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特集・新たな協同の創造と農と共生の時代づくりをめざして

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競争至上主義の超克と「共生経済」への道を求めて 対談・内橋克人氏、神野直彦氏 (後編)

特別対談 「世界恐慌をどう生き抜くか」
経済評論家・内橋克人氏
関西学院大学教授・神野直彦氏

 米国発の金融危機は日本を先進国の中で最大の被災地とした。前号ではその要因などを考察した。今号では新自由主義の正体を明確にし、新しい社会の仕組みづくりに取り組む協同組合の社会的使命を強調。協同組合思想の原点であるロッチデール綱領を見つめ直した。また各地のJAや地域共同体などにみられる共生社会への新たな胎動なども紹介された。

弱肉強食社会の克服へ

地域共同体の足腰を強く
「自己責任」でなく「連帯責任」で

◆人間は共同体的存在

関西学院大学教授 神野直彦 氏 神野 改革をする時は本来、冷静にスローにいかなくてはなりませんが、スピードを迫られるとレトリックに乗せられてしまいます。
 自己責任がいわれますが、今は原始時代ではありません。現代は人間と人間の絆やネットワークの中で、ますます他者に依存するような生き方をせざるを得ません。自立的に生活を営むことなんかできっこないのです。
 どうやって他者との関係をつくり上げていくのか、人間は共同体的な存在であるというアリストテレスの指摘がますます重要になってきています。
 公正な分配も市場に委せるわけにはいきません。市場による分配は努力の結果だといわれますが、その場合には親の遺産は認められず、タレントつまり持って生まれた才能に基づいて所得が決まるようなことも認められないということが条件です。
 そうだとすれば、分配には政府の介入が必要にならざるをえません。しかも、市場への介入を減らして、市場分配を市場に委せるのであれば、市場が効率的な分配を実現していなければなりません。ところが、現実の労働市場は非常に非効率で、その最たるものは失業です。
 さて新自由主義ですが、これは弱い者や中小企業と農民に対しては厳しい競争を求める一方、強い者や大企業には暖かい援助をすることで一貫しています。
 自然資源多消費型の経済に依拠して築かれた福祉国家はスタグフレーションをもたらし、それを批判して新自由主義が登場しましたがインフレを抑えるには、増税が必要です。
 しかし、増税を主張することは「小さな政府」を唱える新自由主義にとって、自己撞着です。そこで結局は税負担構造を変えることにし、付加価値税を増税し、所得税や法人税を減税しました。
 一方、スカンジナビアモデルの福祉国家などでは社会問題を発生させることなく、経済成長を実現しています。そこでは経済構造を知的な産業構造に変えています。


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関西学院大学教授 神野直彦 氏
じんの・なおひこ 1946年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程終了、同大学院経済学研究科教授などを経て現職。財政学専攻。著書は『人間回復の経済学』(岩波新書)など。


◆今こそ原点見据えて

 知識産業というのは知識を使って自然資源を節約していこうという産業です。従来型の自然資源多消費型の産業構造では経済が持たないし、現実にその行き詰まりが来ているから、自然にフレンドリーな人間社会に変えていこうというのです。
 そういう国では人間の命を基本に考えており、命を軸に生活と仕事のあり方を考えています。すべての構成員が社会を構成する上において必要不可欠な存在であることを相互に確認し合っています。
 また、そうした社会ができることに関して構成員が連帯責任を負おうとしています。日本のように自己責任にはしていません。
 私は以前から「自動車産業はそのうちに衰退するよ」といっていましたが、だれも信用してくれなかった、ところが2カ月ほど前から信用してくれるようになりました(笑い)。自然のキャパシティからいって資源多消費型はもうムリなんですよ。
 ――国民が豊かになれる社会の仕組みを考える上で、基本に生存権を据える、あるいは命を軸に生活と仕事のあり方を考えることが重要となるとの指摘をいただきました。そうした社会に向けて農業や農村、協同組合の果たす役割についてお話下さい。
 内橋 人間の絆をどう考えるのか。現状は社会統合が崩壊し、国民は「同じ社会に生きている」という価値観をさえ共有できなくなっています。
 そういう時代状況のなかで、いま、ご指摘の「真に豊かになれる社会の仕組みづくり」と「協同組合のなし得ること」という視点から考えてみたいと思います。
 産業革命後の荒々しい、むき出しの、ワイルドな資本主義の下で、イギリス・ランカシャーで歩き始めたのが「ロッチデール公正開拓者組合」だったことはひろく知られています。1844年12月のことでした。織物工や職人、自営業者たち28人が1ポンドずつ資金を出し合い、歩き始めたものです。まず定めたのが6項目の「目的」、8項目の「ルール」で、「ロッチデール綱領」として有名です。いわば「協同組合思想の原点」ですが、謳われているのが「自立的な国内植民地の建設」ということでした。国内植民地という言葉の真意は「自立した食と職の自給圏」形成ということにあったのではないかと思います。


