特集

第57回JA全国女性大会 創立60周年記念特集
出席者
内橋克人氏・経済評論家
村上光雄氏・JA全中副会長、JA広島中央会会長
菅野孝志氏・JA新ふくしま専務
司会
鈴木利徳氏・農中総研常務

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【震災からの復興と協同組合の役割】
【座談会】「震災復興と協同組合」 内橋克人氏・村上光雄氏・菅野孝志氏・鈴木利徳氏(前編)

・新しい協同を育んで
・感度良好の農協を
・“惨事便乗型”マネー
・市民自らが測定所
・「平和利用」の正体
・話相手を求めたい
・除染の訴えを工夫
・若者の夢を考える

 「震災復興と協同組合」を主題に、被災者の人間としての復興をどう支えていくかなども論じた。協同組合の大きな使命としては、本当の意味での復興ビジョンを示して人々に夢と希望を与えることという論点が挙がった。政府は「原発事故は収束した」などとウソばかりついているが、これに対しては本気で闘う姿勢を持たないといけないとの強調もあった。さらに話題は、中国山地の小水力発電などに及び、大規模なダムを必要としない環境に優しい電力の今後なども話し合った。

協同組合の存在感もっと大きく

思想性磨く教育活動の強化を


集会を不安の受け皿に
組合長の「作付」決断が農家励ます


◆新しい協同を育んで

 鈴木 協同組合の視点から考える東日本大震災からの復興などについて語っていただきますが、まず被災地の現状などについて菅野専務からお願いします。
 菅野 JAは支援活動の中で様々な教訓を得ています。震災直後の炊き出しでは女性部の方々が中心となりましたが、ボランティアが不足いたしており、JAと直接関係のない地元団体の女性たちとか休校中の高・中学生などが結構参加してくれて、炊き出しは1か月近く続きました。その中で、私どもは改めて住民組織のあり方を教えられ、得る所が大いにありました。
菅野孝志氏 原発事故のため、農家は米や野菜の作付けを昨年はやめるかどうか悩みましたが、吾妻雄二組合長は「作る」ことを選択しました。その後、県も4月12日に水稲作付けをやるという判断を下しました。それより先、JAは同月5日に組合員集会を開いて胸のうちを語り合いました。
 会場は管内20か所、参加者は合計約3200人。こんなに集まったのは初めてでした。参加者は口々に不安を語りました。?集会は不安のはけ口?などというと語弊がありますが、県や市は農家の具体的な不満や不安を受け止めてくれません。応じてくれるのはJAだけです。JAは組合員の声をまとめて県市町村に要望書を出しました。
 集会の参加者たちは、同じ不安を持つ仲間たちがたくさんいるんだということを肌身で実感したと思います。また農家の人たちには新しい協同を育む芽があるんだという感じもしました。さらに組合員があって農協があるんだということを改めて実証した集会でもあったと思います。
 鈴木 その後も組合員集会は続けていますか。
 菅野 5月には放射能被害の損害賠償に係る集会を26か所で開き、約2000人が集まりました。記帳とか記録のとり方、写真を撮っておくことなどについても説明をしました。
 鈴木 4月の集会は不安の受け皿ともなりました。素晴らしいことですね。
 菅野 集会では組合員から様々な質問や問題提起が出てくるだろうが、行政などと違ってJAとしては回答を持ち合わせているわけではない。このため準備段階では、何を答えられるのか、との心配が常勤役員たちにありました。
 そこで”農作物を作るんだ”という思いをきちんと示すことにしました。生産活動をやめてしまえば、ものごとの解決というか先々が見えなくなって不安をいっそう増幅させることになりかねないからです。そして集会でまとめた生産現場の実態を国県市町村にきちんとつなぐことにし、それをすぐに実行しました。


