特集

農業協同組合新聞創刊80周年記念
食料安保への挑戦(1)

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【シリーズ どっこい生きてるニッポンの農人2008】
大胆不敵な農人たちが作り出す協同運動

リーダーの役目は次のリーダーを育てること
現地ルポ JA尾鈴(宮崎県)

 農産物価格の低迷に加え生産資材価格の高騰で農業経営は厳しい状況に置かれている。苦しいときこそ、知恵と力を合わせる地域からの起こす運動への取り組みがJAに求められている。
 今回訪ねた宮崎県のJA尾鈴にはそんな知恵と力の協同でまさに「どっこい生きている」と言っていい農業者たちが輝いていた。園芸、畜産、耕種と多彩な農業生産とそれを支える組織の活動がある。それは自分たちで「JAをつくる」という取り組みでもあった。8月の終わり、現地を訪ねた。

 

JA運営審議会

◆地域の危機を共有し若者がひっぱる

日??昭彦さん
日??昭彦さん

「いつかはバラ色の人生を、と思って始めましたが、イバラの道でした」。
芸人がテレビや舞台に登場する際、客の心を惹きつける最初のせりふや所作を“つかみ”というそうだが、初対面でのっけから私たちの腹を抱えさせた、バラを生産する園“芸”農家、日??昭彦さんのつかみは“バッチリ”と決まった。
県庁の職員を辞めて就農、6棟のハウスでバラの生産直売をしている。日高家でバラの生産を始めたのは昭彦さんが初めて。訪れたのは8月の終わりで開花させるために苗の手入れに忙しい時期。開花する10月からは毎日、朝から花を切り、花束にそろえるなど遅くまで作業が続く。母と妻がともに働く。需要期を狙って栽培するが経営は市況に左右される。全国的に出荷の少ない夏を狙った栽培サイクルに取り組んだこともあったが、季節を無視した栽培は苗を痛める率も高く損失も多くなると方針を改めた。
「どの時期の出荷を狙うか、誰もが考えていることでしょうがこれは経営の基本。でも難しい」。農園の名前は「サンライズガーデン」。「サンセットガーデンになってしまうかなと思うこともありますが、名前は、日??、ですから」とまた笑わせた。

日??さんはこの7月からJA尾鈴の「JA運営審議会」会長に就任した。40歳代の会長の誕生である。運営審議会は理事会の諮問機関で目的には「JA尾鈴が地域農業の振興と地域社会にねざした組織として社会的役割を果たすための建議をする」こととなっている。構成メンバーは生産部会長や女性部、青年部の代表者、農事振興組合の代表者など。「経営のチェックは理事会の役目。私たちは5年、10年先を見据えこの地域の農業のあり方やJA像を考えるのが役割だと思ってます」と日高新会長は話す。
審議会は2か月ごと。組合長以下常勤の役員と各部長が議論に耳を傾け、質問に応える。JAトップ層と組合員組織が意見交換する場をつくっているJAは多いが、組織の機関として設置し定期的に会合を持つJAは全国でもまれではないか。スタートは昭和57年と古く、しかも今年からの新体制では若手会長という点も注目される。
8月末に開催された審議会では原油高騰などに対するJAの支援策が説明された。実は同JAは6月の総代会で承認された今期収支計画を7月に修正、2200万円ほどを計画していた剰余金をゼロにすることを決め、それを生産者への支援策にあてることにした。管内は園芸から畜産まで生産部会数が30以上もあり多彩な品目の産地。「個々に還元すれば微々たるもの。しかし、JAが姿勢を示せば少しでも元気を出してくれるのではないか。言われてからやるのは当たり前、言われる前にやるのがJA、と考えてます」と黒木友徳組合長は話す。
この日の審議会での発言にはJAの未収金状況とそれへの対応についての質問もあった。生産コストの上昇はどの分野も直撃し、経営の苦境は人ごとではないという気持だろう。それにしても地域の危機を共有しようというこの姿勢に、まさに組合員が協同してつくっているJAという意識を感じた。

JA運営審議会のみなさん。前列は左から河野晴実常務、河野康弘副組合長、黒木友徳組合長
JA運営審議会のみなさん。前列は左から河野晴実常務、河野康弘副組合長、黒木友徳組合長
トマト特栽グループ

