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村田武の『現代の「論争書」で読み解くキーワード』

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第9回 東アジア共同体」または「東アジア共通農業政策」

進藤榮一著 『東アジア共同体をどうつくるか』

◆「東アジアの地域統合」論  1997年7月、タイからのアメリカ・ヘッジファンド...

◆「東アジアの地域統合」論

 1997年7月、タイからのアメリカ・ヘッジファンドの資本引上げが引き起こした通貨危機がまたたく間に東アジア諸国の経済危機に波及し、それまで順調な成長をみせていたアジア経済が深刻な打撃を被りました。「東アジアの地域統合」論がにわかに登場したのは、この東アジア経済危機に際して、最もひどい被害を被ったASEAN諸国に対して、わが国政府が「新宮沢構想」を含む多額の救済措置を講じ、それが結果的に東アジア諸国の地域協力の重要性を目覚めさせることになったことがあるようです。
 その「東アジアの地域統合」論を、まとまったものとして提示したのが、谷口誠氏の『東アジア共同体―経済統合のゆくえと日本―』(岩波新書・2004年刊)でした。氏は、「それまで対米配慮から躊躇していたASEAN+3(日本・中国・韓国)のフォーラムに参加する方向転換を行ったことは、日本の対アジア外交の一歩前進として評価される。」としました。元外務省キャリアでありながら、「日中関係の改善のために、小泉首相がより真剣に、政治生命をかけて取り組むよう切望したい」と、日本の対米偏重外交からの脱却を求めたこともあって、大いに注目されました。
 ところが、谷口氏の東アジア共同体論とそこでの農業問題について提言は、外務省の代弁者以外の何者でもありませんでした。わが国農産物市場の開放、農業自由化を大前提にした東アジア共同体論とそこでの共通農業政策論にいわば先鞭をつけたのです。自由化を前提に日本農業の構造改革断行を主張し、「英国やスイスのレベルの自給率を回復することは難しいであろう」、「自給率の向上自体に最優先課題を置くべきでない」としました。谷口氏の主張する東アジア共通農業政策の要点は、日中間農業開発協力を中心にして、わが国の食料供給源の多角化戦略に中国を組み込むべきだということだったようで、韓国とはどういう関係になるのかはまったく言及がありませんでした。

◆新「東アジア共通農業政策」論の登場

 東アジア共同体における農業問題をもっとも明確にとりあげたのが、国際政治学者進藤榮一氏(江戸川大学教授・筑波大学名誉教授)の『東アジア共同体をどうつくるか』(ちくま新書、2007年1月刊)です。
 進藤氏の主張の要点は、東アジアの地域統合が、ひとつは「情報革命下」のそれであり、いまひとつは、EU統合とは異なってそれが「開かれた地域統合」だというところにあります。「情報革命下」の東アジア地域統合とは、「情報革命がつくり出したグローバル化の第三段階の動き」であり、「情報革命下のグローバリズムに抗するリージョナリズム(地域主義)の動き」だとのことです。この論点はこれだけにしておきます。
 問題は、「開かれた地域統合」です。氏によれば、それは域外(アメリカだけでなく後進農業国も含む)に対して「閉ざされた」関税同盟を機軸にして発出し展開したEUの、したがって「閉ざされた地域主義」とは異なります。東アジアの地域統合は、「WTO体制下『工程大分業』による域内ネットワーク化に拠った、包括的自由貿易協定もしくは経済連携協定として発出する」、したがって、その統合過程は「開かれた地域主義」として展開することになります。これは言い換えれば、「外資、つまり日本や韓国、アメリカの多国籍企業の企業内分業ネットワークを基軸とする東アジア地域統合」ということでしょうか。進藤氏には、多国籍企業の主導する東アジア地域統合が、東アジア各国の国民経済と各国政府の主権とどう関わるかについての批判的視点はうかがえません。
 さて次は、そのような「開かれた地域主義」としての東アジア地域統合における農業問題です。氏は、同書第7章「共通の持続的発展へ―環境、農業、エネルギー」の、「割腹自殺を超えて―農業問題の場合」とする節で、「地域統合にとって農業はもはや、阻害要因ではなく、割腹自殺を超えてむしろ補完要因としてさえ機能する潜在性を秘めている」といいます。「割腹自殺を超えて」とはどういうことでしょうか。
 第一に、情報革命によって、わが国の農産物は「知識集約的商品」に変容し、「成熟する東アジアの富裕な中間層」を対象に輸出市場を拡大し、「食の豊富化と、東アジア共通の食文化を介在させて、東アジア共通農業市場の形成を促しつづける」とします。第二に、農業生産の多国籍企業化(アグリビジネス化)が進み、東南アジアや中国での「開発輸入」の進展によって、東アジア農業の生産と消費の緊密化が進む。「日本人の胃袋と食料が、アジアと結びつく。資本移動とともに農業技術移転が、貧しいアジア農業の生産性を高めて域内自給力を高めていく東アジア食品生産共同体へのシナリオが現実化しはじめる」とします。
 この二つの指摘からすると、東アジア地域統合における農業は、韓国農業経営者総連合会会長のように、「割腹自殺」してまで各国の食料自給の維持・向上をめざすべきものではなく、共通の食文化を基礎にした域内国際分業の進展によって、東アジア域内自給力の向上がめざされるべきだということでしょう。この『東アジア共同体をどうつくるか』では少しわかりにくいのですが、氏の共著作『農が拓く東アジア共同体』(進藤榮一・豊田隆・鈴木宣弘編、日本経済評論社、2007年11月刊)の序章「フードポリティックスを超えて」で、氏は「食料一国安全保障の非常識」としていますので、氏の主張する東アジア域内自給力は、中国だけでなく、わが国や韓国も食料自給率を上げることを前提にしてはいません。