◆感度良好の農協を

 菅野 集会参加者の声の中には「仲間たちが心配しながら生産を続けようとしている時に、JAが『作るぞ』という決断を意気高く示す大きな集会を開いてくれた。何よりの励ましになった」という評価もありました。
 とにかくJAは、農家の思いを常に感じ取れるような感覚を研ぎ澄ましておかないといけないし、農家が今何をしてほしいかをすぐ感じ取れるような農協でありたいということをみんなで確認し合ったのではないかと思います。
 鈴木 前回の座談会で内橋先生は”協同組合は政府と対等の関係で問題を提起していくべきだ”とおっしゃいました。そのあたりはまだやれていない部分もあると思いますが、JA新ふくしまの活動については先生、いかがですか。
 内橋 今日は菅野さんからお話しを伺うことができてほんとによかったと思います。協同組合が被災者の心に寄り添い、不安のなかで辛い思いで過ごしておられる人びとに確かな針路を示されたこと。集会を持ち、生産現場の声と実態を国や県市町村にきちんと伝え、迅速な対応を求めたこと。よくおやりになったと感銘を受けました。
 12月8日、私は福島に行って話をしてきたばかりです。巨大複合災害で最も苛烈なダメージを受けつつあるのはフクシマではないか、と心が痛みます。
 核の被爆地として広島、長崎、福島と並べられますが、しかし、福島は本質的に違います。むろん、広島、長崎も殺戮と悲惨な人間破壊があり、人道上許されるべきではありません。しかし、それは交戦中の敵である米国から投げられた原爆による惨禍でした。
 福島の場合はそうではなく、まさに同じ日本人、同胞による裏切りです。国を統治してきた公共による裏切りの仕打ち。公共の役割を果たすべき政府、東京電力、あるいは学者、官僚らがつくり上げた原発安全神話が降らせた悪の華です。地球上、人類史上、日本の歴史上、比較すべきものもない、最も悲惨な、そしてこれから20年30年と続く惨禍です。
 先祖代々、えいえいと営み続けてきた土づくり、その土の上にもう作物の種はまいてはならないと。こんな苛酷な、不条理な仕打ちを私たちは、孫子(まごこ)の代まで、許すことはできるでしょうか。
 人々は怒りに震えています。大江健三郎さんらとともに私も呼び掛け人になって進めている「さようなら原発」は9月19日に6万人集会を東京・明治公園で開きましたが、集まったのは目標を大きく超える6万7000人もの人びとでした。


◆“惨事便乗型”マネー

内橋克人氏 内橋 演壇のちょうど真正面には福島から、幼い子どもたちを連れた若いお母さん方がいっせいに駆けつけ、会場を埋め尽くしました。福島のNPOの女性の方が地元を代表して、日々の不安を訴え、怒りの声をあげ、会場いっぱい埋めた人々の心を揺さぶりました。
 「私たちは静かに怒りを燃やす東北の鬼です」「毎日毎日選択と決断を迫られている。(このフクシマから)逃げるのか逃げないのか、目の前の食料を食べるのか食べないのか、洗濯物を干すか干さないか、畑を耕すか耕さないか」。放射能に追われる日々の苦痛・・・。
 「国は国民を守らない。私たちは棄てられた民だ」「どうしたら原発と対極にある新しい世界をつくっていけるのでしょうか」などなど。
 国の統治者に裏切られたという深い絶望の気持ち。それでも復興を考えていかねばならない苦しみ。現地の人々の、こうした悲痛にどう応えていくのか。日本人すべてが問われているのだと思います。
 昨年11月、やっと第3次補正予算がきまりました。震災から8カ月も経って・・・。これからやっと復興に向けて土木工事その他、大型の公共工事が始まるでしょうが、いま話題の『ショック・ドクトリン』(ナオミ・クライン著 岩波書店)が詳述しているように、「惨事便乗型資本主義」、つまり戦争、恐慌、巨大災害に遭って人びとが呆然自失している隙に、巨大マネーが被災地の復興事業を一挙に「お狩り場」にしてしまう。2003年のスマトラ沖地震と津波、何万という漁民が呆然自失している間に、外資が海岸一帯を抑え、漁民を追い出して一大リゾート地帯に変えてしまった。イラクまたしかり、です。
 ハリケーン・カトリーナに襲われた米ルイジアナ州で何があったか。教育の「バウチャー制度」(教育に市場原理導入)が一挙に進み、それまでの公的教育制度にとって代わった。
 今回の巨大複合災害でも、すでに外資が利益機会を狙って、さる日本のメディアの水先案内でプロジェクトを立ち上げています。TPP(環太平洋パートナーシップ協定)はそうした外資にフリーパスで利益機会を与えることになるでしょう。そのための布石が着々と打たれているわけです。復興利権に群がるマネーが跳梁(ちょうりょう)跋扈(ばっこ)する懸念は小さいものではありません。私は怒りをもってこのような復興のあり方に警鐘を鳴らしたいと思います。


