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新たな協同の創造をめざす 挑戦するJAの現場から

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震災復興、環境保全...地域のための農協に  JA栗っこ

シリーズ12 JA栗っこ(宮城県)
・地域支援活動
・食農教育
・環境にやさしい循環型農業

 08年初夏に東北4県を襲った岩手・宮城内陸地震。宮城県最北の栗原市を管内とするJA栗っこでも、栗駒山の麓を中心に道路の寸断、施設や家屋の損壊など甚大な被害をもたらしたが、復興のため、地域支援のため、真っ先に立ち上がったのはJAとその女性部たちだった。

2009年度のJA栗っこあぐりスクール開校式

(写真)2009年度のJA栗っこあぐりスクール開校式

 

JA栗っこ(宮城県)地域支援活動
「教育文化活動」が原動力


 2008年6月14日、午前8時43分。
 JA栗っこ「あぐりスクール」開催日ということもあり、土曜ながら子どもたちが学校に集まっていた。保護者やJA職員も交えて昼食をつくっていた矢先、震度6強の大地震が襲った。
 「大人たちが半ばパニックになる一方、子どもたちはすぐ机の下に隠れていた。やはり普段から大人も避難訓練をしなくてはいけないと思った」と、参加していたJA職員は当時の様子を語る。結局、その日のあぐりスクールは中止となった。
 地震の被害は県で死者17人、行方不明者6人を出し、田んぼへの土砂流入、水路の断絶、施設の損壊など農業関連の被害額は計310億円に上った。JA栗っこ管内だけでも3000戸近くが被害を受けた。
 奇しくも同年3月、栗原市とJA栗っこの両者が災害時の支援協定を結んだ直後の震災だった。
 JAもすぐに対策本部を設置。翌15日には女性部を中心に炊き出しを行い、400個のおにぎりを震災の被害の大きかった花山地区などに届けた。おにぎりの数は翌日には800個を超え、炊き出しは7月20日まで1カ月以上、ほぼ毎日続けられた。青年部でも震災がおきて最初の冬、被災地で手付かずになっていたほ場の草刈りなどを協同で行うなど、復興支援に一役買った。
 一方、近隣のJAみやぎ登米、JAみどりののほか、県外からもたくさんの義援金や支援隊があり、農協や組合員の地域を超えた連携が震災から立ち直る元気を与えた。
 こういったJA同士、組合員同士の支援活動は「まさに教育文化活動で培った相互扶助精神のおかげ」(営農部営農企画課)である。
 集まった義援金の一部を使い、震災への対策や体験で得た教訓をまとめて『わが家の防災マニュアル』を制作した。これは支援への恩返しにもなった。初版の1万部は女性部や栗原市、支援をもらった全国のJAなどに配布したが非常に好評で、さらに1万6000部を増刷し、組合員をはじめ地域住民にも配布した。

 

食農教育
「ヒルに吸われた」と保護者が感謝

あぐりスクールで田植え体験する子どもたち 地震に負けずにがんばろう! との願いを込めて、09年7月には「第5回あぐりスクール全国サミット」がJA栗っこで開かれた。
 前年のサミットで次回開催地を決定する際、震災直後ということもありJA栗っこでの開催は見送ろうかという意見もあった。しかし菅原章夫組合長は「震災があったからこそ、地域に元気を出してもらおう」と、開催を決定。大会スローガンも「笑顔で復興」に決まった。
 JA栗っこのあぐりスクールが本格的に始まったのは06年。「自然にやさしい農業と次世代へつなぐ地域づくりに貢献」することを経営理念に掲げた。年会費は8000円だが、そのうち5400円は『ちゃぐりん』の年間購読料に充てられる。
 初年度の参加者は50人だったが、2年目には申し込みが80人を超え、それからも毎年80人以上が参加している。その半数は非組合員の子どもたちだ。
 あぐりスクールは地域貢献の一環でもあるが、「本当に嬉しいのは、保護者がこの活動を本当に喜んで共感してくれる」(営農部営農企画課)ことだという。
 例えば初年度1回目に豚汁をつくったとき、お碗や割り箸は使い捨てのものを用意したが、保護者からは「環境にやさしい、をめざすなら箸もお碗も家から持参させた方がよい」と逆に提案を受けた。
 また農業体験では、農薬や化学肥料などもいっさい使わずにコメづくりをしている田んぼを訪問した。すると子どもが田んぼに素足を入れた瞬間、ヒルが群がり、子どもの足は血だらけ。JAの担当者は大変な苦情がくると覚悟していたが、「ヒルに吸わせてくれてありがとう! こんな体験はほかではできない」と、むしろ感謝された。そのコメは1g1円と大変高価なのだが、その親子は感謝も込めて買うようになったという。
 昨年度からは地元の高校生ボランティアも募り子どもらと一緒に体験活動をするなど、地域の食農教育の先導者となっている。

