特集

第26回JA全国大会特集 「地域と命と暮らしを守るために 次代へつなぐ協同を」
今だからこそ考えよう 私たちの農協が果たしてきた役割を―次代につなぐ「協同」とは何か?―

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農協はモンスーン・アジアの農業や地域社会の守護神である  文芸アナリスト・大金義昭

・飢餓に苦しむ国民を「食糧増産」で救う
・「内に蓄積する力」を外に向かって開いていく
・コミュニティーの急激な変容に晒されながら
・協同の力で農業や地域社会を支える
・JAの存在が地域社会を幸せにする

 わが国に「農業協同組合」が誕生したのは昭和22年(1947年)。今年で、65年を迎えた。
 協同組合は経済的、社会的に力の弱い人々が「協同」してそれぞれの営みや暮らしを守るために創られた自発的な組織である。歴史的にも資本主義が本格的に成立し競争社会が激化するなか、それに「協同」の力で対抗しようと生まれた。
 この国の農業協同組合も相互扶助の精神のもとに、その力で農家の営農と生活を守るために組織された。この組織は組合員が「出資」し「利用」し、組織の運営に「参加」して成り立つ。目的は株式会社のように最大限の利益を上げることではなく、組合員の願いをかなえ、よりよい社会を築くことだ。
 この「よりよい社会を築く」ことに着目してこの国の農業協同組合の歴史を振り返るなら、その役割は、まず何よりも農業生産を振興し国民が安心して食料を手にすることができる社会の実現をめざした「協同」であったことを改めて思い起こす必要があるのではないか。飽食の社会と言われて久しいが人の生存に欠かせない「農業」の「協同組合」の原点をかみしめたい。
 そしてその農業振興への取り組みこそが農村を維持し、ひいては地域社会を守ってきたといえる。第26回大会議案でも農を通じた地域づくりが強調されている。とくに市場経済一辺倒の仕組みがこの社会を浸食しはじめてから、格差の拡大や地域社会の疲弊をどう克服するかが課題となってきた。
 そのなかで発生した東日本大震災や原発事故は地域で生きることを奪われた悲劇をいまだ人々に突き続けるとともに、地域に生きることの大切さを感じさせた。震災を機に人と人とつながり、助け合いの大切さが再認識されたとしばしば言われるが、それを実現し実感する場として地域へのまなざしを持ち続けるのはどこか。地域を離れて存在し得ない農業協同組合こそ、との気概で新たな足跡を次代に引き継いでいくことが期待される。

JAは「内に蓄積する力」を外に開け!!


広げよう JAグループの力


◆飢餓に苦しむ国民を「食糧増産」で救う

文芸アナリスト・大金義昭氏 65年という歳月は、短いのか長いのか。受け止め方は、人や組織や地域によってさまざまである。仮に人なら還暦を経て、古希へ向かう道半ば。国民年金の受給開始年齢や介護保険の「第1号被保険者」とみなされ、「高齢者」への扉を開く年齢である。その65歳以上の「高齢者」が、去る9月15日の時点でついに3000万人を突破。総人口に占める割合がおよそ4分の1を占めるに至った。戦後の第1次ベビーブーマー、いわゆる「団塊の世代」が「高齢者」に仲間入りし、その割合を急激に押し上げている。
 世界の先端を走る高齢社会だから、こんな言葉がまかり通る……「50、60、洟たれ小僧。70、80、働き盛り。90になって迎えが来たら、100まで待てと追い返せ」。きょうの自分がいちばん若い。若いと思えば、いつまでも若いのである。
 われらが愛すべきJAも、当年とって65歳。かの「団塊の世代」と同年代である。ともに戦争を知らない“戦後っこ”ではあるが、JAは敗戦に伴う占領政策によって、前身の組織が生まれ変わった。その端緒となったのは「農地改革に関する覚書」。占領軍が発した別名「農民解放指令」が地主・小作制度を解体する。農協法は、解放された農地を手にした農民が、ふたたび小作人に転落することを防ぐねらいを持っていた。
 土地に対する“千年の飢え”を満たした農民が、生産意欲に燃えあがる。燃えてJAに結集する。農協法はその第1条で「農業者の協同組織の発達を促進することにより、農業生産力の増進及び農業者の経済的社会的地位の向上を図り、もって国民経済の発展に寄与する」と謳っている。飢餓に苦しむ国民を、この陣形で救済する。
 占領軍の「戦後民主化政策」は、この国の戦前の軍国主義を根絶やしにすることを目論んだ。国民も時の政府も、内外に3千数百万人の犠牲者を出した凄惨な戦争を反省し、“平和日本の確立”のために再出発する。新たに誕生したJAは1万3100余。「貧しさからの解放」を求め、そこに700万人の農民が結集する。あれから幾星霜。艱難辛苦を乗り越え津々浦々に根を張りめぐらせたJAは、豊かな樹形を誇る710本の巨樹となり野太い枝に葉を繁らせ、東アジアの風の中で屹立している。

