特集

農業協同組合新聞創刊80周年記念
食料安保への挑戦(1)

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【貧困を拡散した“WTO精神”】
貧困を拡散した"WTO精神" 鼎談その1

交渉再開前に“正体”見直しを

<出席者>
宇沢弘文氏 (経済学者)
内橋克人氏 (経済評論家)
梶井功氏 (東京農工大学名誉教授)

 宇沢氏は食料安全保障について「市場原理主義を前提とする自由貿易体制の中に日本農業を組み込んでしまったことが問題。その反省を出発点にしなくてはいけないのではないか」と提起した。内橋氏は「世界貿易機関(WTO)の正体を見抜いて、農業交渉に当たるべきだが、しかしWTOの原則や思想性に対抗できる主張が日本にはまだない」と指摘した。梶井氏は「農業協定の前文に、自由化を進めるに当たっては食料安保や環境問題などの非貿易的要素にも配慮する――とあるが、実際の交渉ではそれが全く考慮されていない」と批判した。議論は米国経済のマネー資本主義化によるWTOの変質、不均衡国家になりつつある日本経済の脆弱性などに及び、本紙80周年記念特集のビッグ鼎談にふさわしい多彩な展開となった。

政府の基本認識が問題  梶井
自由貿易体制に意味なし  宇沢
メキシコの苦難に着目を  内橋

◆農政のあり方が問題

うざわ・ひろふみ
うざわ・ひろふみ
昭和3年7月鳥取県生まれ。東京大学理学部数学科卒業。米国スタンフォード大学経済学部助教授、シカゴ大学教授などを経て東京大学経済学部教授。文化功労者。日本学士院会員、米国科学アカデミー客員会員。文化勲章受章。近著に「経済学と人間の心」(東洋経済新報社)、「経済解析ー展開篇」(岩波書店)など多数。

 梶井 国連食糧サミットで各国首脳は、食糧安全保障を恒久的な国家の政策として位置づけることを“誓い合い”ました。こういう時代になったのは何が原因か、何をいちばん問題にすべきかをめぐって両先生にお話いただければと思います。
 日本では食料・農業・農村基本計画が食料自給率を45%に引き上げる目標を掲げています。しかし福田康夫前総理は40%台では心許ない、50%に引き上げようと指示しました。
 これは基本計画ではダメだから計画を作り直せという指示だと思います。ところが農水省は計画見直しのための会議などは招集していません。どうも本腰を入れた自給率アップの取り組みになっていないようです。
 新年度予算概算要求では米粉や飼料米を増産して自給率を上げるといっています。また概算要求の資料には、コメの生産調整を自給率向上の長期戦略の一環として位置づけると説明し、要求額を増やしています。
 これについても長期戦略として本腰を入れるというのなら私は食糧法の改正から始めるのが筋じゃないかと思います。
 国際的に食料安保を問題にしなければならないような情勢の中で、農水省の取り組みにはどこか基本的認識に不足があるのではないかと思います。
 もう1つ、地球環境問題との関連があります。バイオ燃料をCO2排出の削減に役立てようとしたらトウモロコシが値上がりし過ぎて、これを主食にしている国で主食を買えなくなるという事態が起きています。
 宇沢先生は早くから地球環境問題で警鐘を鳴らされていますが、基本的認識などをめぐってはいかがですか。
 宇沢 その前に農政のあり方には2つの大きな問題があると思います。1つは農政官僚の生きざまの問題。もう1つは農業を自由貿易体制の中に組み込んだことです。以前からいっていますが、こんな反社会的、非論理的な制度はないと思っています。
 まず農政官僚のことですが、私は東畑精一先生の教えを受けて、私なりに農政の勉強を続け、20年近く前までは農林省の農林水産技術会議の委員を10年間ほど務めました。政府審議会には一切関わらない主義だったのですが、この時だけは東畑先生らの勧めに従いました。

◆天下り先づくり優先

うちはし・かつと
うちはし・かつと
昭和7年兵庫県生まれ。新聞記者を経て評論家。テレビ、新聞、雑誌などで発言・執筆活動。主な著書に「匠の時代」(講談社文庫)、「内橋克人・同時代への発言」(岩波書店)、「経済学は誰のためにあるのか」(岩波書店)、「共生の大地」(岩波新書)、「共生経済がはじまる」(NHK人間講座=NHKブックス)、「悪夢のサイクル―ネオリベラリズム循環」(文藝春秋)など多数。