(写真)あぐりスクールで田植え体験する子どもたち

 

環境にやさしい農業
食味・安心・安全と三拍子そろった栗っこ米


 JA栗っこは約1万5000haの広大な水田地帯があり、「人と環境にやさしい」栗っこ米をコンセプトに日本一のコメ産地をめざしている。水田面積のうち水稲の作付けは約1万ha。残りの5000haは大豆、飼料用米、ソバなどの転作だ。
 管内でつくられるコメは栗っこ米の名が付けられ、その最大の特徴は「とにかくおいしいこと!」(営農部米穀課)だとJA職員も胸を張る。
 安心安全に食味を加え、三拍子そろった高品質の栗っこ米は地域の人たちの誇りでもある。前述のあぐりスクール全国サミットでも、自慢の栗っこ米を振舞った。コメ主産県からの参加者も「ウチのよりおいしい」と、舌をまいたという。
 水稲作付け面積のうち53%のほ場が環境保全型農業に取り組んでいる(09年度)が、そのほかにも、農薬・消毒の使用制限などを定めた「栗っこ米マニュアル」をつくり、あわせて栽培履歴記帳運動を展開し、ほぼすべてのコメで栽培履歴の確認ができるようになった。
 05年にJAは5台の温湯消毒機を栗原郡農作物防疫協議会から引き渡され、生産者に配布する種子はすべて温湯消毒種子になった。種まき直前の農薬による消毒をゼロにすることで環境にやさしく、生産者のコスト・労力も軽減している。


地域巻き込んで循環型農業を―瀬峰農場


瀬峰農場と小牛田農林高校の生徒が共同でつくる田んぼアート(写真提供(有)ミヤギエンジニアリング) 管内南部、旧瀬峰町地区には、09年に環境保全型農業推進コンクール農林水産大臣賞を受賞した栗原市瀬峰地区循環型農業推進会議、通称「瀬峰農場」がある。
 地区全体で循環型農業に取り組んでおり、「エコ・せみね」ブランドで商標登録も取った。2年前に「瀬峰農場ファンクラブ」もできるほどの人気で、近隣の農林高校と共同で毎年田んぼアートも企画するなど、その取り組みは地域を巻き込んでいる。
 地区内20件の畜酪農家と200人以上の耕作者との耕畜連携で、堆肥づくりをしている。瀬峰農場の大きな特徴は、堆肥の検査と地区全体の連携だ。
 検査は行政・JAが協力し、スコア法で腐熟度を判定。70点以上の合格点が出なければ、再度発酵へ回される。循環型農業の多くは畜酪農家が堆肥をつくり、それを耕作者が買い取る形だが、瀬峰の堆肥センターは参加者全員の協同管理だ。若い青年農業者を中心に当番制で切り返し作業を行うため、堆肥の生産コストも安い。
 本格的に県外へコメの販売をし始めたのは、09年度からだ。約5000俵を生産し、販売はすべてJAを通じて県内外へ売り出し好評を得ている。インターネット通販も手がけている。

(写真)瀬峰農場と小牛田農林高校の生徒が共同でつくる田んぼアート(写真提供(有)ミヤギエンジニアリング)

 