◆川下のことを考えて作れば価格にも反映される

遠藤威宣さん
遠藤威宣さん
山口安彦さん
山口安彦さん

若手の日??さんをJAの重要な機関である審議会会長に押し上げたのは、副会長である50代の養豚経営者、遠藤威宣さんと60代のミニトマト生産者、山口安彦さんだ。「おれたちがサポートするから会長になれ」と背中を押した。
山口さんはかつては神戸市役所に勤務していたという、いわゆるよそ者だ。川南町出身の奥さんと結婚したのち、義父からこいつと農業をやらないかと持ちかけれた。「どうせ安い給料だから」と20代の終わりに宮崎に移住。といっても義父の農業を継いだわけではなく、自分で農地を取得したり借りたりと農業経営に苦心惨憺してきた。最初はブドウ。18品種も植えたがどれも定着せずに苦境に陥り、次にナシ、カボチャ、サトイモなどと経営が成り立つ品目を探し、ようやくたどり着いたのが今のミニトマト栽培。家族と従業員あわせて10人で栽培している。減農薬、無化学肥料でつくる9軒と特栽グループを結成しリーダーとなっている。
大阪と東京の量販店にJAを通じて出荷。バイヤーとの話し合いのなかで「お客さんが食べておいしい」と言ってくれるものをつくるように心がけてきた。
「バイヤーなどとの対外折衝でつくづく思ったのは農業でいちばん大事なのはマーケティングということ。川上は川下のことを考えて作らなければならない。それがうまくいけば価格にも反映される」と力を込める。量販店との契約でキロあたりの手取り額は確実に上がっているという。
「ミニトマトは定植から1か月の管理が勝負」だが、いい育て方をすれば確実に味も収量もあがる。そこに加えて山口さんたちは、「真っ赤になるまで収穫しない」。その代わり定量出荷のために収穫期になれば毎日収穫作業があるという負担と、店頭での劣化というリスクを負う。「しかし、毎日収穫していれば味と色がそろってくる。味が評価されればリピーターも生まれる」。その代わり信頼をなくさないため、グループで決めた栽培時期、栽培方法を守らなかったメンバーはそのシーズンはグループの出荷に加えないという厳しいルールを設けている。合い言葉は「金太郎飴」だが、それは高位平準化、の意味だ。
最近は黄色のミニトマトもつくるようになったが、山口さんの発想はおもしろい。パックの真ん中にひとつだけ黄色を入れる、というものだ。こうすれば消費者の目をひく。この黄と赤のミックス、黄、赤と3種類のパック詰めミニトマトを販売すれば、売り場もそれに対応するだろうという狙いもある。
最近、地域では味は多少は落ちるが劣化の少ない品種への切り替えをという話があった。生産者にとってはその分、安定出荷が見込める。だが、山口さんは「それこそ生産者側だけの論理。トマトは味と色が命」と品種変更はしなかった。この話には30年以上前に新農業人としてスタートした山口さんの信念が現れている。「今までの枠を超えたものづくりが求められている。新たな挑戦がいつも必要なんです」。

養豚部会

◆独自のこだわり飼料で生協と契約販売

「だから若いリーダーがいる。われわれは次のリーダーを育てかつぐことも仕事なんです」。
山口さんの話に呼応してこう話すのが遠藤さんだ。
もともとは養鶏経営をやりたくて農業高校に進んだが、地域の研修先でこれからは養豚だとアドバイスを受け、卒業後、埼玉種畜牧場で研修し、昭和44年に繁殖母豚10頭から始めた。
平成5年に母豚を500頭まで増やし(有)尾鈴ミートを立ち上げた。「夢づくり・人づくり・町づくり」が経営理念。現在は長男の太郎さんも役員として経営を担うほか、4男の史郎さんは兵庫県の但馬で養豚経営をしている。但馬農場も含めて(有)尾鈴ミートだ。4男が但馬で経営することになったのは高齢化で廃棄された養豚場があったから。「今、日本にはそういうところが多いでしょう。でも農業をしようという人間にとってこれほどのチャンスはない。だから息子を行かせたんです」。「枠を超えた発想」が宮崎と兵庫という地域を超えた経営体を生み出した。
養豚では独自性を出すために飼料にこだわってきた。発育は重要だが、動物性油脂を混ぜると肉のおいしさは落ちる。植物性たんぱく質を使っていくことが大事だという。また、非遺伝子組み換え飼料を使おうと自家配合飼料工場を持ち現在は年間8000頭を生協と契約販売をしている。但馬農場も関西の生協と契約している。
遠藤さんはこうしたノウハウを部会につなぎながら部会全体で付加価値を付けて売る取り組みの先頭に立ってきた。尾鈴独自の飼料をメーカーに指定し部会として大口一括発注をする。価格は入札で決める。こうすることで経営規模の小さい農家にもメリットを出した。
部会は38人で出荷は年に11万頭、販売額は約38億円だ。目標は40億円でそのため部会は技術研修は欠かさない。
JAの畜産部には養豚課がある。販売戦略をJA職員とともに練り上げる。「JAの組織を活かさない手はない」が遠藤さんの考えだ。