◆新自由主義の正体は

市場分配は非効率だ。その最たるものは労働市場の「失業者」。コラージュは1929年大恐慌時の失業者の群れ 「職なくば自ら職を創り出そう」「食なくば自ら食を作ろう」「生産から流通、教育、さらに統治の権限までも整備しよう」と宣言しています。150年も前のことでした。
 ロッチデール綱領の精神は、今日いうところの「生存権」「人間の安全保障」の追求であり、「職(食)なくば人間の尊厳もない」という権利宣言でもあったと思います。「人が人らしく生きられる社会」をどのようにして築き、守っていくのか、ということでした。
 これに対して、今日、いうところの新自由主義改革とは、「正統な政府機能」を否定する政策パッケージです。富裕層への累進課税拒否(税制のフラット化)、所得再分配政策の拒絶、公共の企業化、労働保護政策の撤廃、福祉・社会保障の排斥、そして競争一辺倒の正当化―などの政策の束が正体だと思います。 小泉政権が叫んだ「官から民へ」「改革なくして成長なし」「格差ある社会は活力ある社会」「努力したものが酬われる社会を」など、リズミカルなキャッチフレーズが国民の頭にスリ込まれた。小泉フィーバーに乗せられた国民の前に待っていたのが、今日社会の惨状です。人が人らしく生きていくことができない。
 協同組合は、このような仕掛けの正体を正確に見抜き、経済変動の被害が社会的弱者に集中する社会構造の変革にこそ取り組むべきだと思います。
 真の意味での「公」の削ぎ落とされた部分を奪い返す。それが、再びのワイルドな資本主義に立ち向かう協同組合の社会的使命ではないでしょうか。ロッチデール綱領に明らかなところです。
 最初に提起された「新たな協同」への3つの方向性を挙げてみたいと思います。まず「協同の協同」を進める。広島では県下の11の協同組合が連帯して、業種などの違いを乗り越え、HIC(「広島県協同組合連絡協議会」)運動を進めてきました。JAと生活協同組合の連帯も進んでいます。「作る」と「食べる」を協同する運動性が実りのときを迎えたようにみえます。


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市場分配は非効率だ。その最たるものは労働市場の「失業者」。コラージュは1929年大恐慌時の失業者の群れ


