特集

食料安全保障の確立とJA全農の役割
食料安全保障の確立とJA全農の役割

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【対談】
世界の食料と肥料 その1

肥料は「価格の時代」から「確保する時代」へ
加藤一郎JA全農専務理事
ビル・ドイル(Bill Doyle)PCS社社長兼CEO

 ビル ドイル−世界の肥料業界でこの男の名を知らない者はいない。カナダの加里鉱山を世界一の総合肥料企業に育て上げたアメリカンドリームを地で行く男である。米国人には珍しく東洋的な感覚を理解できる男でもある。子宝に恵まれ、キャッシー夫人との間に3人の子供がいる。新緑の深まる一日、中国政府との商談を終えて帰国途中のビルを全農に迎え、世界の食糧と肥料についての彼の考え方を聞いた。(加藤一郎)

世界の市場から日本農業を見る目をもつこと

◆安定供給するために35年前に海外に肥料原料を求める

加藤一郎JA全農専務理事
加藤一郎
JA全農専務理事

 加藤 久しぶりですね。
 ビル 6年ぶりの来日です。ご無沙汰してすみません。
 加藤 私も管理部門担当になり、なかなか会う機会がなくなりました。皆さんお変わりなく?
 ビル ありがとうございます。妻も子供たちも私以上に元気です。奥様は?
 加藤 元気にやっています。年々、口うるさくなってきましたが…(笑)。
 ビル いずこも同じです。女性は口をきかなくなるほうが怖いですよ。(笑)
 加藤 ビルに初めてお会いしたのはいつでしたかね…、たしか20歳代?
 ビル そう、昔々…(笑)、20歳代の後半でした。お互いに若かったですね。
 全農が「資源確保」を組織の至上命題として、総合商社を向こうに回し、直接米国に乗り込んできたときからです。
 加藤 30年以上になりますね。当時、全農は1973年、78年の石油危機に端を発した肥料原料価格の高騰を背景に、組合員の負託に応える事業を目指し、肥料資源確保プロジェクトを立ち上げました。
 組織をあげた議論の結果、たどりついたのが資源をもっている山元と直接提携するという構想でした。
 あの頃の若い職員は理想に燃えていました。私もプロジェクトのメンバーに選ばれ、米国での事業展開の企画を担当していました。
 ビル よく覚えています。私にも忘れることのできない時代です。
 海外に雄飛しようとする当時の全農の勢いは凄まじく、私たちも圧倒される思いでした。
 加藤 全農は、肥料価格の高騰を機に、資源の有限性と旺盛な食料需要を背景とした肥料需要の増大を肌で痛切に感じていました。
 ビル はっきり申し上げられることは、当時の全農は時代をはるかに先取りしていたということです。
 加藤 原料資源のない日本で、組合員に肥料の安定供給をつづける仕事は全農の義務であり生命線でした。
 ビル 全農の気持ちは私たちにもよく通じていましたから、私たちも懸命にサポートしようとつとめました。

