コラム

「正義派の農政論」

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【森島 賢】
TPP問題で自ら暴露した経産相の農業オンチ

 枝野幸男経済産業相は、新聞報道によると、先週末に都内の大学で講演し、自分の農業問題についての知識の浅薄さを、思わず暴露してしまった。
 新聞は、経産相が、アジア、太平洋の経済連携のために、日本のTPP参加は今でさえ遅すぎる、早急に参加すべきだ、と主張したことを伝えた。そして、その後に、農業は「守りの農政」ではなく、輸出産業化を急ぐべきだ、と主張したと伝えた。「攻めの農政」の主張である。
 前半の「遅すぎる」という主張も重大な問題があるが、ここでは、後半の主張について考えよう。
 農産物の輸出振興は、古くから唱えられてきた。最近では、5年前に故松岡利勝農水相が「攻めの農政」という名前で、農政の目玉として掲げた政策である。だが、下の図で示したように、近年の米の輸出量は20万トンほど、つまり、国内生産量の2%程度の少なさで、しかも増える気配はない。つまり、いまだに何の成果も上げていない。その理由は、関係者の努力が足りなかったからではない。ここには、厳然とした理由がある。
 こんどこそ成果を上げたい、と経産相は期待しているのだろうが、期待している根拠は何もない。100年後は、いざ知らず、「攻めの農政」は不可能なのである。だから、この発言は、農業オンチの政治家の、その場しのぎの無責任というしかない。

 経産相は、日本の農産物は品質がいいし、コストも安くできる、だから強い国際競争力をもてる、といいたいのだろう。農業に無知な学者や評論家がいうことである。それを、何の疑いもなく信じているのだろう。だが、それは違う。
 ここで問題に取り上げるべきものは、果物などの嗜好品ではなく、空腹を満たすことのできる穀物、ことに米である。だからこそ、多くの国民は、TPP参加によって、食糧のカロリー自給率が低下することを危惧している。将来に予想される世界規模の食糧不足の危機は、果物などの不足ではなく、人間の生存を脅かす穀物の不足なのである。
 ここで、ひとこと言っておこう。果物の輸出振興はどうでもよい、と言っているのではない。「攻めの農政」というなら、米の輸出振興なのである。

 はじめに聞きたい。国際競争力がそれほど重要か。
 歴代の政府は、農業には市場では計りきれない、いわゆる多面的機能がある、という主張をしてきた。農産物の価値を計る物指しは、市場価格が唯一絶対のものだ、とする市場原理主義の哲学を否定してきた。経産相は、この哲学を肯定するのだろうか。
 また、農業者は、カネのためだけで農業を行っていると思っているのか。そうではない。国民を空腹にさせない、という使命感に燃えて悠久の農業を行っている。こうした農業者を経産相は嘲笑するのだろうか。
 国際市場価格を唯一絶対なものとして、輸入自由化を進め、農業者が困窮したら政府がカネを出して補償する、という戸別所得補償制度には、カネさえ与えればいいとする、いわば哲学的な限界がある。
 ついでに論証なしで言っておこう。農業だけでなく、医療や教育に市場競争を持ち込む政策は、国を滅ぼす。まして国際競争などは論外である。もう1つ言っておこう。マスコミをカネで支配すると、国の進路を誤る。それは、民主主義の原点に悖る。

 次に日本の農産物は品質がいいか、の問題である。ここでも問題の対象は、米であることを銘記せねばならぬ。だから、問題は、日本の米は旨いか、である。あえて言えば、ナシやリンゴではない。
 筆者は、日本の米は世界で一番旨いと思っている。だが、それは、客観的な事実ではない。主観的な評価で、単なる思い込みといっていい。
 タイ人は、タイ産の香り米が世界で一番旨いと思っている。だから、日本米が、たとい安価でも買わないだろう。まして、富裕層は日本米を買わないだろう。
 だが、しかし、香り米は、タイの友人には失礼なことだが、多くの日本人にとって、クサくてパサパサした不味い米でしかない。
 だからといって、筆者は決してタイ人の味覚を低く評価してはいない。それどころか、世界で一番味覚の洗練された人たちだ、と思っているし、そうしたタイの食文化を、こよなく尊敬している。

 ここで指摘したいことは、経産相に、味覚の民族的な主観性についての認識が、全く欠如していることである。そうして、一部の学者や評論家が言う、耳あたりのいい、権力の維持にとって都合のいいことだけを無批判に聞き、日本の米は世界で一番だ、だから国際競争で勝てる、という間違った思い込みで、国家の重大な進路を誤ろうとしている。
 一部の学者などは、こうした自分の無知を、気づかずに、さらけ出し、農業者よ、もっと智恵をだして努力せよ、と偉そうに説教を垂れている。笑止千万なことである。

 次はコストである。経営を大規模化すれば、米のコストが下がるという。だから国際競争力が強まるという。机上の空虚な計算では、そうなるのかも知れない。だが、ここにも多くの問題がある。
 この主張も古く、明治維新のときからの空論である。そして、事あるごとに、物事を深く考えることのできない一部の学者や評論家の薦めで、政治家が取り上げてきた。そして、ついに実現できなかった。この事実は重い。
 いったい、百数十年もの間、なぜ大規模化できなかったのか。それは、日本が置かれている風土的、歴史的な状況を無視した机上の空論だからである。

 日本は、古くからモンスーン地帯という土地生産力の高い風土の中にあって、人口扶養力が高く、したがって、農業の経営規模が小さいという、ながい長い歴史がある。
 一方、アメリカやオーストラリアには、新大陸という風土の開拓の歴史がある。つまり、先住民を追い出し、土地を略奪して、大規模な農業経営を行ってきた、という汚れた歴史がある。
 こうした風土的、歴史的条件の違いが無視できるほど小さくなるには、超長期の年数が必要である。短期間では変えられない。
 筆者は、大規模化を全否定しているわけではない。小規模経営の非効率は明らかである。だが、風土や歴史を無視した、大規模化の政策は否定する。実現できない、そして汚い空論だからである。

 最後になるが、発言の前半の部分について、ひとこと言っておこう。TPPは、今後の世界経済を牽引する中国などの東アジアの主要国から白眼視されている。だから、TPPに参加したからといって、アジアの発展の成果を分かちあうことはできない。
 また、アメリカ主導のTPPに、今すぐ参加することは、アメリカとアジアの対立に油を注ぐことになる。そうではなくて、アメリカとアジアの架け橋になることこそ、日本の国際的、歴史的な使命である。

米の輸出量

(前回 わが県の国会議員はTPP参加に反対か

(前々回 TPP反対の請願を過半数の国会議員が紹介

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(2011.11.07)