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視線「日本農業の活性化と食の安全・安心を目指して」

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(7) 総合園芸で新しい時代を創造

農よ、光匂い満ちてよ
総合園芸で新しい時代を創造

 明治23年に鈴木卯兵衛を代表として有限責任横浜植木商会を立ち上げ、日本人商社として初めて植物類の輸出入業務を開始した。これが当社の前身。開港(1859・安政6年)された横浜という、海外にもっとも近いところにいたことが、企業風土なり事業そのものの方向性を決定づけた。

◆社会的責任の領域を拡げる

横浜植木(株)代表取締役社長 渡邊宣昭
   わたなべ・のりあき
昭和26年9月6日生まれ、57歳。神奈川県出身。昭和50年玉川大学文学部英米文学科卒(商業貿易専攻)・(株)丸山製作所入社、54年横浜植木(株)入社、55年ウエキ園芸(株)取締役に就任(現在に至る)、平成9年横浜植木(株)代表取締役社長に就任(同)、10年三丸興業(株)取締役に就任(同)

 ――会社の沿革から。ポトマック河畔に桜を咲かせた。
 「明治23年に鈴木卯兵衛を代表として有限責任横浜植木商会を立ち上げ、日本人商社として初めて植物類の輸出入業務を開始した。これが当社の前身。開港(1859・安政6年)された横浜という、海外にもっとも近いところにいたことが、企業風土なり事業そのものの方向性を決定づけた」
 「翌24年に株式会社横浜植木商会を設立し、さらに26年に商号を横浜植木株式会社に改称した。時を経て、昭和17年に農林省(当時)の農業薬剤企業整備方針に従い東亜農薬を設立したが、この会社は後に庵原農薬と統合され(43年)、系統農薬メーカーの雄であるクミアイ化学につながっていく」
 「東京市(当時)がワシントン市に桜を寄贈したのは、明治45年のことで当社が輸出業務を担当した。ポトマック河畔と言えば、日本はもとより世界にその名が知られた桜の名所だが、日本の桜がアメリカへ本格的に輸出されたのは、それよりもかなり早かったと聞いている。正徳2(1712)年頃のことらしく、紹介したのは植物学者のケンペルだという」
 「日本で桜の培養者として有名だったのが、東京染井の河島銀蔵で桜香園の屋号からもわかるように130種の桜を手掛けた。もう一人が当社設立発起人の一人である駒込伝中の高木孫右衛門だった」
 「沿革の中で忘れてはならないのは、北海道への進出(大正5年)を果たしたこと。三国協商側についた日本の役割は軍事よりも銃後の食糧補給で種馬鈴薯、種子用豆類などを扱った。生産者との直接取引経験が、今日の大きな財産となっている。戦後の転機としては大戦による焼土からの復活、全日空機事故(昭和41年)による渡邊廣太郎7代社長の事故死だった。長い歴史を歩むとそれだけ乗り越えなければならない試練も多いが、その分だけ社会的責任の領域を拡げられたのではないか」

◆川下の真実を掴んで

 ――丸山製作所で修行している。事業内容と商品開発のコンセプトは。
 「大学卒業と同時に、防除機メーカーの丸山製作所に丁稚奉公した(笑い)。兵庫県経済連(当時)や管内JA、長野県を中心に回った。そこで学んだのは、農業というものはできるだけ農家に近いところで実情を見なければならない、ということだった。情報は入ってくるが、間にプリズムが出来て本当の生の声は入りにくい」
 「丸山製作所は全国的な営業展開を行っており、モノを売るためには川下の真実をしっかり掴まなければならないことを痛感した」
 「当社の事業は野菜種子の育種・開発・生産および技術指導、花き・球根・盆栽・苗木・用土・肥料などの生産・卸売および輸出入、各種園芸用資材・農業用機器の卸売および輸出入、さらに環境緑化における造園工事の設計・施工・管理と多岐におよぶ。近代的な総合園芸メーカーとして、現場のニーズを的確に捉えた提案を行ってきた」
 「商品の開発コンセプトだが、従来の近代園芸・ガーデニングから枠を拡げ、特に野菜種子の開発に注力している。グローバルな視野から野菜はどうあるべきかを探求し、顧客に愛され親しまれる新品種の育成に、菊川研究農場(静岡県菊川市)を中心にブリーダーが日夜努力している。今後も、豊かな食生活の創造、時代にマッチした新品種の育成に挑んで行く」

◆大きなリスクは避けて

 ――企業理念に時代の先どりと創造性の発揮を掲げている。今後の展開は。
 「いま我々に求められているのは、“時代の先どりと創造性の発揮”が十分にいかされる仕事だと思う。菊川研究農場開設や牧之原分場展開はこの認識を実践的に表現したもので、顧客と接することの出来る展示会などにもこれを反映させている」
 「いま、非常に厳しい時代で苦戦を強いられているが、企業、会社といったものは絶対に潰してはならない。リストラや企業倒産が相次ぐ中、企業が生き残っていくためには石橋を叩いて渡るではないが、大きなリスクは避けて通らなければならないのかなと思っている。業績は急激には伸びていないが(笑い)、比較的健全経営でここまで来ているのではないか」
 「世の中の流れが非常に速くなっている。これは比較的社歴の古い企業に見られる傾向だと思うが、社員が世の中の動きに対して反応が鈍い。いま、日本の農業がその構造、食の安全・安心、食料自給率の向上などにおいて大きく変わろうとしており、当社としては今こそ昔のフロンティアスピリット(開拓者精神)ではないが剛健、忍耐、創意を新たに呼び起こしながら、創立120周年に向かって諸般の問題解決に挑みたい。戦術的には、水耕栽培などを利用した新たなメニューも考えており、新規就農への道を導きたい」

 《記者の目》
 作家の立松和平さん。認定NPO法人ふるさと回帰支援センター理事長を務めるほか、足尾の植林活動や自然環境保護問題などに意欲的に取組んでいる。代表作は『道元禅師』(泉鏡花賞受賞)だが、大衆の身近にあったのは『遠雷』と『光匂い満ちてよ』だった。
 平成23年に創立120周年を迎える横浜植木。「植える」、「育てる」、「はぐくむ」の3つの企業精神を基軸として業界をリードしてきたが、源泉には光の匂いを嗅ぎ、じっと耳を澄まして社会の風の声を真摯に受け止めたことがある。「農よ、光匂い満ちてよ」が、横浜植木の願い。
           渡邊宣昭 横浜植木(株)代表取締役社長

(2009.04.10)