目指して

◆「日農ステップ」  研究開発型企業に向けて明日に架ける夢を大切に

 日本農薬(株)は現在、2009年9月期を明日に架ける通過駅としての新中期経営計画、いわゆる『日農ステップ・フォワード・プラン2009』(以下、「日農ステップ」)の達成に向けて、全社をあげて鋭意邁進している。
 2009年度の、連結売上高418億円、営業利益37億円、経常利益35億円、純利益19億円の確保を目指したものだが、その深層には、「食の安全・安心に挑む1企業の壮大な夢」があるのではないか。
 前中期経営計画(2004年〜2006年)の骨子は、「事業基盤の整備」だった。原体および製剤販売事業を一体化させることによる、収益力改善の期間であり、「守り」の時期であった。
 新中期経営計画(「日農ステップ」・2007年〜2009年)は、「事業競争力の強化」および「収益力の拡大継続」を骨子とし、研究開発型の中核農薬企業を目指したもので、「攻め」のステージに転じたと言えるであろう。
 そして、長い80年という歴史の中でも、この「日農ステップ」は、後世に、諦めない「明日に架ける夢」の大切さを余韻として残すのではないか。
 同社は、1995年、約100億円を投入して大阪府河内長野市に総合研究所を竣工させた。その後厳しい時期が続いたが、2003年水稲用殺菌剤「ブイゲット」の上市まで、三菱化学やトモノアグリカから譲り受けた原体・製剤がその厳しさを補完した側面もある。

◆「前進そして飛躍」守りから攻めの経営へ

 「日農ステップ」の目指しているものは何なのか。ピーク時には500億円以上あった売上も、外資企業の直販攻勢の余波を受け取扱い品目が減少し、2002年には300億円を割る現象も生まれた。
 「日農ステップ」には、「前進そして飛躍」という意味を込めている。「事業競争力の強化」と「収益力の拡大継続」を連結させることで、研究開発型リーディング企業を目指す。従来の「守りから攻めの経営に転じる」ものだ。
 例えば研究開発投資では、約30億円(売上比率で約10%)と米国への開発投資約15億円を予定している。また、新規剤開発に向けたマルチ原体製造設備の建設に約10億円を計画している。鹿島工場内に今年着工し、来年の稼働を目指す。
 「フェニックス」は、同社の殺虫剤事業はもとより農薬事業の中軸になる。IPMへの対応も拓かれており、「食の安全・安心に挑む1企業の壮大な夢」を牽引していく。
(『日本農業の活性化と食の安全・安心を目指して』(2)へ)

           大内脩吉 日本農薬(株)社長

(2007.05.18)