◆タンパの街を「全農燐鉱」と大書きした車が疾駆する

ビル・ドイルPCS社社長兼CEO
ビル・ドイル
PCS社社長兼CEO

 加藤 あの頃はよく日本におみえになりましたね。
 ビル 日本に来たのではなく、全農詣でをしていたのです。全農にくれば世界の情勢がわかる。(笑)
 1980年だけでシカゴ(IMC本社所在地)から10回もきました。今回は残念ながら6年ぶりとなってしまいましたが、数えましたら丁度50回目の全農詣でとなります。
 加藤 ほう、50回ね。
 ビル 私も仕事の範囲が大幅にふえ、以前のように頻繁に日本に来ることができなくなり申しわけなく思っています。
 しかし、日本や日本の友人、日本の農業に対する思いは昔も今も全く変わっていません。日本での経験、とくに全農のみなさんとともにした歳月は私の貴重な財産です。
 加藤 私自身、ビルから折節貴重な情報とアドバイスをいただき感謝しています。
 ビルの意見はいつも売り手とか買い手といった狭い次元のものではなく、つねに的確に将来を予測しているので勉強になりました。
 ビル 私は、肥料業界に身を投じて今年で34年になります。現在のPCS社に移って21年です。
 PCS社に移るときは加藤さんにもずいぶんご心配をおかけしました。
 なにしろ世界一の肥料会社からカナダの田舎の加里会社に移ったのですから。
 考えてみますと、IMC社時代をふくめ私の職業人生のほとんどは加藤さんとの二人三脚といっても過言ではありませんね。
 ところで、加藤さんがタンパに赴任されたのはいつでしたか。
 加藤 全農燐鉱(株)の副社長として、私がタンパに赴任したのは1984年です。
 ビル 当時、私も「資源確保」という全農の至上命題をあずかりフロリダで燐酸質肥料の確保に奔走していました。
 加藤 当時、全農は米国で3つのプロジェクトを検討していました。その1つはフロリダ州タンパにおけるエステック社とのジョイントベンチャー、ワトソン燐鉱山の採掘事業です。
 ビル 私の古巣、IMCの主力工場は全農燐鉱(株)のタンパ事務所からワトソン鉱山に行く途中にありました。
 加藤さんたちがボディに日本語で「全農燐鉱」と大書した大型ジープを駆って工場前の道路を暴走する姿がIMCの社員の間で話題になりました。あの日本語は誰が書いたのですか?
 加藤 日本から同寸大の活字を送ってもらい、タンパの職人がそれを写しました。
 ビル あの日本語には全農の誇りがこめられていましたね。
 加藤 フロリダ州タンパといえば松井選手の所属するニューヨークヤンキースのキャンプ地として、最近では岩村選手の活躍するタンパベイレイズの本拠地としてすっかり日本人にも身近な存在となりました。
 しかし、あの頃タンパに住んでいた日本人はわずかに7家族、そのうちの3家族が全農燐鉱(株)の社員でした。
 日本酒はおろかお米を手に入れるのも大変でした。韓国人が経営する小さな店までよく車を走らせました。
 ビル そのことがかえって加藤さんたちがアメリカという国を理解するうえで役に立っていたように思います。
 加藤 ワトソン鉱山と平行して、ビルのIMC社とも2つの事業を立ち上げました。1つは、山元IMC他数社とのリン鉱石在庫買取契約(I.P.C)でした。
 ビル もうひとつは、全農とIMC社のリン鉱石委託生産契約(C.P.C.)。13年にわたる長期契約でした。
 いま、世界に肥料で13年の長期契約を結ぶ度胸のある国や組織は残念ながら見当りません。