◆「新たな協同」の方向

 次に「地域社会を支える協同組合へ」ということです。むろん協同組合といえば、組合員の助け合い、組合員の相互扶助と経済的利益の追求が第一義だといえば、それはそうでしょう。けれども、自分自身がよって立つ地域コミュニティ全体の足腰をどう強靱なものに育てていくのか、それがまた協同組合自身の発展にもつながっていくはずです。
 長野県のJAあづみ(安曇野市)はもう十数年にわたって地域の「あんしんネットワークづくり」を進めてきました。「いつまでも住み慣れた地で、あんしんして暮らし続けたい」という、人間として当然の望みに応えようと、訪問介護、通所介護、さまざまな介護支援も続けています。多彩な活動をそれぞれユニークな呼び名で呼び、積極的な運動を続けてきました。地域社会全体を支える仕組みづくり。地域に生きる人びとが協同組合を「身内」と感じ、意思的に支えていこうとするでしょう。
 最後に協同組合は「第三の共同体」であり続けて欲しいということです。単なる地縁共同体でもなく、利益共同体でもない、第三の共同体のことを、私は「使命共同体」と呼んできました。果たすべき同じ使命を共有できる「共同体」のことです。
 梶井功先生が本紙(「農業協同組合新聞 JAcom」・平成21/7/10号)の「クローズアップ農政」で、改正農地法で「農協の農業経営」が認められるようになれば「組合員の農業と競合しかねない。(略)農協は自らが営農することの是非を真剣に検討する必要があろう」と指摘されています。たいへんに重大な問題提起だと思います。協同組合とは互いに与え合う存在であって、決して奪い取る存在ではないということ。以上に挙げました3つの方向性からも事の重大性を汲み取って頂きたいものと願っています。
 神野 こういう時代には原点から考え直すことですね。経済とは人間が自然に働きかけて人間の生存に有用なものに変えていくことです。


◆農業も知識集約化へ

 工業は農家の副業として家内工業として生まれました。工業は死んだ自然を原材料とします。この工業という農業の、周辺が拡大して生活と生産が分離し、工業社会ができ上がりました。
 現在では工業の周辺にある様々なサービス産業とか知識産業が工業を包み込んでいっています。
 しかし、その軸心には農業があり、農業は市場原理になじみません。しかも、工業の外側にあるサービスや知識も市場原理とは合わないのです。
 例えばサービスには生産と同時に消費しないといけないという性格があります。
 日本は農業を工業化することを前提にしていますが、これはおかしい。資本を投下しても生産性が上がるはずはないのです。
 今までは共生原理の外側を工業の原理である市場原理が覆っているような社会でしたが、今後は一番外側の主要産業に共生原理が出てきました。農業もそれに包み込まれ、知識集約化されて自然資源を節約する方向に移ってくるでしよう。
 所有欲求では豊かさを感じますが、幸福感は人間の様々なサービスとセットで考える存在欲求で感じます。
 工業社会では欠乏を克服するために、人間と人間、人間と自然のふれあいによる幸福感を犠牲にして所有欲求を満たしてきました。今後は真に人間的な欲求を満たすような社会になり得るのだということで豊かさに対する考えが変わってくるのではないでしようか。
 新自由主義は平等を嫌いますが、3000年近くも前に孔子は、豊かな社会は平等な社会だといっています。
 29年恐慌後、ナチスが政権を取り、世界大戦に陥りましたが、なぜ私たちは問題を解決できなかったのか。
 近隣窮乏化政策をとったからだという学者もいます。今回の恐慌に対し、日本人が心底から生き残りの戦いに勝たなければならないと思うのは危険です。
 自分さえ良ければという論理やヒトラーの空疎な雄弁を思い起こすからです。歴史の教訓に学べば今問われているのは“戦前責任”ではないでしょうか。
 共生の原理が今ほど必要な時はないと思います。


◆FEC自給圏の形成

経済評論家 内橋克人 氏 ――次の新しい社会を考える時、現状には民主主義の空洞化という問題点もあります。そのあたりも含めてご提言をお願いします。
 内橋 社会は産業の「生産条件」と人間の「生存条件」で成り立っています。過去と正反対に現代は「生産条件」を良くすれば「生存条件」は逆に悪くなるという時代に入ってしまいました。二つの条件が両立する、つまり生産条件をよくすれば、生存条件もよくなる、という産業社会はどうあるべきなのか。二つが両立する「新たな基幹産業」が21世紀の必然です。
 私は「FEC自給圏の形成」をいってきました。Fはフーズで食料、Eはエネルギー、Cはケアで広い意味の人間関係。3つの自給圏を一定の地域で形成するという考え方です。
 そこでは「生存条件」を毀損しない「生産条件」が可能となり、その核のところに協同組合が位置している、そういう時代が「すでに始まっている未来」だと信じています。
 神野 内橋先生のおっしゃるFECとの関わりで申しますと、自然資源に向かう時に、気をつけないといけないのは、自然は地域ごとに顔が違うということです。つまり量的な管理はできないのです。
 人間のライフスタイルを地域の顔に合わせるような形でつくり上げていくことが多分自給圏に結びつくのだろうと思います。
 スウェーデンの例でいえばエネルギーを質で考え、質の低いエネルギーですむところは屋根の上に装置を作って室内を暖め、照明は風の吹かない所ではバイオマスの小さな発電機でやっています。ライフスタイルに合わせて、そうした生活圏をつくっています。
 スウェーデンは大きな政府ですが、今度、「レス・ステート」といった場合、その後につく言葉は「モア・マーケット」ではなく、「モア・ソサエティ」つまり「社会を大きく」です。共生セクターはこのソサエティに入ると思います。