 宇沢 当時、つくづく感じました。農政官僚たちは農の営みの持つ人間的、自然的、文化的価値を全く無視して、自分たちの天下り組織をつくることばかりに力を注いでいると。彼らは農業が自由貿易体制に組み込まれたことによる農村人口の減少などといったことは考えなかったようです。
 私としては長期的な立場から日本の人口の一定割合は農村に定住して農業を中心とした職業に従事することが大切だと考えていたのです。
 私は旧制第一高等学校で全寮制生活を送り、その中で農村出身の友人を得ました。彼らは、都会育ちのこせこせした人間と違って、おおらかでスケールが大きくて能力もありました。彼らとのつきあいで、農村に生まれて育つということの意味を強く感じました。
 そこで委員在任中は、食料自給をいう前に、農村人口を減らさないようにすべきだと何度か主張しました。しかしキャリア官僚たちは、国民総生産のうち農業生産はごくわずか。「4%以下では肩身が狭いよ」などと農業をバカにするだけでした。
 農村では生きていけないような条件をつくっておいて何をいうか、と私は憤激に耐えない思いもしました。
 それから当時のキャリアたちは食品安全にもあまり留意しませんでした。例えばポストハーベストについて米国政府は国内消費分に対しては非常に厳しい基準を設けながら、輸出分の基準はゼロでした。
 私は輸入品のチェックを厳しくするよう随分強調したのですが、相手にしてくれませんでした。キャリアたちの念頭にあるのは天下り組織のことばかりだったといえましょう。
 それから省内の会議の休憩中に役人たちのこんな会話を聞きました。「××県にはため池がまだいくつも残っている。ため池退治に出かけないといけないね」というのですよ。ため池をつぶしてダムをつくる算段なのでしょう。ショックでした。
 ため池は空海の満濃池(香川県)に代表されるように日本農業の原点です。日本の気象や地勢などからして大切に保存すべき施設です。私の言葉でいうと、ため池は大切な社会的共通資本です。それを“退治”するというのだから問題です。

◆市場原理主義はダメ

梶井 功氏
梶井 功氏

 宇沢 いくつかの例を挙げましたが、私はこれらの問題の根は深いと思います。よく考え直す必要があるんじゃないでしょうか。
 さらに食料をめぐる課題は山積しており、汚染米とか毒入りミルクとかの事件も相次いでいます。そのたびに歴代の首相や農水相は対応するスローガンを掲げますが、全くナンセンスで空虚なものが多い。
 政権が変わると忘れてしまうようなものが多いのに我々はそれに振り回されている感じもします。その中で官僚たちは独立行政法人とか何とか天下り先づくりに汲々としています。
 それから戦後の自由貿易体制ですが、これは全く意味がありません。自由貿易の原則は経済学の教科書の最初に出てくる政策命題ですが、その前提には問題があります。
 例を引きますと、コメを作っていたが、値下がりしたから、田んぼを工場に変えて自動車をつくることにした、労働者はそれまでコメを作っていた人たちだ――その転換がコストも時間もかけずにできるというのが自由貿易体制を弁護する理論の前提としてあります。
 もう1つの前提は、人間はもうけるために生きているという市場原理主義です。だが真実はそうではない。農の営みもあり、自分の志を貫く生き方もあります。それらを社会が支えてきたのが昔の農村の基本でした。
 それを60年間で壊してきたいちばんの原因が自由貿易体制だというのが私の考え方です。梶井先生も何かに同じ論旨を書かれていたと記憶しています。
 梶井 いえ、岩波のジュニア文庫「日本農業のゆくえ」で、自由貿易体制には原理的におかしなところがある――という宇沢先生の説を引用させていただいたのです。
 宇沢 まとめますと、以上2点の反省を出発点としなくてはいけないんじゃないかということです。
 梶井 根源的な問題提起がありましたが、内橋さん、いかがですか。
 内橋 最初にちょっと、ため池について。兵庫県はため池の数が全国でいちばん多く、今も営々として農業を支えています。そんなことから今ちょうど、ため池の役割を見直し、大事にしましょうという運動が進んでいます。だからため池を“退治する”なんて聞けば、みなさん怒髪天をつかんばかりに憤激するでしょう。
 この運動は神戸新聞、兵庫県を中心に展開している「地才地創」運動という地域の内発的発展をめざす幅広い取り組みの一環です。

