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食肉流通フロンティア ―全国食肉学校OBの現在

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第21回 食肉の仕事に終わりはない  だからまた挑戦する

 小高い丘への道を登っていくと「ハム・ソーセージ工房 ゲシュマック」の大きな看板が目に飛び込んでくる。濃い茶色、深い赤そして黄色といかにもドイツという3色に塗り分けられた看板の下には「あじ豚 生産直売」の文字も見える。
 道路から敷地に入ると右手に芝生が広がり、駐車スペースを挟んだ左手に平屋のお洒落な店がある。店の前を通り過ぎて奥に進むと、川南町を一望することができる庭が広がる。取材の日、あまり天気はよくなかったが、大きな樹の下で町を見下ろしながらソーセージを食べる母娘の姿があった。

◆町を見下ろす丘の上に

ゲシュマックの店長・山道洋平さん 小高い丘への道を登っていくと「ハム・ソーセージ工房 ゲシュマック」の大きな看板が目に飛び込んでくる。濃い茶色、深い赤そして黄色といかにもドイツという3色に塗り分けられた看板の下には「あじ豚 生産直売」の文字も見える。
 道路から敷地に入ると右手に芝生が広がり、駐車スペースを挟んだ左手に平屋のお洒落な店がある。店の前を通り過ぎて奥に進むと、川南町を一望することができる庭が広がる。取材の日、あまり天気はよくなかったが、大きな樹の下で町を見下ろしながらソーセージを食べる母娘の姿があった。
 夏の町の花火大会のときは、この庭は特等席になるという。200人規模の野外コンサートができそうな広さがあり、明るく開放的な雰囲気が素敵だ。

(写真)ゲシュマックの店長・山道洋平さん

◆肉が様々に変わる加工に“はまる”

野外コンサートができそうな庭が広がる 店名の「ゲシュマック」はドイツ語で「味」とか「味覚」という意味だという。ハム・ソーセージの原料である看板にもあった「あじ豚」にもかけている。
 「あじ豚」はゲシュマックの店長・山道洋平さんの父君・義孝さんが経営する(有)宮崎第一ファームを中心に宮崎県中央部の児湯郡川南町などで銘柄豚づくりに取り組んでいる6農場が生産している銘柄豚のことだ。
 洋平さんは、義孝さんの三男として生まれ、高校まではサッカーに熱中したりと「好き勝手にさせてもらった」ので、上の兄弟は農場を継いでもらうが、洋平さんには「精肉・加工を職業として欲しい」という「親の意向」に素直に従ってこの道に入ったのだという。
 高校卒業後の18歳のときに全国食肉学校の総合養成科に入学。解体・肉のカットから加工まで基礎的なことを学んだ。特に小さいころから見ていた精肉を整形した後に出る脂肪などが、ソーセージなどに「変わっていくのが面白いと思い、加工にはまった」。だから総合養成科の秋の校外実習も大手のハム加工会社に行く。
 しかし、「大手では全部の工程を自分独りでやることはできない」し「個人商店の手作りとは違う」ことを体感し、卒業後は、東京武蔵境の村上商店に就職し3年間、“マイスター村上”の下で「修行」する。
 更には村上さんの紹介で食肉加工の本場ドイツ・ミュンヘンのソーセージ店に留学することになる。ドイツのマイスターはレシピを教えてくれない。だからマイスターの仕事をみながら「肉は何グラム」「スパイスは何グラム」とメモをする。「全部の重量を控えてくれば、肉とスパイスの割合が分かる」からだ。
 そうやって「盗んできた」ものがいくつかある。店で人気になっているミュンヘン名物のノンスモークタイプの皮をむいて甘いマスタードをつけて食べる「バイスブルスト」というソーセージもその一つだ。
 それができたのは、村上さんのところでの「3年間があったから」で「その逆だったら基本的なことができていないので分からなかった」と洋平さんはいう。全国食肉学校と“マイスター村上”の下でハム・ソーセージ加工の基本を身につけたからこそ、ドイツのマイスターがどう作っているかを理解できたということだ。

(写真)野外コンサートができそうな庭が広がる

◆相乗効果上げるあじ豚・ハムソー・惣菜

「ゲシュマック」の店内 ドイツから帰国後、平成14年に郷里の宮崎県児湯郡川南町に帰る。そして、いよいよ自分で精肉・加工の仕事を始めることになる。
 実は、お父さんの義孝さんが以前に、野菜や肉を小売りするスーパーを設立したが、経営がうまくいかず、精肉の業務用卸部門だけを残して、他の部門から撤退した会社があり、洋平さんはその会社に入り、精肉店として小売りを再開する。その後順調に業績をあげ、3年前に現在の場所に移転。精肉やハム・ソーセージの加工品だけではなくレストランや惣菜、そしてテナントにパン屋もあるという地元で人気の「ゲシュマック」が出来上がる。
 このお店は、(株)フレッシュ・ワンという会社が経営し、洋平さんはそこの専務取締役というのが正式な肩書きなのだが、記事になるときは「ゲシュマック店長」にして欲しいという希望で、この記事では「店長」とした。それだけ、店に賭ける思いが強いということだ。
レストラン内部 店は土日や祭日に、車で1時間かかる宮崎市や延岡市からのリピーターが多いという。あじ豚やハムやソーセージを使ったレストランのランチメニューを目当てに来る人が多いという。初来店の人でもレストランで食べた後に、店で買って帰るというから、各部門が相乗効果を上げているということだろう。
職人ではなくスタッフの幸せ考える経営者
 会社の売上げは、いまは業務用卸よりも店の方が多くなり、精肉の売上げも伸びている。どうしても挽肉になる材料が大量に出る。その肉はレストラン部門のコックにより手を加えられ、付加価値をつけることで惣菜の品々に変わっている。
 今「ゲシュマック」には、コックさん2人のほかパートも入れて15名の人が働いている。このスタッフ全員が幸せになるようにしなければいけないと、店長として洋平さんは考えている。1頭の豚肉が、さまざまなパーツの精肉にもなれば、ハムやソーセージに、あるいはハンバーグになったり、内臓などの部位もさまざまな料理に使われるなど、「この業界は奥が深い」ということでもあり「ガチガチの職人にはなれませんからね」という笑顔が爽やかだ。

(写真)上:「ゲシュマック」の店内  下:レストラン内部

◆悩んでも信じてこの仕事をやり続けよう

       平屋のお洒落な店平屋のお洒落な店
 
 最後に全国食肉学校の後輩へのメッセージを頼んだ。
 「20歳代前半までは自分もそうだったが“人生はこれで良いのか”と不安になる。その時にアパレルが良いなとか転職に心動くことがあると思う。だけど“理屈は必ず後からついてくるから”、食肉の仕事はこれだと考えたことを“信じてやり続けて欲しい”。この仕事は奥が深く、極めたからこれで終わりということはない。だからまた挑戦することができる」。

                   ◇

 今回をもって一端「食肉流通のフロンティア“全国食肉学校OBの現在(いま)”」シリーズの連載を終わらせていただきます。ご協力をいただいた卒業生のみなさんありがとうございました。再見。

 


(写真)平屋のお洒落な店

【著者】山道 洋平(総合養成科33期生平成9年)
           ゲシュマック店長

(2009.12.01)