農業協同組合新聞 JACOM
   
解説記事

特別寄稿 今年の「農業白書」を読む
現状判断と政策提案との整合性はあるのか
梶井 功
東京農工大学名誉教授


 今月下旬に大枠が決まった米政策改革の具体策は、水田農業構造改革対策とされ、その基本的な考え方として、構造改革の加速化の観点で施策を構築することを打ち出した。この構造改革のめざすものは、平成22年に担い手が6割を占めるという姿だが、14年度の「食料・農業・農村白書」では、構造改革の実現に懸念を示し、その要因について農産物価格の下落などを挙げて分析している。しかし、白書の分析と今後とるべき政策提案に整合性があるのかと、梶井功東京農工大学名誉教授は問う。昨年から生産資材部門でのコスト低減について農協系統の事業も分析対象になっているが、そこにも問題が多いという。今回は白書の問題点について寄稿してもらった。

◆構造改革に懸念を示すが…

梶井 功氏
 朝日新聞がその論説で“農水省官僚の弱音”を叱りつけ、かつての“農商務省の新進官僚”“柳田ほどの経世済民の志を持ってもらわねば困る”と訓示を垂れた(5月27日付)。論説が問題にしたのは、今年の農業白書が“現状のままでは、望ましい農業構造の実現はきわめて厳しい”と書いていることについてだった。“いまなすべきことは…稲作などで意欲と能力のある経営体に農地を集め、生産の効率を高めることだ”。それなのに、“実現はきわめて厳しい”などと“弱音”を吐くのはなっていないというのであろう。
 私は、白書の分析、そして“きわめて厳しい”という判断は的確だと思う。問題は、その分析、判断と政策提案に整合性がないことだと思う。論説はそのズレをこそ問題にすべきだったのではないか。
 論説が引用した文章のすぐ前の文章は“…今日の農業構造を概観すると、耕作放棄地の増加、稲作を中心とする水田農業における担い手への農業生産資源の集中の遅れ、さらには農家の下位層への分化傾向や農業労働力の老齢化が進行しており、このような動きは農業の構造改革の後退的な動きをもたらすものとして懸念される”だった(101ページ)。“懸念される”“きわめて厳しい状況”というこの判断を、白書は2000年センサス分析等を駆使してつくった説得力ある図表から導き出している。いつものことながら、その労は多としたい。
 問題は何がこういう“後退的な動きをもたらす”ことにしたのかだが、白書はその主因を94年以来続いている農産物価格低落に見ているとしていいのではないか。“著しい価格下落が農業経営に与える影響は、大規模経営や規模拡大等に向けて多額の投資を行っている経営体ほど大きくなると考えられる”(115ページ)とか、94年当時は“規模拡大が困難である理由”として“農地の出し手がいない”ことをあげる者が圧倒的に多かったのに、02年になるとそれを理由とする者は急減し、かわって“米価の低迷”“転作面積の増加”“農業の先行不透明”を理由とする者が激増していることを示す新潟県農林水産部のアンケートを示しつつ、“農産物価格の低迷や生産調整の強化等から規模拡大意欲が減退していることがうかがえる”(116ページ)と書いていることに、その認識が示されていると私は読んだ。

◆現実は価格低迷が改革を妨げている

 農業白書がこういう認識を示すようになったことを、私は歓迎する。これが農業・農村の現実の素直な認識だからである。
 これまで、高農産物価格政策が零細農を温存し、構造改革を妨げているという考えが農政当局者には強かった。“いずれにせよ理論的には米価が下がれば、コストの高い経営…から脱落して行く筈であり…これらの稲作断念農家が農地を中核農家に貸付けることになれば、中核農家の規模拡大となる”(日本経済調査会、80.6「食管制度の抜本的改革」)とか、“農家数は生産者米価の関数であるから、生産者米価の抑制は高コスト農家の離農を促進する”(NIRA、81.8「農業自立戦略の研究」)とかが早くにそういう考えを表明した文書になるが、最近では農業経営政策検討会01.8報告が農業構造改革が進まない理由として“農地の資産的保有傾向が続く中で、零細経営を含むすべての生産者に効果が一律に及ぶ価格政策が引き続き実施され”ていることをあげたのも、その亜流としていいだろう。
 今年の白書も稲作部門で特に構造改革が遅れていることについての説明に、検討会報告のそれとほとんど同じことを書いている(101ページ)。農産物価格の低迷が問題だといっているのとはまったく平仄(そくひょう)があわない。どうかと思う。
 日経調やNIRAの文書が発表されたときから、私はそれは間違っていると機会あるごとに何度か批判してきた。私の近著「WTO時代の食料・農業問題」(家の光協会刊)にもこの問題に関連した論稿を収録しているので御一読いただければ幸いだが、ここには、かつて本紙に書いた一文を引用しておきたい。「新たな経営所得安定対策への危惧」と題した01.3.26の「農協時論」のなかの文章である。
 “低コスト生産が可能なエリート経営農家こそが低価格に耐え、ハイコストの零細経営を駆逐する、というのが市場メカニズム信奉論者の構造変動論だった。農民保護的高米価―そんな米価はこれまでもなかったと私は認識しているが―が構造改革を妨げているのだから、低米価政策に移行すべきだというのがこれら論者の主張だった。エリート経営と零細農家では、問題になるコストの性格がちがうことを認識できないことが、そういう誤った主張をさせることにしているのであるが、この点、とりあえずは拙著「新基本法と日本農業」の3を見られたい。
 この価格低落のなかでエリート経営ほど声高にダメージのひどさをいっている現実が、低価格が構造変動をすすめるという議論の誤りを白日のもとにさらしたと私は見ているが、エリート経営だけに救済策を論じようという発想は、まだ謬論に毒されているところから生まれているというべきだろう。
 この状態のなかで構造改革をすすめようというのであれば、規模拡大指向経営が、充分な労賃相当分を確保した上で更に零細農家を満足させ得る水準の地代負担力をもてるようにしなければならない。それを可能にする基準価格を設定し、市場価格との差額を補てんすることが必要なのである。そういう政策をとってこそ、WTOの農業交渉提案で“青”の政策の継続を主張していることも意義を増すというものである”。