わがJAの挑戦

JA栗っこ 代表理事組合長 菅原章夫

地道なJAの活動で多くの人が協同の輪に


「まず、まじめにいいものをつくる」


JA栗っこ 代表理事組合長 菅原章夫 ――JA栗っこは環境保全米や徹底した生産管理など、日本一のコメづくりをめざして取り組んでいますね。
 JA栗っこでは食味、安全、安心の三拍子そろったお米をつくろうと、7年ほど前からすべての生産者に栽培履歴の記帳を義務付けたマニュアル栽培をはじめました。農薬や消毒のやり方まで細かく丁寧に決めてあります。
 これはお米の販売戦略として始めました。
 一昔前はプレミア米と一般米では価格で1俵2000円ほどの差がありましたが、今はなかなか値段の差が出ません。ならば、徹底して環境保全や、安心安全なお米づくりに取り組むことで消費者から評価をもらえる産地にしよう、と思いました。
 産地と消費地とのコミュニケーションをとろうと、役職員が毎年大消費地の卸なり取引先なりを回っています。消費地のニーズを正確に産地へ届ける役割を、農協はしていこうと思っています。
 また卸などの流通にとっても、管内のお米に品質の差がない、栗っこ米ならどこで買っても同じ高品質のお米が仕入れられる、というのが非常に大きなメリットです。今では管内のコメは「栗っこ米」として生産され、一等米比率もほぼ毎年95%以上と、全国でも屈指の高さを誇っています。
 このマニュアルは環境にやさしいお米づくりが前提です。以前から土づくりに積極的だった地域もあるし、何よりほとんどが田んぼの地帯ですから、お米づくりにこだわりを持ちたい、と思います。
 宮城県全体では環境保全米を全収量の7割に伸ばす目標を掲げています。現在はまだ4割弱ですが、JA栗っこだけでみれば5割を超えています。
 ――今後のお米づくりの課題や目標はどんな点でしょうか。
 今は生産量の9割が「ひとめぼれ」です。冷害に強いということで1993年(平成5年)の大冷害以降急激に増えましたが、食味や品質がいいのはやはり「ササニシキ」。比較的安価で業務用として伸びている「まなむすめ」とともに拡大し、さまざまな品種を取り揃えたいですね。
 不安と言えば、やはり今のお米の流通が非常に悪いということです。
 96年の合併当初は200億円ほど販売高がありましたが、98年に減反面積が8%増えたにもかかわらず、一気に米価も下がり始めました。その上、過剰在庫も抱え、20年産米の在庫がまだある状態です。
 今の農政に期待もあったし、戸別所得補償制度もこれまでの集落営農や団地化など一定条件を満たさなくても入れるなど評価できる点があります。しかし肝心の出口対策がありません。これからもまだまだ米価は下がる要素があるんですから、しっかりした岩盤対策をして、国もムダな税金を投入しなくて済むような仕組みをつくってほしいと思います。

◇   ◇

 ――2年前の大地震のとき、どこよりも早く対策本部を立ち上げて地域復興に尽力しました。
 農協に今求められているのは、組合員はもちろん地域のため、いかに貢献するか、です。地域貢献を地域の人に感じてもらわなくてはいけない、相互扶助精神を忘れてはいけない、と地震がおきてすぐに現場を回りました。
 例えば、人の飲み水は支給されても家畜用の水がないということで、牛乳の収乳車を4台手配して畜酪農家に水を配りに行ったり、なんとか建物更生共済をもらえるようにと職員が組合員さんの家を回って、ほんの少しのヒビや破損も細かく申請して、結果的に36億円ほど共済金を支払いました。こういう活動は本当に地域の人に感謝されて、非常に嬉しく感じました。
 ――地域貢献という意味では、福祉事業でも大きな成果をあげています。組合長ご自身でも、全国で954組織が参加しているJA高齢者福祉ネットワークの会長を務めておられますね。
 健全な営農をやるためには、健全なカラダが必要だ、というのが福祉の基本理念です。
 2000年の介護保険制度と同時に始めましたが、前年の理事会はもめにもめましたね。当初は儲けることはまったく考えず、とにかく地域貢献が大事だということで始めたので、初年度は500万円赤字という事業計画でしたが、結果的に黒字になりました。やはり最初から見返りを期待していたら必ず失敗します。これは経済事業でも同じで、高く売れるかどうかは、あくまでも相手の評価です。まずは、まじめにいいものをつくらなければいけません。福祉をやることで信用、共済の取扱いが増えたりと、他の事業にも影響があります。一生懸命やることで自然とそういう結果になるんですね。
 また、福祉は組織強化にもつながりました。
 昔の女性部はイベントだけ義理で参加したりするだけだったので、合併当初は5000人以上いたのが減る一方。いまでは2400人ほどです。
 しかし福祉や、地震復興の支援活動などをするなかで、多くの人が仲間に入ってきました。特段、勧誘活動を強化したわけではないのですが、それでもここ何年か女性部員は増えています。これも、JAの地道な活動が地域の人に受け入れられているからでしょう。こういう協同の輪を広げる活動を、これからも続けていきたいと思います。

(2010.04.26)