◆市民自らが測定所

 内橋 そうしたなかでも、いま「立ち上がる市民」が生まれてきました。福島では市民の自主的な運営による「市民放射線測定所」があちこちで活動しています。これは、フランスの「クラリッド」という、市民の手による放射線量の測定所に学んだものです。ボランティアや市民に寄り添う研究者によって施設がつくられ、そこへ乳幼児を抱えた母親たちが詰め掛けます。国や行政の施設ではなく、母親たちは、市民自ら立ち上げた測定所を選んで駆け込む。これは何を語っているでしょうか。
 権威、権力を背にした「権論」が崩れ、代わって市民・国民による「民論」が立ち上がってきたこと。野田首相が原発事故の「収束」などと宣言しても、だれひとり信用しない。「またか!」と。学者、研究者またしかり、です。放射能汚染列島の上で生きていくほかにない私たち日本人。相応の覚悟が求められているでしょう。協同組合人は、そうした日本人の、せっぱ詰まった危機感を共有し、支えていく。協同組合コミュニティをしっかりと築いていく。新しい協同組合と協同組合人の役割が求めてられているのだと思います。
 鈴木 村上会長は広島ご出身で、お父様が被爆者であり、「反核運動には意識的に取り組んできましたが、原発については平和利用の美名の下にどうも惑わされていた」と率直に自戒の念を書いておられます。多くの国民がだまされていたことは事実だと思いますが、内橋先生のお話についてはご自身の思いも含めていかがですか。
 村上 私も9月にJA全中の万歳章会長とともに被災地を回りました。岩手、宮城両県では復興に向けて前向きにがんばろうということで、ある程度ものごとが前に進んでいるといった状況でしたが、福島は違いました。風評で農作物が売れません。また来年の作付けはできるのか、とにかく不安だらけでした。
 例年なら稲穂が垂れて黄色く色づいている田んぼが飯館村では草ぼうぼうの有様でした。しかし緑の里山などの風景は私の故郷とさして変わりません。ところが、その地には人が住めず、田んぼには稲を植えようにも植えられません。そう思った時に東電や国などに対する怒りがこみ上げて来ました。


◆「平和利用」の正体

村上光雄氏 村上 私の場合、それだけでは済みません。というのは原爆症の父親が地域で仲間づくりをやり、「炎の墓標」というみなさんの手記をまとめたりしていました。全部で2000部くらいを出したでしょうか。よくまとめたものだと感心しました。
 そうしたことがありながら、なぜ原発に対しては警告を発して来なかったのかと自分自身に対する腹立たしさも湧きました。自分は一体何をしていたのかと情けないやら歯がゆいやら。原発事故をめぐってはほとんどの広島県人がこうした気持ちを持っています。
 なんでこういう流れになったのか。中国新聞は特集を組みました。それによると、原発導入の当初は広島にも原発をつくろうという話があったのです。原子力の平和利用を前面に掲げ、原爆使用をカムフラージュし、被害者意識をなくすためにも?広島に原発を?と強調したわけです。


◆話相手を求めたい

 村上 当初は?核分裂の平和利用?という言葉も使ったらしいのですが、結局、広島としては?核兵器反対?の運動を世界に展開することになりました。核兵器も原発も核分裂については1つのことで、ゆっくり分裂させるか、急激に分裂させるかの違いに過ぎないのですよね。
 原発には核爆弾と同じ性質があるわけですが、なぜ早く、そこに気が付かなかったか。広島はやはり脱原発へ声を挙げていくべきですよ。肉親に被爆者がいる立場から、それは当然です。これからも脱原発を広島から発信し続けなくてはならないと思います。
 鈴木 では次に被災地での農業再開の実態などを菅野さん、お願いします。
 菅野 どちらかというと私の住んでいる所は被災者を受け入れる側の地域で、JAふたばは私どものJA福島ビルの中に本店を構えています。ふたば本店は福島原発から6km前後です。
 仮設住宅のコミュニティについていえば、震災前の集落の生活では、それぞれ農業や世間話などを語り合う仲間や相談相手がいたわけですが、仮設に入って離れ々々になってしまった、しかし慣れない生活に取り紛れていたが、半年ほどを経て仮設での生活が落ち着いてくると、以前のような話し相手が近所にいないことで寂しい気持ちになっているという状況です。話相手を求めたいという思いが強くなっています。
 それから復興ビジネスに群がるゼネコン系列の動きですが、多くの企業は岩手や宮城から雇用して地元福島からはごくわずかしか雇用しないとのことです。正確な情報かどうかは別として、ある現場では200人の雇用に対して福島県人の採用は5、6人だったとの話もあり、雇用面でも県人ははずされているようです。
 村上 何でですか。
 菅野 理由ははっきりしませんが、孫請け、曾孫請けにそうした動きがあるという話です。しかし全体として建設業関係の仕事は少しずつ伸びています。
 それに比べ農業関係の販売などは悲惨でした。稲ワラと牛肉の問題が報道され、夏場の果物が暴落し、それが落ち着くと11月に米の問題が起きました。乳幼児を抱えた若い母親たちは、福島のものは汚染していて食べられないといいます。
 科学的に野菜の汚染は少ないんだということを消費者に伝えないといけませんが、それだけではお母さんたちの気持ちにアピールすることはなかなかできません。科学的にも感性的にも不安を払拭するにはどうすればよいか。