(写真)文芸アナリスト・大金義昭氏


◆「内に蓄積する力」を外に向かって開いていく

 松本健一の著作に、ユーラシア大陸の文明を3つの類型に区分した『砂の文明 石の文明 泥の文明』(岩波現代文庫)がある。その著作の中で松本は、モンスーン・アジアの「泥の文明」の本質を「内に蓄積する力」と説いている。それは、水の多い泥土が数多くの生命を育む豊饒な風土の上に成り立っている。
 この島国もその文明の中にあり、広く取り組まれてきた稲作が、1粒の米、1枚の水田、1戸の家、1つの村の中に農本的な文化のノウハウを蓄積。勤労・忍耐・正直・節約などを旨とする、いわゆる勤勉革命によって、生産工程における品種改良や品質管理などの集約的な技術革新を成し遂げてきたというのである。松本の指摘を待つまでもなく、この国の農業技術が世界の最先端技術であることは言うまでもない。
 松本の主張は、和辻哲郎や大塚久雄などの先学を批判的に継承しながら、3つの文明の特質を対比的かつ現代的に浮き彫りにした。小論は、松本が追求する「泥の文明」の可能性をヒントに、戦後のJAの軌跡をたどり、持続可能な農業や地域社会を担って輝くJAの近未来像に迫る。
1946年5月19日 東京・皇居前広場(毎日新聞) なぜならJAこそ、モンスーン・アジアの「泥の文明」の本質を「体現」してきた、典型的な組織・事業・経営体にほかならないからである。その近未来像に迫る課題をあらかじめ言ってしまえば、JAは「内に蓄積する力」をいかに外に向かって開いていくかに尽きる。外に開くと言っても、誤解のないように断わっておくが、あのさかしらなTPP推進論者たちが、かしましく唱える愚論とは全く無縁であり、その対極にある。あくまでも「土に立つ者は倒れず。土に生きる者は飢えず。土を守る者は滅びず」(横井時敬)である。
 「泥の文明」がそもそも「内に蓄積する力」を蓄えることになったのはなぜか。「砂」や「石」の文明の母胎となった風土とは比べものにならない、豊饒な自然に恵まれていたからである。その豊かな自然の恵みを有効に活用し富を蓄積するために、相互扶助による技術集約的なシステムがコミュニティーの中に生まれ、自然との共生を図りながらこれを巧みに育んできた、と松本は唱える。
 加えて、アジア的な農耕社会はその根本において、自然の生産力を「体現」する女性を尊重し、男女平等の思想を生み出してきた。お気づきのことと思うが、小論はここで「体現」という言葉を連用し、「泥の文明」すなわちアジア的な農耕社会とその本質として松本が規定する「内に蓄積する力」とJAの基本的価値と女性の底力とを重層的に捉えている。
 それはなぜか。JAの近未来像に迫るうえで、「男女共同参画」が必然であり不可欠であること。さらにはJAが「内に蓄積する力」を外に向かって開いていくために、「男女共同参画」を組織・事業・経営戦略の前面に据えるべきであることを再確認したいからである。先日、あるJAを訪ねて教えられた言葉がある。「女性に見捨てられたJAに、未来はない」と。時代を先取りし、それを実践するトップリーダーの言葉である。優れたJAには、優れたトップリーダーがいる。