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経済評論家 内橋克人 氏
うちはし・かつと 1932年生まれ。新聞記者を経て現職。マスメディアなどで活躍。著書は『もうひとつの日本は可能だ』(文春文庫)、『悪夢のサイクル』(文藝春秋)など多数。


◆「社会」をより大きく

 そこにはボランタリーセクターとして協同組合やNPOが入ります。「モア・ソサエティ」といった時は、ここのところを拡大するんだということにしておかないといけません。
 そうでないと日本の政府は、自分たちの任務を放棄して家族に押しつけ、自己責任でやるべきだとか、政府に甘えるな、などというお説教のもとに、主として女性労働で成り立っている家族の仕事として押しつけてきます。
 この前、島根県の山村を調査に行き、限界集落という言葉を使ったら怒られましたが、そこでは地方自治法上のものではない自主組織をつくっていて立派だと思いました。
 自治会、JA、PTA、NPOなどがあり、また管理組織もできていました。各組織が選んだ評議員による評議会も機能していました。
 また月に4800円もの会費を集めているのにもびっくりしました。保育園などを自分たちで運営していて、幼稚園の預かり時間が過ぎると自分たちの運営する保育園で預かり、その料金を会費と親の負担でまかなっていました。
 自治体からの補助金はもらっていません。本来、地方政府のできあがり方は下からですが、これぞコンミューンです。
 内橋 最も追い詰められた地域から、新しい次の制度が生まれてくるのが歴史ですね。
 ところで神野先生がおっしゃった知識産業について、ご存じの通り、スウェーデンのルートゾーンシステムというのもその一つです。世界で最もシェアが高いと思います。
 自然の植物の根っこで大気の浄化と、水の浄化をやる。極めて高度の技術をともなった先端産業として発展を続けています。


◆下からの教育運動を

神野氏(左)と内橋氏 まさにエネルギーをほとんど使わず、自然の力だけの知識産業です。こうした種類のものが北欧には多い。ブロードバンドが発展したのも北欧からで、これは救急医療の効率化や高度化に向けたもの。人命を救うための「技術の社会化」です。
 ――目の付け所が違うのですね。もうけではなくて人命を救うことを目的としています。
 内橋 技術が進めば、その恩恵はすべての国民が平等に享受できなければならないという国民的合意が成立している、だから技術もまた進む、そういう循環ですね。
 ――そのためには教育面などのサポートも必要です。
 神野 上からのものではなく、29年恐慌の前からデンマークでは農村から国民教育運動が始まりました。それがスウェーデンに広がり、農民から労働者へと拡大したのです。
 ――今日は、弱肉強食の市場原理ということに少し慣らされてきた私たちにとって、市場原理の行き過ぎが100年に一度の危機を生み出したことをどう捉えたらいいのか、市場原理主義で生み出された様々な構造問題を克服して、新しい社会に踏み出すには何が必要か、そこでの協同組合の役割は何かについてお話いただきました。日本全体を見渡せば、まだまだ模索中という状況ですが、これからの社会の方向について大変示唆に富んだお話を頂き有難うございました。

 

(前編はコチラから

(2009.08.10)