◆除染の訴えを工夫

 菅野 現場としてはこれからの生産活動の中で除染の取り組みを最大限にアピールする必要があるのではないかと思います。
 鈴木 除染については前回の座談会でゼオライトの話が出ましたが、どうなりましたか。
 菅野 果樹園と野菜畑などで試しましたが、効果はまだ不透明です。
 鈴木 効果の薄いことが判明したわけですね。
 菅野 そうです。セシウムなどは雨に溶けてゼオライトに吸収される性質があり、粘土質の畑では土と結合する問題もあって効果は判定しにくいのです。
 鈴木 農家の不安は今もずっと続いているわけですね。
 菅野 水田作は県が昨年4月にOKを出し、制限区域を除き殆どの作付けを再開しました。野菜もほとんどが作付けし、果物関係でもやめたという人はいません。
 価格はモモの場合約17億円を販売額としてJAが預かりましたが、それを前年の単価に置き換えると、ざっと37億円で約20億円の減少です。ナシは10kg当たり700〜800円ほど安く、リンゴは全国的に生産量が減少しましたので他県産は好調な値動きでしたが、福島産は?200円前後と惨憺たる状況でした。
 鈴木 平年作と比べた差額について東電に対して賠償請求はできるのですか。
 菅野 それはもう全部請求させていただいております。福島県下の請求額は畜産など全てを含めて現時点で428億円です。うち312億円が入金し、昨年末までに農家に支払われました。
鈴木利徳氏 鈴木 これからの農業を担う20〜40代が踏ん張って農業を続けられるか心配です。60代以上なら賠償金をもらって作物を作り続ければ何とか暮らせますが、将来の夢を目指して農業に励む若い人たちにとっては賠償金をもらって済む問題ではありません。若い人はどうでしょうか。
 菅野 今まではどちらかといえば、JAが企画立案してやらないと動かない組織が多かった中で、3年前にスタートした青年農業経営塾は若い塾生たちが自ら学習会を企画し、運営しています。
 昨年の年度始めには原発の不安を解消する方向を塾長の今村奈良臣先生と語り合ったりしましたが、そういう姿を見ていると、福島の農業にかける若い人たちの強い思いを感じます。
 私は3.11以前の農業を取り戻したいとは余り思っていません。そうではなくて大震災を機会に、若い人たちが本当に農業をできるような環境とはどんな姿なのかを考えることが大事だと思います。

 

◆若者の夢を考える


 菅野 新たな担い手が年配者にも広がっている一方で先祖から受け継いだものを再生していこうという若者も結構多いのではないかと思います。だから私の周りには難しい問題に直面して?農業をやめた?というような若い者はおりません。
 鈴木 今のお話は、最も困難なところに新しい社会をつくるモデルが生れるという内橋先生の話と相通じます。困難の中から新しい農業が生れて来るかも知れません。
 内橋 先程の村上副会長のお話し、身に沁みました。前回も触れたところですが、私が『原発への警鐘』をまとめてもう30年ほどになります。米国の世界戦略によって核の平和利用が喧伝(けんでん)され、被爆国日本、なかでも被爆地のヒロシマに標的が据えられたのです。
 ほとんどのメディアが見事にこれに追随しました。TPP礼賛に明け暮れる昨今のメディアに私は同じ姿をみています。
 農協の方々が協同組合として被災者に向き合い、どう支え、どう寄り添っていくのか、その対応のあり方こそもっとも大きなミッションです。菅野さんのお話しにありましたように、国、政府のやろうとしていることはインフラの回復です。決して「人間復興」ではありません。防潮堤の再構築はじめ形を変えた「公共工事」に過ぎない。被災者個人、放射能汚染の疑いに苦しむ農の救済、被災地に人間のぬくもりを取り戻すきめ細かな政策・・・それらとはおよそ無縁の復興資金投入による公共工事に限定される。私たちは阪神・淡路大震災の苦い経験から骨の髄まで沁みて悟りました。決して被災者個人の救済ではないと・・・。
 阪神・淡路大震災ではその復旧工事でさえ、地元の中小土木建築業者は東京系の大手ゼネコンの完全な下請け、孫請け、そのまた孫請けとして使いまくられ、揚げ句、ほとんどが倒産の憂き目に遭いました。
 国、地元行政がやったことといえば、巨額の資金を注ぎ込んでの神戸空港の造成、倒壊した阪神高速道の復旧、創造的復興の象徴と称し2700億円もの巨費を投じて建てた超高層ビル・・・。空港も象徴ビルもいまは経営がニッチもサッチも行かぬドン詰まりです。
 農漁業はじめ「生業(なりわい)」の再生、被災者の人間復興、いったい誰が担うのか。個人や個別組織の善意はたいせつですが、自ずと限界があります。「国・政府は、なすべきを、なせ!」と迫り、そして真に個人の「人間復興」に寄り添い、救援の手をさしのべさせる―それこそ協同組合の役割ではないでしょうか。

(後編は後日更新致します)

(2012.02.03)