◆価格下落への対策示さず 系統組織に過大な責任

 “望ましい農業構造の実現はきわめて厳しい”とせざるを得ない要因が“著しい価格低落”“農産物価格の低迷”にあると把握するからには、そしてなお構造改革に取り組むのだとするなら、その要因除去のために何をやるべきかをこそ白書は提案しなければならない。が、この点について白書がいっているのは、“これまで講じてきた施策の検証等を踏まえ、今後意欲のある経営体が躍進するための環境条件の見直しをはじめとする制度・政策改革を的確かつ機動的に行っていくことが喫緊の課題となっている”でしかない(103ページ)。環境条件の何を見直すべきか、制度・政策の何を改革すべきかを明らかにすることこそが白書の課題であるのに、である。大新聞の論説ともなれば、“弱気”を叱り、訓示を垂れてよしとするのではなく、提言に分析との整合性があるのかを吟味し、政策提案がそれでいいのかを論ずるべきだと私などは思うのだが、残念ながらそういった点について吟味しているようには読めなかった。
 分析と政策提案の整合性ということでいえば、これも農産物価格低落に関連する問題だが、農業の交易条件悪化の分析とその改善の論じかたにも問題がある。農業の交易条件指数の変化を示した図II ―2から、“近年、農産物価格の低下傾向が続いている一方、生産資材価格は下方硬直的な動きを示していることから…交易条件は悪化の度合いを強めている(80ページ)”と図の意味するところを適確に指摘している。とすれば、交易条件改善のためには、当然ながら農産物価格低下傾向を如何にしてくいとめ、生産資材価格の下方硬直性をどうやって変えていくか、という問題提起がなければならないところだろう。
 しかし、白書は、“肥料の9割、農業薬剤の約7割が総合農協を通して農家に提供されて”いることを示す図II ―3に拠りながら、“農業の交易条件の改善を図るためには、農協系統は協同組織としての原点に立ち返り、自らの改革への取組みとして、流通の合理化による経費縮減や事務的経費の削減等を通じたコスト引下げ、農業資材や資材原料の調達に当たって適正な価格形成を図るためのメーカー等との交渉、より安価な資材を調達するための新たな調達先の開拓等、さらなる努力を図る必要がある”(82ページ)といっているだけであり、農産物価格低落をどうするかについては、一言もふれていない。価格低落傾向が続くことはそれでいいのだとでも評価しているのだろうか。昨年の白書も、同じように交易条件改善を論じはしても農産物価格低落をどうするかについてはふれるところがなかった。が、それでも、“製造メーカーにおいては、OEM推進等による施設の操業率の向上…仕様の簡素化等により製造コストの低減に努める必要がある”ことをいっていた(163ページ)。今年の白書が、もっぱら農協系統に交易条件改善の責任を押しつけているのはどういうことだろう。農協経済事業改革の重要性、緊要性については、私も否定はしない。おおいに努力してもらう必要はあるが、しかし、こうまで責任を押しつけていいものか、多大な疑問をもつ。

◆農家への「意向調査」で的確な指標になるのか?

 ところが、今引き合いに出した昨年の白書だが、そこでは今年の白書の図2―3に相当する図が「図2―31農業生産資材の購入先」として掲げられ、この図に基づいて、“肥料の9割、農薬の8割、農業機械の5割が農協となって”いると記されていた(162ページ)。そしてこの図2―31は“水稲を主とする土地利用型農家1016戸を対象”にした「農業生産資材に関する意識・意向調査」(12年4月)が資料だと注記されていた。今年の図2―3に注記されているのは“農林水産省調べ”とあるのみである。どういう“調べ”なのかわからないのは、白書としては問題ではないか。しかも、この両表は同一年度についての調査であろうと思われる―今年の図表には(11年)と書かれているし、昨年のそれには調査資料の発表と思われる年月が12年4月と記されている―のに、肥料は同じ数字だが農薬が“約7割”と“8割”というようにちがっている。これはどうしたことか、いま頃のはやり言葉でいえば政府には説明責任がある。
 農家が購入する農業生産資材のなかでの農協のシェアは、いろいろな意味で重要な指標であることは、あらためていうまでもないだろう。その重要な指標を「意識・意向調査」でつくるということ自体いささか問題だったが、どういう調査によるのか、トレースのしようがないのはもっと問題だといわなければならない。問題だと指摘したついでに、こういうシェアの数字もつくれるということを、大方の吟味を期待して示しておこう。
 農水省官房企画評価課の「農業・食料関連産業の経済計算」によると、平成11年度の農業生産中間投入は、肥料6373億円、農薬4520億円だということになっている。総合農協のこの年度の肥料、農薬の販売総額は、総合農協統計表によれば3477億円と2822億円となっている。これから農家購入額のなかでの農協購買事業のシェアを計算すると肥料54.6%、農薬62.4%になる。白書の図2―3の数字との落差はあまりにも大きい。本当のところはどうなのか、こういう数字の吟味こそ白書にやってほしいものである。 (2003.7.30)

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