農業協同組合新聞 JACOM
   
特集 生産者と消費者の架け橋を築くために

シリーズ どっこい生きてる日本の農人(4)−1

消費者との交流事業で支える
とんぼやメダカが群れなす有機の里

新潟県・JAささかみ


毎年パルシステム生協連の組合員が笹神を訪れ稲刈りを体験。交流活動は今年で27年になる。
毎年パルシステム生協連の組合員が笹神を訪れ稲刈りを体験。
交流活動は今年で27年になる。

食の架け橋大賞受賞

 新潟県のJAささかみと首都圏コープ(現・パルシステム生協連)、笹神村(現・阿賀野市)で結成した「食料農業推進協議会」は第34回(平成16年度)日本農業賞の特別部門、「食の架け橋大賞」を受賞した。JAささかみとパルシステム生協連が取り組んできた環境保全型農業による米の産直や転作大豆を使った豆腐製造などが高く評価された。JAと生協のこの産直事業は今年で27年になる。今回は同JAで産直、交流事業の始まりからこの運動をリードしてきた石塚美津夫・販売交流課長を訪ねた。

◆生産の裏側の物語を伝える

研修者に説明をする石塚美津夫販売交流課長(JAささかみ・たい肥センター)
研修者に説明をする石塚美津夫販売交流課長(JAささかみ・たい肥センター)

 9月下旬、パルシステム生協連とその会員生協の職員採用内定者研修会がJAささかみで行われた。この研修会は一昨年から始まったが、生協の採用内定者が農協で研修を受けるというのは全国でも例がない。
 研修の目的は「どんな土地で食べ物が作られているのか、生産者の苦労も知り組合員に伝える。それが職員の仕事だと理解してもらうこと」とパルシステム生協連人事部の島村正隆さんは話す。会員生協は基本的に店舗を持たない個配事業を展開、来年、新職員となる内定者の多くはまず組合員宅への配送業務につくという。「それを単に農産物を届けるのではなく、『伝える』仕事だと捉えているのが私たちの考え方です」(同)。
 では、何を伝えるべきなのか。この日、それを感じ取る場に案内するのがJAささかみの石塚美津夫販売交流課長だ。
 新潟駅からバスに乗り込んだ石塚さんはさっそくマイクを握り40名ほどの参加者に向けて熱弁をふるいはじめた。
 「有機農業だ、産直だと言ってきた私は異端児だと言われてきましたが、自分じゃ変わった人間じゃないと思ってます。周りが変わっているんですね」
 「交流事業はもう27年になるけれど去年と同じ仕事をしている気はない。バックギアは嫌いですから」
 「うちの職員には、課長どうしましょうか、というやつはいない。自分でどうするかを考えるべきだ。みなさんもそういう職員になってください」。
 現阿賀野市内の旧笹神村地区は人口9600人、集落は61、村には信号が6つしかないこと、バスの正面に見えるのは五頭山、そこから流れる伏流水が地域7か所でおいしいわき水として出ていること。自分も2町2反の田んぼで有機農業をやっていて、最近は蛍が戻りそれを眺めながらたまの休みに妻と晩酌するのが楽しみ、ついでに紹介すると次男は自分に似て変わり者でプロボクサーになった、応援よろしく、などなど公私とりまぜ現地に着くまでの間、しゃべりっぱなしである。
 「ササガミではなくササカミ。合併でなくなってしまったけど私は笹神村という言葉が好きなんです」。

◆人の交流から始まった産直運動

直売所「ゆうきふれあい即売所」を見学するパルシステムの職員採用内定者たち

直売所「ゆうきふれあい即売所」を
見学するパルシステムの
職員採用内定者たち

 石塚さんが旧笹岡農協に入ったのは昭和46年。減反が始まった年だが、ここは昔から農民運動が盛んで反骨精神が村人に根づいていた土地柄。今まで増産、増産といってきたのに絶対に従えないと当時の組合長が法令違反に問われるなど受難の時代の始まりに新入職員に。「大変なところに来た」と思った。だが、その反骨精神を他ならぬ石塚さんが受け継いでいくことになる。
 昭和53年、強制減反が始まった年、笹神村は転作達成率18.7%と全国最低となる。新聞報道もされ、それを知った当時の首都圏コープの幹部が村を訪れて米の産直をしたいと持ちかけた。しかし、食管制度下では農協が米を独自に販売することはできなかった。
 普通ならここで終わるかもしれないが、後に組合長となる当時の五十嵐寛蔵専務は、農家へのホームステイやサマーキャンプなど都市住民との交流活動を始めることを提唱した。
 「今から30年ほど前に五十嵐さんはすでに将来は交流事業で消費者と直結することが必要になる、と見通していた。それも人の交流から始めればいずれモノの交流につながっていくと考えていた」。
 農家出身の五十嵐氏は先見性、反骨精神という言葉がよく登場するこの村でも代表的なリーダーだった。残念ながらすでに故人となっているが「産直事業の枕木とレールを敷いた人。私の農業、哲学の師匠です」。
 その五十嵐氏から石塚さんはさまざまな交流活動や地域農業振興事業をまかされ、以来、一度も他の部署への異動はない。