 

(写真)
1946年5月19日 東京・皇居前広場(毎日新聞)


◆コミュニティーの急激な変容に晒されながら

 JAの戦後史は、コミュニティーの変容と共にある。コミュニティーは「人と人との関係」と言い換えてもよい。「人と人との関係」が変化すれば、「人と人とのネットワーク」から成るJAの変容も免れない。その変容を促した要因を大掴みに言えば、ひとつは農地改革。ひとつは近代化農政とグローバル経済の浸透。これに少子・高齢化に伴う人口減少などが加わる。
 地主・小作制度を解体した農地改革が、零細な農地を私的に所有する多数の農民を輩出した。そして農本主義的な小農保護農政が、近代化農政の登場までしばらく続く。JAはこの間に食糧管理制度の一環を担い、組織・事業・経営の基盤を確立した。
 近代化農政は言葉の通り、農業・農村の近代化・合理化を推し進める。しかし、ここでの近代化・合理化とは「効率化」の別名であった。その主要な手段のひとつが「選択的規模拡大」。さらには「構造改善」により「自立した個人経営」を育成し、これを補う「協業」を促す。「構造改善」はもちろん農業の担い手を選別し、農村の労働力を流動化させるねらいを秘めていた。重化学工業を中心に未曽有の成長を遂げつつあった産業経済の高度化が、至上命題であったからである。
 その結果、なにが生じたか。零細な農民は生活を守るために、政府支持価格によって比較的に安定していた米作に特化、兼業化への道をひた走る。かくして、米が構造的な生産過剰に見舞われ、その後に続く生産調整を長期に余儀なくされる。
 農政の基調はその後、賃貸借による農地の流動化などで農業の「効率化」をさらに促し、工業製品の輸出の見返りとして米を含む農畜産物の市場開放を推し進める。食糧自給率はこのため、先進諸国の最低ランクに落ち込んだ。この間に農村の人口は都市に流失、過疎と過密の現象を生む。中山間地域は少子・高齢化と相まって農業や地域社会の崩壊に見舞われ、近郊農業は早くから都市化の津波に晒された。これらによってコミュニティーやJAは、どのように変容したか。


◆協同の力で農業や地域社会を支える

 松本は「泥の文明」の本質を「内に蓄積する力」とみなした。その力は「内に向かって閉じていく」アジア的な農耕社会のコミュニティーの特質と表裏の関係にある。人と人とがコミュニティーの中で同心円的な「きずな」を強め、内と外との境界をつくりながら内に向かって閉じ、「内に蓄積する力」を協同の力で生み出してきた。この関係が、市場経済の急激な浸透で揺さぶられる。物質的に豊かになった分だけ、「協同」のハードルも高くなった。人々はコミュニティーの「きずな」を敬遠・軽視・忌避するようになり、次第に家族(戸)から「個」へと孤立を深めていく。農村の近代化・合理化政策は結果的に、こうした傾向を強めた。
 JAはこれに対し、集落組織や作目別生産組織、青年・女性組織など、さまざまな組合員組織の協同活動を強化。「共選共販」を機軸にした営農団地や集団転作、集落営農、生産法人、ファーマーズ・マーケット、農地利用の調整あるいは共同購入、店舗展開、移動購買、食材宅配、助け合い活動などを多面的に展開する。JAは「人と人との関係」を維持しながら、コミュニティーの新しい機能開発(イノベーション)に苦心する。
 それはなにゆえであるか。JAが「人と人とのネットワーク」によって成り立つ「農業協同組合」であるからである。JAの強みは「協同活動」と「総合事業」にある。前者では組合員の主体的な参加・参画が問われ、後者では主に役職員による高度なソフト・サービス機能が求められ、各事業間の相乗・相補効果が期待される。その際、改めて求められるのは、コミュニティーの新しい機能開発であり、相互扶助の「きずな」を担う新しい主体の形成である。「個」の自立の上に成り立ち、みずからを進んで外に向かって開いていくコミュニティーの新しい仕組みである。正組合員の1戸複数加入や准組合員の拡大などは、そのための基礎的な条件として捉えるべきである。