ハウス胡瓜部会

◆部会として力量を上げることでブランドづくり

服部雄吉さん
服部雄吉さん

ハウス胡瓜部会の部会長で園芸部門部会長連絡協議会の服部雄吉さんも運営審議会の委員。遠藤さんの同級生だという。
宮崎県では減農薬栽培などの基準で認定した農作物をエコブランドとして付加価値をつけた販売に力を入れているが、JA尾鈴はこの県認定農産物がもっとも多いJAだ。ハウスキュウリもエコブランド認定を取得、県内でいち早く減農薬栽培に取り組んだ。9月に播種して5月末まで収穫する促成栽培一本で経営。部会の生産量の70%が大手量販店との契約栽培だという。JAの部会のなかでもこれだけの量を契約栽培している部会はほかにない。
価格は月決めでA品からC品まで含めても市場価格よりもキロ30〜50円高く安定していることもメリットだ。
重油の価格高騰が経営を圧迫しており、ハウスのビニールを2重から3重にするなどのコスト縮減対策が各地でとられているが、服部部会長によるとビニールを3重にしても、病害が発生し収量が不足する懸念もあり、「ここは厳しくてもがんばって収量を上げることが経営にとっていちばん肝心だ」という。部会の1シーズンの平均反収は約10トン。これを2〜3トン増収させれば「なんとか乗り切れる」。
また、品質向上と病害を発生させないためにも土づくりに力を入れている。キュウリ栽培の前には、飼料用稲を作付け、それを土にすき込むことや、土壌消毒もそれぞれが徹底して行うことで、「平均して土壌が良くなった」と話す。
部会としての力量を上げるこうした取り組みが、同JAの各部会の大きな特徴で、キュウリ部会でも「たとえば、平均反収より低い部会員がいると、部会のなかの営農指導協力員がJA職員と一緒になってアドバイスする」(服部さん)という。そのほか部会には販売担当委員もいて市場関係者との意見情報交換などを行っている。市場を見学して他産地の農産物と比較、どう売られているかをみる「そうすれば、たとえば、自分たちのつくったものが安いのはなぜか、百聞は一見に如かずです」とJAの河野晴実常務。こうした経験をきっかけにレベルを上げようと生産者が発奮、出荷検査基準を自ら厳しくしたり、品質をそろえるための目揃え会を開いたりと取り組みがすすむ。「これがブランドづくりです」。
販売ルートや品目など買い手側の要望は県経済連を通じてJAに持ちかけられるが、それは事実上、「部会に話があるのと同じこと」だという。部会自身が重点市場を決めるほか、契約栽培では取引先と販売量、価格などの話を詰める。「全品目が部会での販売。個々の部会の取り組みが大事だし、とくに部会長の責任は重い」。

青年部の伝統

◆JAの信念は「農家を守る」こと

田畑光雄さんと収一さん(右)
田畑光雄さんと収一さん(右)

戦前、川南町には旧日本軍の落下傘部隊があった、現在の農地は戦後に開拓されたもの。日本の3大開拓地のひとつとされる。ほぼ全都道府県から入植者があり町は「日本の合衆国」とも呼ばれる
今年67歳になる田畑光雄さんは6歳のときに台湾から引き上げこの町に来た。「親たちは草が少し生えている程度の地力のないこの土地でからいも栽培から始め、デンプン粕を利用した養豚をやるようになった」。
現在は年に5000頭出荷。九州地区の生協と契約販売もしている。品質成績を堅持すれば「やっていける」というが、今後は「パック売りの価格まで生協と話し合い建値を決めるぐらいのことをしたい」。ミニトマトの山口さんと同じく「キロ売りからグラム売り」への発想だ。そのなかで何とか儲かる農業をつくっていかなければ後継者が出てこないという思いだ。とはいえ田畑さんには長男・収一さんという後継者がいる。3年前に就農、豚の育て方、事故の防ぎ方など「まずは知識をつけることが大事。親父を抜かんといかんな」と思っている。
尾鈴ミートの遠藤さんによると養豚の青年部には20人ほどが参加しているという。「青年部は養豚に限らず、JAの生産部会の予備軍。技術、経営の研修の場になっている」という。

佐光剛さん
佐光剛さん

その青年部の部長、佐光剛さんは米、野菜、養豚の複合経営。農作業の現場を訪れると今年から始めたというキューサイの植え付けのために耕起しているところだった。植え木の苗が栽培されていた土地で高齢化などの理由で、農地利用をという話がきたのだという。4軒の生産者と10ha作付けする予定だ。
青年部はそれぞれの品目ごとに技術、経営などの研修の機会があり、それが若い農業者たちに役立っているが、「なぜ『JAの青年部』なのかをみんなが理解できるような勉強会を企画したい」と佐光さんは話していた。
一方、JAは県全体で取り組みを進めている農家の経営支援、コンサル事業に力を入れてきた。河野常務によれば、それは億単位で積み上がってしまった購買未収金の整理と裏腹の関係で始めたのだという。未収金を放置すれば最終的に農家は厳しくなる。長期資金に乗り替えるよう指導した。さらに、今後については未収金を発生させないために、営農支援室を設置しコンサルを推進した。

問題点を洗い出し品目転換の提案や、収量アップのためのアドバイス、さらには金融相談までを実施し経営を立ち直らせてきた。そのなかで各部会が力をつけてブランドづくりが可能になったといえるのだろう。
「農家を守っていくのがJAの信念」と語る河野康弘副組合長は青年部長から理事、そして現職についた。実は将来のリーダーになってもらおうと先輩である遠藤さんの世代が働きかけてきたのだという。
JAや部会が個々の経営を支援し、さらに次世代のリーダーを育てていこういうエネルギーがある。「おもしろいところですよ、ここは」という遠藤さん。「青年部の活動で協同運動というものを教えてもらいました」と改めて原点を振り返っていた。

(2008.10.20)