◆大多数を対象とした発想と最先端の要請に応える経営理念を

 加藤 PCS社に移ってから目を見張るような仕事をされましたね。
 ビル つねに世界の食糧事情と肥料の需給、サプライヤーとしての責任を考えつづけてきました。
 加藤 燐鉱石の鉱山、燐酸プラント、窒素肥料会社などを矢継ぎ早に買収し、カナダの田舎の加里会社でしかなかったPCS社を北米最大の原料採掘・肥料製造販売会社に仕上げました。
 CEO兼社長に就任されてからは、特殊加里肥料のリーダーであるチリの硝酸加里会社SQM社への出資、ブラジルの燐酸飼料会社を買収、更に中東に転じて死海の両岸にあるヨルダンとイスラエルの肥料会社にまで資本参加されています。
 ビル 全農とBB肥料原料用の粒状加里も共同開発しました。
 私はPCS社のコアビジネスである加里事業の強化を懸命に続けてきたのですが、気がつきますと今日では窒素や燐酸ビジネスも傘下におさめ、世界最大の肥料資源企業となりました。
 加藤 あなたの先を読む力にはいつも敬服しています。正にアメリカンドリームそのものです。
 ビル お褒めいただきありがとうございます。
 しかし、現在ならまだしも、世界の倉庫にまだまだ食料がだぶついていた30年も昔、「資源確保」を命題に世界市場に打って出た全農の発想にはとてもおよびません。
 加藤 ところで、世界の食糧事情は一変しました。人間と車の食糧争奪戦争などといった不穏な言葉までとびだしています。
 ビル たしかに世界の食糧事情は激変しています。しかし、リーダーシップを執る者はつねに状況を冷静に分析・把握しておかねばなりません。
 加藤 穀物価格の動向は、一過性のものではなく構造的なものであると…。
 ビル 2008年の世界市場は、PCS社にとって夢にまで見たマーケットとなっています。
 誤解しないでお聞きください。私の申しあげることは単にPCS社の利害から発想しているものではありません。
 全農には国民に安全で安心できる農産物を供給する責任がありますように、PCS社にも、世界最大の肥料資源供給企業として、資源を継続的に開発し、各国に安定的に供給する義務があります。
 中小企業や個人商店ならいざしらず、全農やPCS社のようにひとつの国家を代表する組織や企業となりますと、市場の要請を正確に分析・把握し、自らのすすむ道を選択しなければなりません。
 加藤 我々の仕事は個人商店のように、市場の隙間で成果をあげるような仕事は私たちに課せられた使命ではありません。
 我々の使命は生産者と消費者を安心で結ぶ懸け橋になるという経営理念をもって事にあたる、むつかしい仕事ですがそれだけにやりがいもあります。
 ビル その通りです。

◆バイオ燃料向け穀物は「ケーキの飾り」のようなもの

 ビル 世界にはたくさんの人がいます。以前とちがって、いまではその多くの人たちがお金をもっています。
 彼らは、蛋白質を買うことができるようになりました。食生活はでん粉質から蛋白質へと移りました。肉を食べるようになったのです。
 この現象は世界的に穀物生産に大きなプレッシャーをかけることになり、肥料需要の増大として跳ね返っています。
 加藤 目をみはるほどの変化です。
 ビル メディアはバイオ、バイオと騒ぎたてバイオ燃料は今や穀物価格高騰の犯人に仕立てあげられています。
 しかし、バイオ燃料につかわれる穀物は僅か5%にすぎません。穀物の95%はまぎれもなく食料につかわれています。
 加藤 バイオ燃料向け穀物はケーキの上にのっている小さな飾りのようなものという発想ですね。
 ビル その通りです。
 私はゆく先々でチョコレートケーキの話をしています。ケーキ本体は食料向けの穀物、バイオ燃料向けの穀物はそのまわりの飾りにすぎません。あるいは比率はもっと少なく、まわりに薄くふりかけた砂糖程度かもしれません。
 食料価格の高騰はあくまでも食料需要の増大によるもので、バイオ燃料によるものではないことを正確に分析・把握しておかないと問題の焦点を見誤ります。
 加藤 問題の焦点を見誤らないためには世界の人口増と各国の一人当たりの可処分所得の動向、富裕層などの需要動向、すなわち世界の食料・農業をとりまく環境の変化を正確に分析・把握することが必須の条件となる…。世界をとびまわっているビルのご意見は?
 ビル たしかにアメリカではとうもろこしの30%はエタノール向けです。
 しかし、エーカー当たりのエタノール生産量があがっていますので、エタノール用需要はおちついてくるとみています。
 とうもろこしの収量も増えていますし、エタノールプラントも効率がよくなり第二世代プラント時代にはいりつつあります。エタノールプラントはまだまだ発展段階で改善の余地が十二分にあります。
 加藤 今、世界が直面している原料資源や食料問題の核心を冷静に分析・理解し、供給サイドも需要サイドも共通の認識をもって事にあたることがなによりも大切です。

