シリーズ

私と農業

一覧に戻る

現代よりも食生活に恵まれていた子ども時代

その2

 幼稚園から小学校6年の夏までを静岡県清水市の折戸で過ごしました。能登の七尾に比べると気候は温暖で風光明媚、朝夕富士山を間近に望むことができる環境でした。
 百人一首に出てくる田子の浦が対岸にあり三保の浜辺には羽衣の松が枝を広げているといった具合です。

 当時の私の行動圏には、農作物が極めて多彩で豊富でした。静岡といえばミカンやお茶が有名ですが、サツマイモや落花生のほか、そら豆やえんどう豆などの豆類もあり、通学路には綿やサトウキビが栽培されていました。
 地域には警防団があり、6年生の子どもたちを班長に5、6人でグループをつくり、毎週日曜日の早朝に住居の周りの道路掃除をすることが決められていました。掃除はいやでしたが、約1時間の作業が終わってからの遊びが楽しくて眠い目をこすりながら集合時間に駆けつけたものです。

◇   ◇

 ここで少し食物調達の話しをしましょう。
 実際の生活は厳しかったのですが、子どもたちはテレビもゲームも無い時代でも結構楽しくたくましく過ごしていました。
 夏に収穫後のトマト畑に行くと小さいながらも完熟したトマトが取り残されており、これがすごく美味しい。サツマイモも収穫後に細い根の部分が放置してあり、これをすじ芋と呼んで焚き火の下に埋め蒸し焼きにしましたが、とても甘味が強くて印象に残っています。さらに甘いものに飢えていたときは、サトウキビ畑に潜り込んで固い茎を石や歯で砕き芯の部分を吸ったものです。
 何十年か後、社会人になってシンガポールに行ったとき、屋台でサトウキビジュースを売っていたのを見て迷わず買って飲みましたが昔の甘いイメージと全くかけ離れた味で、「これを大事に飲んでいたのか」と愕然としました。
 高価なものや珍しいものは何も無かった時代ですが、今の子どもたちより食生活は恵まれていたと思います。

その1はコチラから)

その3に続く

【著者】上坂清保
           アリスタライフサイエンス(株) 日本事業本部本部長

(2010.07.30)