◆JAの存在が地域社会を幸せにする

 東日本大震災を契機に、改めて協同の「きずな」の有難さや大切さが見直されている。人はひとりでは生きられない。どんなに賢い人でも、ひとりで出来ることは限られている。人は人の期待に応える存在である。人のために役立つことで生きられる。人は、自分のためより人のために強くなれる。「違い」があるから、人は面白い。「違い」があるから強くなれる。「違い」と「違い」を掛け合わせる。信じた分だけ、相手も信じる。愛した分だけ、相手も愛するのである。
 コミュニティーの変容に対応したJAの真価が問われている。優れたJAから進化し、710JAの巨樹が繁る樹林がいっせいに開花する時期を早めたい。人や組織や地域の格差が拡大するなかで、課題は山積している。しかし、山積する課題を肥やしにしてこそ、JAは進化する。「内に蓄積する力」を外に向かって開いていくために、まずは「違い」を生かし合う男女共同参画のスピード・アップを図りたい。
2012年4月25日、東京・日比谷野外音楽堂で 数多くの優れたJAを訪ねるたびに思う。地域特性を生かした生産・販売に汗と涙を流している。自然環境や景観に誇りを持ち、新鮮・安全・安心の農畜産物の生産に励んでいる。地産地消でにぎわうファーマーズ・マーケットが輝いている。食農教育の活動が盛んである。JA祭りや文化活動が盛り上がっている。伝統的な文化や芸能の保存にも余念がない。高齢者福祉の現場が生き生きしている。青年・女性組織が活発である。JAのファンづくりをめざす准組合員向けの活動に力を注いでいる。そしてなにより組合員や役職員の人づくりに怠りない。365日のスケジュールが目白押しである。
 その姿こそ、モンスーン・アジアの農業や農村の多面的な機能を反映したJAの多面的な使命なのだと納得させられる。農業や農村は、都市の生命維持装置にほかならない。JAはその装置を「体現」する極めて重要な「社会的共通資本」である。言い換えれば、JAの存在そのものが、地域社会を幸せにしている。JAは、モンスーン・アジアの農業や地域社会の守護神なのである。

(写真)
2012年4月25日、東京・日比谷野外音楽堂で

 