◆NAFTAの害悪

 内橋 それはそれとしまして今、世界各地で食料暴動が巻き起こっていますが、農業と食糧の危機的状況に対して市民レベルで抵抗運動の第1波が起こったのはメキシコだと思います。人口1億300万人くらいの国ですが、2年ほど前から最大規模で7万5000人という大規模なデモが相次いでおり、日本でいえば大正7年のコメ騒動に匹敵するでしょう。
 メキシコ人の主食はトウモロコシの粉で作ったトルティージャとかタコスですが、それが1年足らずの間に6割、7割と値上がりしました。地域によっては5倍、6倍にもなった。目の前に突きつけられた悲惨な生活破壊に死に物狂いで抗議したわけです。
 見逃してならないのは、深刻な危機の背景に北米自由貿易協定(NAFTA)があったということです。この協定は1994年に発効しており、米国、カナダ、メキシコの3か国間で10年以内に関税を撤廃するなどの内容からなっています。
 メキシコはもともとトウモロコシの主産国でしたが、協定締結の結果、米国から安いトウモロコシがどっと輸入され、南部チアバス州あたりの小規模零細な家族経営農家は壊滅し、ついには流民化に追い込まれました。結局、主食であるトウモロコシを自らは作れない国になってしまったわけです。
 今の日本の財界がいっているように、食料は安い国から買えばよいという市場原理主義の競争に任せた結果、NAFTA体制のもとで、否応なく食料を全面的に米国に依存せざるをえない構造になってしまった。
 そこへ価格暴騰、少しは生産されていた分までバイオ燃料の原料として米国資本が買い取ってしまうという事態もおこり、NAFTAのマイナスの影響をもろに受けたメキシコはついには社会的危機に陥ってしまいました。

◆小零細農をつぶして

 内橋 メキシコでの事態を横目に見ながら米国のほうは国際的な自由貿易のモデルはNAFTAにあり、というわけで、今度はNAFTAの世界化に乗り出しました。世界を巻き込んで何が何でも関税撤廃、世界市場化の嵐を吹かせようと国家戦略を定めたわけです。
 米国は協定が発効すればやがてメキシコの小規模零細な農家は立ちゆかなくなり、そうなれば自国への不法移民の流入が激増するだろうと想定した。それを防ぐために協定発効に先立って100万人規模の軍隊をメキシコ国境に配備したという話が伝わっています。
 その後、米国はNAFTAの成功に味をしめ自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)という2国間協定に力を注ぐようになり、今では120か国以上と締結しています。
 日本では今、オーストラリアとの間でのFTA・EPA交渉が問題となっていますが、その原型であるNAFTAによって何が起こったか、社会的危機を招いたメキシコのケースを詳細にたどり直してみる必要があると思いますね。
 さてWTOですが、その思想性や原則など原型はNAFTAに発しています。今、何が問題かといえば、WTOの掲げるこの原則や思想性に対抗できる主張が、いまだ日本にないということです。WTOに批判的な視座すら持ち合わせていません。
 「汚染米問題の原因には日本農業の過保護がある」などとテレビキャスターやコメンテーターたちが、誰に刷り込まれたのか知りませんが、米国のグローバル・ポリシーにまったく無知な、無茶苦茶としかいえないような言論を垂れ流し、それがまかり通る始末です。
 正しい自由貿易とは?完全自由化とは?障壁なき自由化とは?また世界市場化とは何なのか?といったことについての認識があまりにも希薄で陳腐で時代遅れです。そこのところから変えていかないと、日本農業の何が問題なのか、という認識は広がっていきません。
 日本型多国籍企業の利益代表である経済産業省と、農業・水産業・林業の元締めである農水省が、WTOの場で別々の主張をし、また別々に行動しています。国論が完全に2つに分裂している。このあたりにも重大な問題があるのではないかと思います。
 梶井 ウルグアイラウンド後にできたWTO農業協定は前文に、自由化を進めるに当たっては食料安保や環境問題などの非貿易的要素にも配慮するという大前提をうたっています。しかし、その後の交渉ではこの前文が全く考慮されていないと思います。(「鼎談 その2」へ)

(2008.10.17)