特集

2012年新年特集号 「地域と命と暮らしを守るために」
震災からの復興と協同組合

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現地からのレポート・岩手県―注目あつめる重茂漁協の実践  参加型システム研究所客員研究員、JC総研客員研究員・丸山茂樹

・漁船の共同利用で故郷の暮らし復興へ
・漁協が復旧・復興の先頭に
・「重茂方式」漁船シェアリングとは?
・「漁村の6次産業化」の実践
・『こういう時こそ協同組合の精神で』

 漁船も漁港も養殖筏も定置網も作業場も......すべてを失った三陸海岸の漁村。壊滅的な打撃を受けた人々から聞いた生の声は「手も足も根こそぎ、もぎ取られてしまったよ!」だった。浜も海の中も瓦礫の山だった。多くの死者・行方不明者を抱え、働く場もなく収入の道も途絶えた。がんばれと言われても一体どこから手をつけたらよいのか。途方に暮れる内に歳月が流れゆく......。日雇いの仕事はあっても長続きしないのが現実である。

◆漁船の共同利用で故郷の暮らし復興へ

丸山茂樹氏 漁船も漁港も養殖筏も定置網も作業場も……すべてを失った三陸海岸の漁村。壊滅的な打撃を受けた人々から聞いた生の声は「手も足も根こそぎ、もぎ取られてしまったよ!」だった。浜も海の中も瓦礫の山だった。多くの死者・行方不明者を抱え、働く場もなく収入の道も途絶えた。がんばれと言われても一体どこから手をつけたらよいのか。途方に暮れる内に歳月が流れゆく……。日雇いの仕事はあっても長続きしないのが現実である。
 そんな中でいち早く、協同組合の精神を漲(みなぎ)らせて復興と生産に立ち上がった岩手県宮古市・重茂漁協が注目を集めている。まず青森や秋田など他県に出かけて中古船を確保、天然ワカメ漁を開始、養殖ワカメの種糸作業もやって翌春の収穫の目処をつけ、400隻の新造船の発注もした。サケやサバなど高収益のある定置網を優先して再稼動させ毎日水揚げしている。
 地域に分散する住民は約1600人、組合員574人の市街地から遠く離れた僻地の漁協であるが、この組合の姿を朝日新聞は『漁船シェアリング』『こういう時には助け合いが大切、迷いはない』(5月11日)、NHKは『豊饒の海よ蘇れ―宮古重茂漁協の挑戦』(9月6日)、雑誌『世界』は達増拓也知事の『岩手のめざす人間と故郷の復興―答えは現場にある』(九月号)など、重茂漁協を絶賛しながら取上げてきた。
 なぜこのような早業を実行できたのか? 震災・津波からの復興に取り組む協同組合の先進的な実践例として3.11以後の重茂漁協の挑戦の姿を紹介したい。

 

◆漁協が復旧・復興の先頭に


 重茂地区の特徴は、漁協が地域復興の先頭に立って活動していることだ。人々が求めていたのは先ず日々の暮らしを立て直すこと。そして仕事を取り戻すこと。その上にたって希望の持てる将来へのビジョンを描くことであった。さもなくば地域そのものが崩壊する! そこで生産手段が失われた中で漁協では先ず中古船と新造船で漁船を確保して生産の目処をつけた。他の地域と対照的であるのは政府や地方行政の援助や指導を座して待つことなく、いち早く自分達で考えて行動計画を決め、自ら組織的に立ち上がったことである。行政の支援が必要であることは論をまたない。事実、すべてを失った中で政府の予算が下りてくることや外部からの資本投下を待っている向きも多い。
 しかし他力本願ではそのスピードは遅く確かでもない。その間にも暮らしも仕事も目処が立たないままに住民が離散してしまう。重茂漁協の挑戦はこのことに危機感をもち、地域全体で、漁協中心に立ち上がった事から始まる。そしてこの地域の人びとのやる気を組織しただけではなく、メディアや口コミを通じて他の近隣の漁協や自治体にも希望と勇気を与えているのだ。

 

◆「重茂方式」漁船シェアリングとは?


 重茂漁協の活動で最も注目されているのは、「漁協で船を所有し組合員が地区別に小グループを組んで共同利用する」独特の仕組みを創造したことである。すなわち確保した限られた生産手段である漁船を、この地で漁業を営む組合員がみんなで共同で活用しようというのである。
 災害前にはこの地域に814隻の漁船があったが16隻を残して798隻が失われた。そこで他県まで出かけて行って買い集めた中古船や、新たに造船して確保した船を漁協が所有し、組合員は共同利用して全組合員が一隻づつ持てるようになった段階で個人所有に移そうということを決めたのである。この方針に全組合員が賛同した。
 組合所有といっても悪平等にならぬようにグループの水揚げに応じて配分するから、協同の精神と競争の原理を両立させることが出来た。しかも水揚げの代金から10%づつ積み立てて船の代金に当てるから漁師たちは借金をしないで仕事を続けることが出来る。
重茂漁協製氷工場やアワビの種苗生産施設などが失われた(「広報みやこ」より) この「重茂方式」とも呼ばれる「漁船のシェアリング」は、伊藤隆一組合長、高坂菊太郎参事など組合役員のリーダーシップのもとに創られたが、実は重茂には協同精神の伝統が脈々とあった。すなわち、サケ、さば、イカなど高い収入がある定置網を漁協が所有し共同作業で操業してきた。
 これは共有財産であるとともに、地域の人びとの連帯の原資にもなった。すなわち収益の相当部分を自治体や子弟教育のための通学バス、学生寮、奨学資金などに数千万円の単位で寄付してきたので子弟を安心して進学させる事ができたのである。
 また、海の資源が枯渇することのないようにサケの孵化、アワビの稚魚放流事業を行い、そのための河川の浄化・保全活動を怠らず、山林に植林を行い、海の環境保全のための合成洗剤追放・せっけん運動を推進、青森県・六ヶ所村の核燃料再処理施設反対運動などを多面的に行ってきた。こうした伝統が危機に際して一致結束して行動する土台になった。