◆     ◆


農業協同組合、誕生から65年

協同の心は未来への確信


◎農業・農協関連の主要年表

戦後復興と農地改革、農協の誕生

【1945年】(昭和20年)
○太平洋戦争終結○米大凶作 作況指数67
○農地調整法改正(第一次農地改革を計画)
【1946年】
○GHQ「農地改革に関する勧告」(第二次農地改革の具体的な内容を提示)○農地調整法改正、自作農創設特措法(第二次農地改革)○国際協同組合デー復活
【1947年】
○日本国憲法施行(5月)○GHQ、農協に関する覚書交付○農業協同組合法公布(11月)
【1948年】
○全国指導農協連(全指連)、全国購買農協連(全購連)、全国販売農協連(全販連)発足○家の光協会が社団法人に○農協マーク制定○消費生活協同組合法公布(産業組合法廃止)
【1949年】
○農林省設置法施行、食糧庁、林野庁発足○土地改良法公布(耕作者の参加による事業の実施)○全酪連(全国酪農販売農協連)、全畜連(全国畜産販売農協連)発足○農協の経営、全国的に不振に。
【1950年】(昭和25年)
○土地税制改正(地租を廃止し固定資産税に)○農協財務処理基準令公布
【1951年】
○農業委員会法(農地委員会、農業改良委員会、農業調整委員会を統合)○全国共済農協連(全共連)発足 ○農林漁業組合再建整備法公布(単協の再建を助成)○全国農協婦人団体連絡協議会結成
第1回全国農協大会、三重県の宇治山田市で【1952年】
○農地法公布→▽自ら耕作するものだけが農地の権利と取得できる=農地耕作者主義、▽小作地所有制限、▽創設農地の貸付禁止など。○全森連、全漁連発足 ○日本の協同組合、ICA(国際協同組合同盟)に加盟 ○第1回全国農協大会(農協刷新強化決議)
【1953年】
○第2回全国農協大会(農協の活動強化等決議)○農林漁業組合連合会整備促進法公布(連合会の再建を助成)○農協法改正(共済事業規定の整備)
【1954年】
○全国農業協同組合中央会発足、○農協法改正(中央会制度の法制化)○全国農業会議所、県農業会議発足
【1955年】(昭和30年)
○第3回全国農協大会(農業団体再編成反対決議)
【1956年】
○第4回全国農協大会
【1957年】(農協刷新拡充3か年計画の実施等決議)
○農林水産白書 初の公表 ○第5回全国農協大会(農協刷新拡充3か年計画の実施徹底等決議)
【1959年】
○第7回全国農協大会(農協の組織整備、体質改善等決議)○伊勢湾台風
農業基本法の成立と高度経済成長
 昭和37年の要求米価貫徹集会【1960年】(昭和35年)
○農林漁業基本問題調査会「農業の基本問題と基本対策」答申
【1961年】
○農業基本法公布→▽農産物自由化と選択的拡大による生産性向上、▽家族農業経営、自立経営の育成、▽農地保有合理化の促進、▽協業の助長など ○第一回農業白書 ○第9回全国農協大会(食管制度の堅持等決議)
【1962年】
○農地法改正→▽農業生産法人制度の創設(農事組合法人、合名会社、合資会社、有限会社の4種類)▽農協での農地信託制度創設、▽農地取得の上限緩和など ○農協法改正公布→農事組合法人の新設 ○第一次農業構造改善事業発足
【1963年】
○農林省がJAS規格制定 ○全中「単協合併の方針」を提示
【1964年】
○東京オリンピック、東海道新幹線開業 ○第10回全国農協大会(農協運動の刷新強化等決議)
【1965年】(昭和40年)
○農林省、農協問題研究会を設置
【1966年】
○加工原料乳生産者補給金等暫定措置法公布 ○農協合併助成法第一次改正
【1967年】
○米大豊作1445万トン ○農林省「構造政策の基本方針」発表 ○第11回全国農協大会(営農団地推進、農業基本構想などを決議)
【1968年】
○新都市計画法→市街化区域、市街化調整区域の設定など ○農協長期計画運動
【1969年】
○米穀自主流通制度を閣議決定 ○農業振興地域整備法公布→対象地域の整備に必要な施策の推進や農用地の確保などを制度化 ○第二次農業構造改善事業促進対策要綱決定
米の生産調整の実施と世界的な食料危機

