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JAリーダーの肖像 ―協同の力を信じて

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全組合員の願いが生む 協同活動の先頭に立つ

JA菊池(熊本県)代表理事組合長 上村幸男氏

◆青年部活動が転機 上村幸男氏(写真提供:(社)家の光協会)  JA菊池の農畜産...

◆青年部活動が転機

JA菊池(熊本県)代表理事組合長 上村幸男氏
上村幸男氏
(写真提供:(社)家の光協会)

 JA菊池の農畜産物統一ブランドは「きくちのまんま」。最近は、人気知事を擁する宮崎県の「そのまんま」ブランドの台頭めざましいが、それを真似たわけではない。
 平成12年に公募して決めた名称で、「まんま」とは、イタリア語の「お母さん」と日本語の「ごはん」を表している。菊池の豊かな大地に育まれた安全・安心の「おふくろの味」という意味を込めたネーミングである。
 JA菊池管内は、熊本市に隣接し、県内ではもっとも人口増加率の高いところ。畜産の大産地だが、米、施設園芸、露地野菜、特産物と、なんでも生産でき、JAの農畜産物取扱高が280億円台を維持している安定した農業地帯である。
 上村幸男(うえむら・ゆきお)組合長は、温厚で篤実な人である。昭和19年に、農家の長男として生まれ、県立菊池経営伝習農場を卒業後、就農。共同乾燥や共同育苗の施設をつくり、県内のモデル集落として知られた地域のなかで、タバコ主体の農業経営に取り組んだ。
 若い頃は4Hクラブで活躍。11人の仲間と音楽クラブを結成して、マンドリンを担当し、老人ホームなどを慰問していた。
 結婚を機に農協青年部に入ったのは25歳の時。
 「最初は、役員になる気はなかったが、周りからやれと言われて、仕方なく役職についた」。
 だが、まもなく転機が訪れた。県の農協青壮年部協議会副委員長として、東京の米価大会に参加した時のことだ。東北ブロック代表の盟友たちと、親交を深めるために、東京・神楽坂の小料理屋で飲む機会があった。

◆心に響いた盟友の言葉

 彼らが、米価や農政問題を熱心に話す姿に感心した若い上村氏は、質問した。
 「東北のみなさんは、なぜそんなに一生懸命勉強するのですか」
 すると、おとなしそうな年配の盟友が、訥々と語り始めた。
 「自分は、貧しい農家の出身だが、子どもの頃、妹が東京へ売られて行く姿を見ており、今でもその光景を忘れることができない。当時の農家の生活は、それほど苦しかった。しかし、戦後、みんなで農協に結集して、米も農協に集めた。協同活動をすることによって、貧しさから脱却できた。だから、自分は、農協運動を命がけでやっているのだ」
 彼は昔を思い出しながら、涙ながらに話すのだった。
 その場に居合わせた東北と九州の盟友たちは、みな感動した。そして、お互いに、これからも頑張ろうと、固く握手をして別れたのだった。
 その頃、秋田県横手市在住のジャーナリストである、むのたけじの著書を愛読していた上村氏には、同じ東北に住む盟友の言葉が、ズシンと胸に響いたという。
 彼の話を聞いて、戦後の農村が貧困から脱することができたのは、先輩たちのたゆまぬ努力があればこそ、と実感したのだった。
 それから、本気で農協運動に関わるようになった。農協青年部の県委員長、九州地区委員長、全青協委員として活躍したあと、農協理事を務め、平成17年、組合長に就任。
 支所の統合が叫ばれていた平成8年に常務理事になった時には、周囲から言われた。
 「われわれの支所を残してもらうために、一番若いお前を理事に送り出したのだぞ」
 しかし、アメリカを視察し、金融自由化の現状をつぶさに見て知った上村氏は、JAの経営改革のためには、支所の統合は避けて通れないと判断していた。
 そして、「自分は辞表を出すから、どうしても、統合の必要性を認めてほしい」と訴えた。

◆心で語れば人は動く

 地域の組合員は、JAを取り巻く状況の厳しさを理解し、最後は統合に賛同してくれた。誰にとっても辛い決断だった。
 JA菊池には、多くの苦難を乗り越えてきた歴史がある。協同活動なくして地域農業の発展はないと考える農家が多い。
 「その伝統を培ってきた先人の努力が、“きくちの力”だと思う。これまで積み重ねてきたその力で、“輝き続けるきくちの農業”を築かなければならないと考えています」
 農協運動のなかで、もっとも大事なのは、組合員一人一人が自分の願いをしっかり持っていることだと、上村氏は言う。組合員の願いがあって、初めて農協運動が成り立つのである。全組合員の願いがなければ協同活動はできない。
 座右の銘は、「己を修め以って人を安んず」。孔子の言葉だ。常に自分自身の心を養っていなければならない。言葉で語るのではなく、心で語れば人は動き、人を安心させることができる。
 あの米価大会の夜、東北から来た盟友は、自分に向かって、たしかに心で語ってくれたのだと、上村氏は、今も懐かしく思い出す。

【著者】(文) 山崎 誠

(2007.09.21)