◆食料自給率向上放棄論?

 そして、氏は、第三に東アジアでは、自給力の確保の強化とともに、農業の多面的機能の保全強化を農業政策の中心にすえて、「米国や豪州など巨大ハイテク機械農法下の市場覇権主義的なアグリ・グローバリズムに抗して、稲作水田・小規模耕作下での維持可能な発展」を求める共通農業政策の構築がめざされるとします。それは、北米自由貿易協定(NAFTA)がメキシコ農業を荒廃させているような覇権主義的地域統合ではなく、「東アジアの持続可能な農業のための共通政策」であるとされます。
 問われるべきは、アグリビジネスによる「開発輸入」を前提にした「開かれた地域主義」と、持続可能な農業のための共通政策が整合的であるかです。
 というのも、氏が提示する東アジア共通農業政策への手順と見取図は、(1)まずは共通危機管理としてのコメ備蓄システムの構築、次いで、「東アジア共同体の骨格」づくりとして、(2)日本の先端農業技術と豊富な資本とを基盤に、農業生産性の劣った中国やベトナムやタイなどに農林水産業の技術支援を進めて、域内の農林水産業の近代化と域内食料自給能力の向上を図り「東アジア農業秩序の骨格」としての「東アジア食品生産共同体」の構築、(3)さらには、東アジアFTA(EPA)体制を、「できるだけ早くに域内経済格差を縮め、(コメを含めた)輸入関税と主権の相互削減をはかりながら、開かれた地域主義を進め、・・相互に国内構造改革を進めていく」べきだとしています。ところが、氏のいわれる「開かれた地域主義」のもとで、現実には、「東アジア食品生産共同体」とは、域内経済格差の存在を利用したアグリビジネス主導の「開発輸入」であり、輸入関税と主権の削減の踏み絵を各国政府に踏ませること、したがって食料自給率向上を放棄させることが、「東アジア共同体」の美名のもとに正義とされる事態が進行するということです。
 「歴史政策学」を理論的武器にするという本書には、アジア太平洋戦争における「日本のアジア侵攻は、抗日闘争の形であれ親日運動の形であれ、アジアの土着民族主義運動を幇助し、民族解放闘争の梃子として機能した」と、「新しい教科書をつくる会」張りの主張があります。氏の論理によれば、多国籍企業による農業再編、つまり「覇権主義的地域統合」が、諸国民の運動を「幇助」して「東アジアの持続可能な農業のための共通政策」を生み出す梃子として機能するというのでしょうか。多国籍企業主導の「東アジア食品生産共同体」の構築にわが国の食料安全保障を掛けるような提案はいただけません。

【著者】村田武

(2008.08.25)