昭和52年牛肉・オレンジ・果汁輸入自由化阻止緊急全国大会
【1970年】(昭和45年)
○「総合農政の基本方針」閣議決定 ○米の生産調整実施 ○農地法改正→▽農地取得下限面積引き上げ、▽農地保有合理化促進事業の創設、▽賃貸借による農地の流動化、▽農協による経営受委託事業創設など
○第12回全国農協大会(第一次総合3カ年計画、生活基本構想などを決議)
【1971年】
○米の生産調整5年間計画 ○政府米の買い入れ制限(予約限度制)の導入
【1972年】
○日中国交正常化、日本列島改造論 ○全販連と全購連が合併、全国農業協同組合連合会(全農)が発足 ○消費者米価統制廃止
【1973年】
○第四次中東戦争、第一次石油危機、ドル変動相場制へ移行 ○地方税法改正→市街化区域内の農地の宅地並み課税を導入
【1974年】
○物価高騰 ○ローマで「世界食糧会議」○国土利用計画法 ○生産緑地法公布→市街化区域内での生産緑地設定(宅地並課税の除外)。
【1975年】(昭和50年)
○農林省「総合食料政策の展開」を発表→世界的な基調変化にともない国内自給率の向上と輸入安定などの総合的な食料政策 ○国際化に対応した農業問題懇談会「国民食料の安定供給に関する提言」発表 ○農振法改正→農用地利用増進規程の作成、開発行為の制限
【1976年】
○水田総合利用対策→米の計画的生産と増産が必要な農産物について水田での生産振興を図る○野菜供給安定基金発足 ○第14回全国農協大会(協同活動強化運動など決議)
【1977年】
○第三次全国総合開発計画を閣議決定→定住圏構想、食糧の国内自給率向上など。
【1978年】
○水田利用再編対策実施要綱→10年で米の生産を計画的に調整するとともに転作作物を定着させる
【1979年】
○第二次過剰米対策(5年間で650万トン処理)○全中「米の生産調整強化に自主的に取り組む」方針を決定 ○第15回全国農協大会(1980年代日本農業の課題と農協の対策を決議)
強まる農産物貿易自由化の圧力
【1980年】(昭和55年)
○農用地利用増進法公布、農地法改正(農業生産法人要件の緩和)○農政審議会「80年代農政の基本方向」(総合的な食料自給率の維持強化)
【1981年】
○食糧管理法改正→米の配給割当、購入券廃止
【1982年】
○第16回全国農協大会(系統農協経営刷新強化方策、日本農業の展望と系統農協の農業振興方策を決議) ○農水省、農産物44品目関税引き下げ等決定
【1985年】(昭和60年)
○プラザ合意(円高誘導) ○食糧庁、米穀の流通改善措置大綱決定
【1986年】
○前川レポート(国際協調のための経済構造調整研究会が中曽根首相に報告)→農業について貿易自由化、担い手選別政策、市場原理の導入○ガット・ウルグアイ・ラウンド開始。米国精米業者協会(RMA)が日本の米輸入制限を不当として米通商代表部に提訴
○玉置総務庁長官、農協への行政監察を発表
○全中「最近の農業・農協批判に対する見解」を発表
【1988年】
○牛肉・オレンジ3年後自由化決定 ○農水省「国際化への対応と農業・農山漁村の活性化のための政策の基本方向」発表 ○第18回全国農協大会(21世紀を展望する農協の基本戦略?国際化のなかでの日本農業の確立と魅力ある地域社会の創造)
【1989年】(平成元年)
○昭和天皇逝去、年号「平成」に(1月8日)○消費税スタート、天安門事件、ベルリンの壁撤去、参院選で与野党逆転
米の市場開放と農政改革
【1990年】
○東西ドイツ統一 ○初の5カ国農相会議
【1991年】
○湾岸戦争、ソ連解体 ○雲仙普賢岳噴火 ○第19回全国農協大会「農協―21世紀への挑戦と改革」を決議
【1992年】
○農水省「新政策(新しい食料・農業・農村政策の方向)を発表 ○ICA東京大会 ○農協の愛称「JA」使用開始