(写真)重茂漁協製氷工場やアワビの種苗生産施設などが失われた(「広報みやこ」より)

 

◆「漁村の6次産業化」の実践


 近年、「漁村の6次産業化」が水産庁などから提唱されている。過疎化・高齢化が著しい漁村を復興発展させるために、1次産業としての農林漁業と2次産業としての製造業と3次産業としての小売業を漁業者自身が行う(1次×2次×3次=6次)6次産業化を実行せよと言うのである。言うは易しいが行うには加工業や流通業者が既にいる場合には容易ではない。しかし実は重茂漁協はすでにはるか前からこれを実践してきた。
 1963年に養殖ワカメを開始し、生産は各組合員が行うが加工や冷蔵や販売は協同組合が行ってきたのである。加工に当たってはとくに品質管理を徹底し、様々な製品開発、パッケージ、貯蔵、販売も行ってきたので『重茂の肉厚ワカメ』などと親しまれ「重茂ブランド」が確立しているのである。信頼性を高める製品へのトレサビリティ・システムもあって多くのアクセスがある。
 1976年からは群馬県民生協や生活クラブ生協との産直販売を開始した。これは単なる販売にとどまらず、実の伴う協同組合間提携であって、生協の組合員たちとの交流、せっけん運動など環境を守る地域ぐるみの活動とたゆまぬ学習活動など、経済活動にとどまらない自己教育・社会運動として発展している。
 6次産業化によって組合員の所得水準は飛躍的に向上し、年収は500万〜1500万円となった。生活が安定し子育ての見通しもたつから若い世代の漁師もどんどん育っている。組合員の平均年齢は55.6歳であるが、これは全国平均よりもはるかに若い。また社会的な運動を通じて組合員や女性達の視野が広がり着実に人材が育っている。

 

◆『こういう時こそ協同組合の精神で』


 伊藤隆一組合長には固い決心がある。せっかく、半世紀以上をかけて築いてきた故郷の暮らしと漁業を何としても復興させる。それには協同組合の精神によってやる以外にない、と。今年度の組合の事業計画書の冒頭には大きな字でこう書いてある。
 「天恵戒驕 天の恵みに感謝し驕ることを戒め不慮に備えよ。この天恵戒驕は初代組合長西舘善平翁が根滝漁舎新築記念品に記したものである。私たちのふるさと重茂は天然資源からの恵みが豊富であり、今は何ら不自由はないが、天然資源は有限であり、無計画に採取していると近い未来枯渇することは間違いない。天然資源の採取を控えめに、不足するところは自らの研鑽により、あらたな資源を生み補う。これが自然との共存共栄を可能にする最良の手段である」
協同組合の精神で故郷の暮らしと漁業を何としてでも復興させる つづいて「日本経済は、戦後最悪の災害となった、東日本大震災によって特に水産関連のインフラが壊滅し生産拠点を失った他、福島原発事故により電力不足が生産の停滞を長引かせ経済が低迷する恐れがあります。……重茂地区におきましても過去にも津波や暴風雨などの自然災害で幾度となく被害を受けて参りましたが今回は比べものにならない被害となっております。しかしその度に困難を乗り越え、豊富な海の幸を活用し、重茂ブランドを確立してきました。いま、その灯を消さないためにも新たな取り組みに挑戦しなければなりません。」
 重茂漁協が実践しつつあることを見聞し、人びとと交わると1995年の国際協同組合同盟(ICA)の協同組合の定義、価値、原則を忠実に身につけ実践している事がよくわかる。また、1980年の「西暦2000年の協同組合」(レイドロー報告)の優先すべき4つの分野」とくに「生産的労働のための協同組合」「協同組合地域社会の建設」を地域ぐるみで実践していると実感した。つまり協同組合精神が血肉となっているということである。

(写真)協同組合の精神で故郷の暮らしと漁業を何としてでも復興させる


【プロフィール】
(まるやま・しげき)
1937年愛知県生まれ。生活クラブ生協連合会国際担当を経て1999年〜2001年ソウル大学留学。韓国聖公會大学大学院非常勤講師(協同組合論・社会運動史)。韓国農漁村社会研究所理事。エントロピー学会元共同代表。

(2012.01.12)