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コラム:決断の時―歴史に学ぶ―

【童門 冬二(歴史作家)】

2016.11.15 
資格のない志望者は私塾で対応 勝 海舟一覧へ

◆藩海軍を日本海軍に

(挿絵)大和坂  和可  勝海舟にとって念願の「神戸海軍操練所」が創立できた。このいわば海軍大学は、第十四代将軍徳川家茂に直訴して許可が得られたものである。しかし、幕府首脳部の老中たちにろくな相談もせずに、頭越しに決めたことなので老中たちはへそを曲げた。勝に言った。
「上様(将軍)が許可された事業だからやむを得ないが、今の幕府にそんな金はないぞ」。嫌がらせだ。しかし勝は怯まなかった。彼には、資金調達の目途があったからである。たとえば越前藩主松平春嶽(慶永)をはじめ、若い頃からいろいろと世話になった豪商が何人もいた。春嶽には門人の坂本龍馬を使いに出した。
「必ず借りて来いよ」勝はそう告げた。龍馬は、
「任せてください」と明るい表情で越前へ旅立って行った。しばらく経って、龍馬から速達が来た。
「春嶽様からは五千両の寄付を受けました」という朗報である。勝はニヤリと笑った。商人たちも、
「勝さんの構想に賛成します。お役に立ててください」と、数人の豪商が巨額の寄付をしてくれた。彼らはすべて開国論者である。つまり勝の説に従って、
「日本も早く外国と交易を行うようになれば、われわれの造った日本の酒も外国で飲んでもらえる」と、販路の広がりに希望を持っていた。勝は、
(商人でさえこういう開けた考えを持っているのに、今の幕府の首脳部は頭が固くて困る)と思った。
 勝が若い頃アメリカからペリーがやって来た。この時の老中筆頭阿部正弘は、今までにない国難だと思ってペリーが持って来た大統領の国書を和訳し、全国にばら撒いた。そして、
「意見を出してほしい」と、大名だけでなく、その家臣、あるいは幕臣、さらに一般市民にまで意見を求めた。今でいえば、情報の公開と国政への国民の参加を求めたのである。この時阿部の下に寄せられた意見は、大名の多くは、
「時間稼ぎをして、ぶらかし(たぶらかし)政策を執るべきだ」というような、因循姑息なものが多かった。しかしその中で若かった勝の意見は、
「海軍の強化整備と、そのために幕府の人心を一新するような人事政策が必要だ」
 というものだった。阿部は感心した。そこで勝を新しく設けた「海防掛」というポストに登用した。この時から勝は、
「今の日本の海軍は、各大名家に分散していて統一が取れていない。これをまとめなければ、日本の国は守れない」
 と考えていた。したがって将軍家茂に直訴して創立した「神戸海軍操練所」は、
「新しく統一された日本海軍の士官養成大学」と言っていいようなものだった。この構想に共鳴する大名も沢山いた。薩摩藩や長州藩、伊予宇和島藩、東北の仙台藩、日本海側の越前藩、あるいは佐賀鍋島藩などから次々と志望者が入学を希望した。藩士の背後には当然藩主がいた。こういう状況を見ているうちに勝は、自分の構想をさらに広げた。それは、
(いずれは、藩を廃止して、日本国家として統一する必要がある)
ということである。これが明治になってからの「廃藩置県」に発展するのだが、この時は、
「とりあえず、日本を守る海軍だけでも一つにまとめたい」
 ということであった。神戸海軍操練所に託した勝の目標は、
「一つにまとめられた日本海軍を運営する上で、必要な知識と気構えと良識とに満ちたニュータイプの海軍士官を養成する」
 ということである。したがって、入学志望者には、厳しい試験を課し、厳選した。それだけに、選ばれた若者たちは、
「先進諸国の海軍士官にも劣らないような教育を受け、気概を持って堂々と諸外国に対応できる能力を養う」
 という群れである。当時の日本にとって、"選ばれた者(エリート)の群れ"と言っていい。

◆龍馬たち浪人学生をどうするか

 しかし、ここに一つの問題が起こった。それは江戸時代から、勝の私塾で学んできた坂本龍馬たちの処遇だ。彼らは、勝という人物に心酔して入門した連中だから、特に難しい試験を受けて入ったわけではない。今でいえば、学歴の無いまた仕える主人(大名)を持たない、浪人者である。が、神戸海軍操練所に対しては、幕臣・藩士以上の熱情を持って入学を希望していた。その熱い気持ちは目にキラキラと輝き、勝をみつめる視線の底には、
(どうか、われわれも入学させてください)という気持ちが溢れんばかりにたぎっている。勝は頭を抱えた。
(そこまで考えていなかった)と、思わず反省した。しかしそのまま放っておくわけにはいかない。
(どうするか)勝は思案した。そしてはっと思い当たった。それは、
(もともとこの連中は、江戸でもおれの私塾で学んでいた門人だ。それなら、ここでも私塾を作って学ばせればよいのだ)
 ということである。しかしここには大きな決断が必要だった。それは勝は、
「たとえ私塾でも、正規の操練所の教育と差はつけない」
 と思い立っていたからだ。つまり、
・操練所の本校と自分の私塾における学生たちの教育は同じものとする
・そのことは、私塾では別に私塾としての教育は行わない。私塾の学生たちは、すべて本校に招いて本校の学生と同じ教育を受けさせる
・学科は勿論のこと、航海に使う船の操作、あるいは諸科学機具の扱いなどは、全て同等とする
・学費については、貧乏な私塾生の方は特典を設けて優遇するなどである。当然これは、本校の学生たちからクレームがつくに違いない。
・われわれは厳しい試験を突破して入学した。しかも、高い授業料をそれぞれ属する組織(幕府や藩)から提供してもらっている
・にも拘らず、私塾生についてはかなり優遇策が与えられていて、われわれの方が負担が大きい
・このことが属する組織に知られれば、当然問題になる
などということだ。これは勝の想定内のクレームだ。だから勝は、
「たとえどんなクレームがつけられようとも、俺が突破する。それは、この学校は俺のためではなく、日本国全体のためだからだ。すなわち、幕府と各大名家(藩)のためにも役立つからだ」
 という信念を持っていた。だからあらわにこのクレームを口にする正規の学生たちに対しては、勝は一貫してこの論理をもって説得した。
「君たちは、幕府や藩に属してはいるが、しかし実際には日本国家に属しているのだ。日本国の海軍士官になるのだという意識を持てば、わたしの私塾にいる学生が一緒に学んだからといっても差支えはなかろう。理解してくれたまえ」
 と熱い口調で説得し続けた。勝の言う、
「幕府や藩のためではなく、日本国のためなのだ。君たちは日本国民に国防を託された戦士なのだ」
 という論理には、次第に納得した。しばらく経つと、坂本龍馬をはじめ得体の知れない浪人学生たちとも、正規学生は解け合い、和み、そして嬉々として共に学ぶようになった。
(挿絵)大和坂 和可

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