【1993年】(平成5年)
○米の作況指数、全国74 ○ガットUR合意、米のミニマム・アクセス受け入れ
【1994年】
○外国米の緊急輸入 ○第20回JA全国大会「21世紀への農業再建とJA改革」
【1995年】
○WTO(世界貿易機関)発足 ○阪神淡路大震災 ○食管法廃止、食糧法施行
【1996年】
○FAO世界食料サミット ○農協改革関連2法案成立、全中に改革本部
【1997年】
○「新たな米政策」決定→稲経で米価下落を補てん ○第21回JA全国大会「農業の持続的発展とJA改革」決議
【1998年】(平成10年)
○農政改革大綱決定 ○食料・農業・農村基本問題調査会が答申 ○全農と3経済連が合併
【1999年】
○米、関税化へ移行 ○「食料・農業・農村基本法」公布 ○初の県域単一農協が誕生、JAならけん
グローバル化時代 「共生」を主張
【2000年】
○食料・農業・農村基本計画を閣議決定 ○緊急総合米対策を決定 ○WTO交渉開始 ○第22回JA全国大会「農と共生の世紀づくり」決議
○全共連が都道府県共済連と一斉統合
【2001年】
○国内初のBSE(牛海綿状脳症)確認 ○WTO、ドーハラウンド開始 ○米国で同時多発テロ
【2002年】
○米政策改革大綱の決定 ○農水省「食と農の再生プラン」を発表 ○JAバンクシステムがスタート ○農林中央金庫と県信連の統合開始
【2003年】(平成15年)
○食品安全基本法施行 ○第23回JA全国大会「JA改革の断行」を決議 ○農水省「農協改革の基本方向」
【2004年】
○国内で鳥インフルエンザ発生 ○改正食糧法施行 ○新潟中越地震発生 ○全農が経済連統合で36県本部体制を実現
【2005年】
○食育基本法施行 ○全農、「新生全農を創る改革実行策」を決定 ○郵政総選挙、郵政民営化関連法案成立
【2006年】
○担い手経営安定対策法案など農政改革関連法案が成立 ○残留農薬にポジティブリスト制度施行 ○第24回JA全国大会「食と農を結ぶ活力あるJAづくり」決議
【2007年】
○偽装表示、賞味期限改ざんなど食品をめぐる不祥事多発
【2008年】(平成20年)
○穀物・原油価格高騰
○リーマンショック
○中国製ギョウサ事件○「事故米」の不正流通事件発覚 ○WTO交渉決裂 ○「原油肥料飼料高騰対策全国代表者緊急集会」開催
【2009年】
○米国、オバマ大統領が就任 ○民主党が総選挙で単独過半数。政権交代 ○第25回JA全国大会「大転換期における新たな協同の創造」決議 ○新JAビル竣工
震災からの復興に協同の力を発揮
【2010年】
○新たな「食料・農業・農村基本計画」○農業者戸別所得補償モデル対策の実施 ○菅首相、秋の臨時国会でTPP(環太平洋連携協定)への参加検討を表明 ○JAグループ「米の需給価格安定と万全な所得補償求める代表者集会」○JAグループなどTPP交渉参加反対運動を強める ○国連総会で2012年を「国際協同組合年」に制定
【2011年】
東日本大震災後の女性部支援活動○東日本大震災発生、福島第一原発事故 ○JAグループ「東日本大震災の教訓をふまえた農業復権に向けたJAグループの提言」を発表
○米先物取引の試験上場 ○JAグループなどのTPP参加反対署名、1120万人に ○農水省、「我が国の食と農林漁業の再生のための基本方針・行動計画」決定
参考文献「ファクトブック2012」(JA全中)「農業・経済・金融・JAグループ歴史と現況」(阿部信彦編著 農業情報調査会)写真は「全中三十年史」と本紙より


(写真:上から)
・第1回全国農協大会、三重県の宇治山田市で
・昭和37年の要求米価貫徹集会
・昭和52年牛肉・オレンジ・果汁輸入自由化阻止緊急全国大会
・東日本大震災後の女性部支援活動

(2012.10.09)