◆穀物価格の抑制は農業の生産性を低下させる

 加藤 ところで世界の食料需給は、これまで生産国における余剰食料を前提にくみたてられてきましたが…。
 ビル 余剰というよりも、食料と金の偏在を前提として、といったほうがよいかもしれません。
 加藤 日本も、1970年前後を境に、一貫してこの問題に苦しんできました。海外からの安い農産物におしまくられ食料自給率は40%を切りました。
 しかし、ここへ来て状況は一変し、穀物の輸出を規制する国まででてきました。
 日本も金さえあればいつでもなんでも手にはいると高をくくってきましたが、食料は金銭の問題だけで解決できない時代に入ったと考えます。
 ビル 世界の食料需給は簡単に緩むことはないと見ています。今後、何年もかけて、食料不足を補充する時代が続くと思います。
 世界の市場は、増大する食料需要に対応するため、穀物在庫を積み増したのではなく、食い潰してきました。
 加藤 発想が逆になっています。
 ビル 過去9年のうち8年、世界は穀物を生産する以上に消費しました。需給バランスを維持できる水準ではありません。
 需給バランスを維持するには、穀物を消費する以上に生産する必要があります。
 例えば、中国のとうもろこしの収量は米国の半分です。当然、技術的にも十分改善の余地があります。いま、世界はこの問題に注目しています。
 加藤 外資が中国の土地と労力を利用して世界の市場に…とでも…。
 ビル 今後は、政府よりも民間がより中国の農業に関心を払う時代が来ると予測しています。
 ただ問題は、いずこも同じで、政府というところはえてして時代の流れに逆行する仕事をすることです。
 加藤 日本の政府は国民のために必死になっていますよ。
 ビル 加藤さんもお役目柄リップサービスがお上手になりましたね。
 例えば、政府は食料品の価格を抑制するため、穀物の価格を下げることがあります。逆の発想ですね。
 加藤 中国で?
 ビル はい。中国ではまさにこのような事態が起きています。政府が穀物価格を抑制しているため、農業は女子供に任せ、男は都市に出稼ぎに出てしまっています。当然、農業生産は低下します。
 加藤 食糧の過剰基調と肥料原料の長期安定基調の認識が甘かった。今、アグリフレーションという言葉がでてきました。今後、安定していた食料品価格が上昇し続けることが消費者の不安をあおる状況です。米をはじめとする農畜産物の適正な価格水準がどこにあるのかを市場が模索し始めました。我々はそれにどう関与すべきか。農畜産物価格と工業製品価格のバランスは適正かどうか。また、環境保全のコストをどう判断するのか。新たな時代に入ったと思います。
 ビル  政府のすべきことは、本来、穀物の価格を上げて農家の生産意欲を高めることです。価格の抑制は、農業生産力の低下を通して、世界の市場価格に跳ね返る。安い穀物価格は世界の食糧問題への回答ではありません。
 肥料原料の高騰が食糧問題の元凶と誤解している方も中にはおられるようですが論外です。肥料は食料問題を解決する重要なツールのひとつです。
 私は、日本はこの問題でも世界の先頭を走っている、とみています。
 今年、日本の加里の投入量は1987年以来初めて増加しました。21年ぶりです。
 加藤 穀物価格の高騰、バイオ燃料の動向は相変わらずマスメディアを騒がせていますが、肥料原料価格の高騰は最近になってメディアの注目するところとなりました。
 しかし、塩化加里の価格は昨年だけでも私が原料輸入を担当していた時代の価格と比べて2倍以上の値上がりになっています。
 ビル 加藤さんの担当していた時代からは想像もできないでしょう。
 加藤 最近の肥料資源の動向は、全農で20年近く肥料原料の開発輸入業務を担当してきた私でさえ理解に苦しむのですから、その動向を正確にトレースして各地で農業生産にたずさわっている組合員が理解できるように説明しろといわれましても至難の業です。
                                     (「世界の食料と肥料 その2」へ)

(2008.07.18)