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村田武の『現代の「論争書」で読み解くキーワード』

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「食料自給率」

農林水産省編『食料・農業・農村白書 平成19年版』

「世界の食料需給が中長期的にはひっ迫する可能性が指摘されるなかで、栄養不足人口を...

「世界の食料需給が中長期的にはひっ迫する可能性が指摘されるなかで、栄養不足人口を多くかかえる国や食料の多くを輸入に依存する国は、自国の農業生産の持続的な発展を基本とし、食料の安定供給を図る必要がある」
この文は、農水省編『食料・農業・農村白書』最新版の平成19年版(以下では、単に『白書』とします)第I章「食料自給率の向上と食料の安定供給」で述べられているものです。
え? 何で『白書』が、村田のいうキーワード「食料自給率」に関する論争書なのかと、怪訝な顔をされるかもしれません。農水省は、上に引用した文章をこれまでも事あるごとに書いており、農水省にしてみれば、「食料・農業・農村基本法」第15条にもとづく「食料・農業・農村基本計画」(平成12年から10年間とされた「基本計画」は、17年からの「新たな基本計画」に改訂された)の指針、したがって農政課題の主眼たる食料自給率の当面45%への回復に全力を挙げて取り組むことが省に課された課題であり、『白書』はそれをしっかり反映したものでなければならないということでしょう。そうでなければ、農水省は法に照らして不作為の罪を問われかねません。以下では、私が「食料自給率」が日本農業の危機を打ち破るうえでのキーワードのひとつであると考え、平成19年版『白書』をそれに関する論争書だとする背景をみます。

◆自給率向上対策を放棄した構造改革農政

さて、『白書』巻頭言は故松岡利勝大臣の名によるものですが、そこでは「近年、世界経済のグローバル化が急速に進展するなかで、開発途上国の経済発展やバイオ燃料生産の拡大などを背景とした世界の食料事情の変化、温暖化防止など地球規模での環境問題に的確に対応することが求められて」おり、「本年度の白書では、・・・食料自給率の向上や食料供給力(自給力)の強化に焦点を当てる」としています(ゴシックは引用者による)。そして、食料自給率の向上がもつ意味について、「現在の食料自給率の水準は、今日の食生活を反映したものであり、直ちに不測の事態における国内農業の供給力の程度を示すものではない。しかしながら、食料自給率は、国内の農業生産が国民の食料消費をどの程度賄えるかについて評価するうえで有効な指標であり、その向上を図ることは、持続可能な国内生産を維持し、国民の生存に不可欠な食料を安定的に供給するという食料安全保障を確保するうえで重要である」と強調しています。
ところが、アメリカや経済界の要求に応える小泉内閣以来の構造改革農政は、この「食料自給率の向上や食料供給力(自給力)の強化による食料安全保障確保」という国民の多数がしごく当然と思う農業・食料戦略を放棄する動きを強めています。
そのきっかけになったのが、経済界が要求した日豪EPA(経済連携協定)でした。日本経団連の言い分は次のようなものでした。
すなわち、日本と豪州の関係は、日本が主に天然資源と食料を輸入し、豪州が自動車・機械など工業製品を輸入する相互補完的な関係にあり、豪州の石炭・天然ガス・鉄鉱石それに牛肉などはわが国産業や消費生活に不可欠である。ところが、中国が豪州とのEPA交渉を開始している。もし日豪に先んじて中豪FTAが締結され、それに豪州から中国への天然資源・食料の安定供給に関する条項が盛り込まれることになると、わが国の安全保障に影響が及ぶことも懸念される――。経済界は、豪州資源の中国との奪いあいという対中国危機感を煽ったのです。
そして、食料資源に関しては、「牛肉、乳製品、麦、砂糖などわが国農業の主要品目が急激な自由化により豪州との競争にさらされると、現在、進めている農業構造改革は頓挫しかねない」ので、「農林水産品分野のセンシティビティには十分配慮する必要がある」としつつも、本音は、「日豪EPAによって、食料に関する輸出制限の禁止」を豪州に約束させることができれば、わが国の食料安全保障に寄与することが期待できるというものでした。マスコミの多くもこれを応援し、「国内産業への影響を恐れて、日本が交渉をためらっていてはだめだ。・・各国と友好関係を築くことで、国内で作っていては割高になる品目を安定的に輸入できるようにする。それが食料の安全保障の基本だ」と政府の尻を叩きました(「朝日新聞」06年12月7日の社説「農業改革で乗り切れ」)。

◆農水省の存亡を賭けた「白書」

このような圧力に押されたのか、またはうまく利用しようと考えたのか、経済財政諮問会議を押し出しての小泉構造改革路線を継承するとした安倍内閣は、農業改革を農水省には任せておけないと考えたのでしょう。首相が本部長を務める「食料・農業・農村政策推進本部」は、昨年4月の「21世紀新農政2006」に続いて、今年07年4月には「21世紀新農政2007」を決定し、「攻めの農政」の視点に立った国際戦略の構築と、国内農業の体質強化に向けた取組をスピード感をもって推進すると意気込んだのです。
「21世紀新農政2007」の基本戦略は、まずは輸入の安定と、そのためにも国際協力等を通じて世界の食料の安定生産・供給に貢献することで、わが国の食料安全保障を得るというものです。ここには、「食料自給率の向上や食料供給力(自給力)の強化」は、まったく無視されています。食料自給率ということばがよほどいやなのでしょう。まったく登場しないのです。
さらに、経済財政諮問会議に、「グローバル化改革専門調査会EPA・農業ワーキンググループ」が本年1月末に設置されました。このワーキンググループは、さっそく農水省に対して、国境措置を撤廃した場合の国内農業等への影響について試算するよう求めました。ところが、農水省が発表した計算結果は、何と「カロリーベースの食料自給率が40%から12%に低下する」という深刻なものでした。これについては、委員の一学者から「12%でも上出来だ」とする類の居直り発言があったとする議事録が公表され、農業関係者の激しい怒りを買うおまけまでついたのです。
ここまでくれば農水省も黙ってはおれなかったでしょう。繰り返しますが、私が、平成19年版『白書』がその冒頭で「食料自給率」問題を論じたことを、農水省の存亡を賭けるという意志が働いたからだとみたのは以上のような事情があったからです。
最後に、ふれておきたいことがあります。それは、わが国の食料自給率向上という国政は、WTOやEPAの自由貿易主義では時代錯誤とみなされがちですが、これは、第2次世界大戦後の国際社会において、国連規約のなかで確認された人権に関わる問題なのです。1966年の第21回国連総会は、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」を採択し、76年に発効しました(わが国は78年5月に署名、翌79年6月に国会承認、9月21日に発効)。この「社会権規約」第11条〔生活の権利、飢餓からの自由〕の第2項は、すべての者が飢餓から免れる基本的な権利を有することを認め、その(a)では、各国が食糧の生産、保存及び分配の方法を改善する措置をとるべきこと、そして(b)では、「食糧の輸入国及び輸出国の双方の問題に考慮を払い、需要との関連において世界の食料の供給の衡平な分配を確保すること」とあります。
「食料自給率の向上」は、近年世界的な運動の拠りどころとなっている「食料主権」とともに、この国連「社会権規約」を基礎にした人権擁護をめざす国際社会の公正基準に適うものです。第11条の条文をすべてここに引用する余裕がありません。ぜひ一度、この第11条を含め、「社会権規約」を読んでみてください。

【著者】村田武

(2007.11.01)