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村田武の『現代の「論争書」で読み解くキーワード』

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第3回 「フェア・アグリーメント」

ジョセフ・E・スティグリッツ/A・チャールトン著
『フェアトレード・格差を生まない経済システム』

◆「社会的正義」「公正」の原則  グローバリズムが世界を捉えるなかで、国際社会に...

◆「社会的正義」「公正」の原則

 グローバリズムが世界を捉えるなかで、国際社会に格差が広がっています。とくに低開発途上国がさらなる経済的困窮に落ち込むとともに、国際社会は世界的な栄養不足人口の減少にみるべき成果を上げていないなかで、国際貿易協定は社会的正義(social justice)、または公正(fairness)の原則にもとづくものであるべきだとする議論が登場しています。
 それを代表するのが、ジョセフ・E・スティグリッツの近著(ロンドン大学社会科学部リサーチフェローのA・チャールトンとの共著)『フェアトレード・格差を生まない経済システム』(浦田秀治郎監訳・高遠裕子訳、日本経済新聞出版社、07年)です。スティグリッツは、「情報の経済学」の構築によってノーベル経済学賞を受賞(01年)し、現在はコロンビア大学教授です。『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』(徳間書店)などで、アメリカの覇権主義的グローバリズムに対するリベラル正統派経済学の立場からの批判者として、わが国でも知られた存在です。彼が本書でいう「フェアトレード」は、フェア・トレード・アグリーメント、すなわちWTOは公正な貿易協定をめざすべきだということであって、途上国産品の公正な価格での輸入によって途上国の小農民を支援するフェアトレード運動とは直接の関係はありません。

◆「開発ラウンド」

 スティグリッツは、まずドーハ・ラウンドがなぜ途上国の抵抗を受けるのかを解説します。それは、第1に、ガット・ウルグアイ・ラウンド(UR)は先進国の優先事項を反映し、途上国はほとんど利益を享受できなかったのに、その一方で多大な義務と責任を負うことになったこと。第2に、2001年11月にカタールのドーハに140カ国の貿易担当閣僚が集まって開始を宣言したWTO最初の多角的貿易交渉「ドーハ・ラウンド」は、「開発ラウンド」と呼ばれるように、低開発国の経済開発促進と貧困の撲滅を目標にすると明確に宣言しながら、実際には交渉は途上国の期待に外れた方向に向かったこと。その結果が、03年9月のカンクン閣僚会議の交渉決裂となったこと。
 途上国の失望が大きかった分野の一つが、途上国がドーハ・ラウンド最大の目標とみていた農業改革でした。アメリカとEUが示した最終合意案では、とくに国内支持の分野で、もっとも貿易を歪める国内補助金の削減目標が数値で示されませんでした。しかも、この間において、アメリカの「2002年農業法」は農業者への助成を拡大し、デカップリングどころか補助金で生産拡大を再び刺激する「リカップリング」政策となりました。EUの「2003年CAP改革」も、生産者支援の水準は事実上引き下げられてはいません。さらに、97年以降の農産物国際価格の長期低迷による低開発途上国の経済的苦境の代表事例として、西アフリカ諸国の綿花栽培農家の苦境に世界の関心が集まり、その原因としてアメリカの綿花生産者に対する巨額の生産補助金・輸出補助金が、UR以降の農業の自由化を進めるという合意を反古にするものとして厳しい批判の目にさらされました。

◆「公正な」協定を合意された原則へ

 スティグリッツは、ドーハ閣僚宣言の第二条で、ドーハ・ラウンドの柱が途上国における「貧困の緩和」であり、「すべての国の国民が、多国間貿易体制がもたらす機会の増大と厚生拡大の恩恵を享受する必要性」を認めており、公正の原則が暗示されているとします。
 そこで、彼の主張となるのが、(1)協定は開発への影響という観点で評価され、開発に悪影響を与えるものはアジェンダ(指針)に掲げるべきではなく、アジェンダは貿易に関連し開発を促進する議題に限定されるべきこと、(2)協定は公正でなければならないこと、(3)協定は公正に締結されなければならないことです。そのように主張するスティグリッツの考えの根底には、「グローバル化の進展に伴い、世界的な協調行動が必要であるとの認識が高まるにつれて、公正の原則が重要な役割を果たすようになっている」(88ページ)という確信があります。
 そして、彼は、「すべてのWTO加盟国が自国より貧しく(1人あたりGDPが小さい)、経済規模の小さい(GDPが小さい)すべての国に対して、全産品についてフリー・アクセスを保証する」こととならんで、先進国は、農業補助金撤廃の義務を負うことを、ドーハ・ラウンドの優先原則とすることを提案します。
 農業分野についての、彼の提案をもう少し詳しくみてみましょう。第1に、EUを中心に先進国では、関税引下げや輸出補助金の撤廃など、国境保護を削減すること。第2に、穀物など途上国でも必需品である農産物についての先進国国内の生産支援は徐々に削減し、それに必要な予算の一部を途上国の調整コストの補てんのために振り向けること。第3に、先進国の国内支持は、市場価格支持から代替的支払い制度に転換すべきこと。さらにWTOは明確な輸出補助金と他の形態の国内補助金を区別しているが、いずれも生産と輸出を増やし、国際価格を抑制する可能性があること。
 ここから、スティグリッツがドーハ・ラウンドに期待する公正性がいかなるものかがわかります。もっともリベラルな正統派経済学が、WTO体制崩壊の危機を感じ、アメリカやEUに、近隣窮乏化政策から脱して世界的な協調行動に転換するよう要請せざるをえないということでしょう。

◆「公正」を超えて

 さて、スティグリッツは、わが国については、農産物輸入国であって輸出補助金はないものの、国内農業支持についてはアメリカ、EUと同罪と考えているようです。それでは、世界的な協調行動に貢献するには、わが国には国内農業を縮小して、さらに市場開放を進めるという道しかないということでしょうか。
 これに関して、彼は、貿易問題が環境などが絡むほかの問題とも重なり合うことからすれば、貿易問題の協議プロセスのオープン化、手続きの改革が必要であり、また、貿易政策が環境に影響を与える場合は、環境担当相の意見を聞く仕組みが必要になって、「そうすれば、たとえば、環境基準を低くして世界の大気汚染を容認して企業誘致をはかる動きを、補助金の一種と見なし禁止すべきだと主張するかもしれない」といいます。
 この指摘は、わが国のようにこれ以上の市場開放による国内農業の構造調整、すなわち縮小再編が、国土保全したがって環境保全を危うくする場合には、市場開放の制限が決して不公正ではないという主張がありうるということではないでしょうか。農産物をめぐる貿易協定に公正性を求めるスティグリッツの議論には、そもそも地球温暖化のもとで世界の農業と農産物貿易はどうあるべきかといった視点は欠如しています。そして上の指摘もそれほど明示的ではないのですが、その議論は、主として途上国に対する公正性の主張を超えて、わが国の農業のもつ多面的機能と各国の農業の共存という主張も正当であることを、正統派経済学の立場から擁護するものではないかと考えるのです。

【著者】村田武

(2008.01.31)