「組合員と役職員が一体となれば大変な力が出る」と語るJAささかみ清水清也組合長
「組合員と役職員が一体となれば大変な力が出る」と語るJAささかみ清水清也組合長

 モノの交流、産直が始まったのは昭和57年。米は無理でも加工品の餅であればいいだろうとの生協側の提案を受けて工場を建設し正月用餅の産直が始まった。
 このとき、さらに「減反で刈り取られる青刈りの稲がもったいない」との声が出た。そこで始まったのが手づくりのしめ飾りづくり。
 石塚さんは村の高齢者たちに声をかけ、農民研修所に集まってもらってしめ飾りをつくる講習会を開いた。
 しめ飾りづくりが佳境に入ったころ農協に苦情の電話が入った。「内職担当の石塚いるか?」。聞いてみると、その家のおじいちゃんはしめ飾りづくりに夢中になり午前2時ごろに起き出して作業をはじめているのだという。
 「しかし、ふたを開けてみると売上高は3000万円。昔の技術が価値をもったわけです」。
 交流活動が村の高齢技能者に活躍の場を与えたともいえるだろう。

◆環境という価値を共有

研修会は集荷の最盛期に行われた。コメの荷受け作業を体験する研修者たち

研修会は集荷の最盛期に行われた。
コメの荷受け作業を
体験する研修者たち

 米の産直が始まったのは昭和62年に特栽米制度ができてから。このときに生協側からこだわりの米づくりをしてみないかと提案された。
 「けれども消費者の求めるのはできるだけ農薬を使わず安全で安くておいしい米、生産者が求めるのはたくさん穫れて高くてつくりやすい、です。農薬を使って安定した収穫を得る考えが先行していた時代、なかなか理解が得られませんでした」。
 石塚さんはある集落の10人の生産者を説得することに決め、冬に6回も座談会を開いた。当時、減農薬栽培のマニュアルもなく、普及センターからはそんな冒険はやめたほうがいいと言われたが、生協側からの提案は「お互いに価値観が共有できるように歩みよろう」だった。
 10人で3.6ヘクタールからスタート。同じ生産者で3年間で3倍まで面積を増やした。
 「継続することで減農薬栽培の苦労を分かってもらえるし、年によって病害虫の発生状況が違うということも知ってもらえた。手探りで始めた栽培だったが消費者から価値観の共有という提案があったから、階段を一段昇ることができたと思う」。
 今では生協向けに減農薬栽培米に取り組んでいる生産者は約400人になっている。

◆産直が有機の里を育む

豆腐工場で生協の提案ではじまったことや製造過程について説明を受ける
豆腐工場で生協の提案で
はじまったことや製造過程について
説明を受ける

 平成2年、笹神村は「ゆうきの里ささかみ」宣言をする。農協と生協の産直活動から行政とも連携した環境重視の農村づくりへとさらに階段を上がる宣言でもある。環境を支えるために村を訪れる人が増えたため、地元の温泉旅館が生協の石鹸、シャンプーに切りかえて水を守るという運動に発展したのはその象徴だろう。
 環境づくりの核になっているのが宣言の翌年に竣工したたい肥センターである。今では畜産環境対策として当たり前のように各地に作られているが、ここは環境保全型農業への転換をめざすという明確な目的があった。たい肥の原料は畜産排せつ物のほか、籾殻、豆腐工場からのおから。籾殻は捨てない、焼かないを合い言葉に地域内に15の集積場をつくって集めている。
 ただ、すんなりとたい肥散布事業が軌道に乗ったわけではない。建設から5年は赤字。ところが平成5年の大冷害を機に一気に散布面積が倍増した。理由はそれまでたい肥散布を続けた生産者は収穫が落ちなかったこと。口コミで土づくりの大切さが広がり、今では1500ヘクタールのうち約700ヘクタールにまでたい肥散布面積が広がった。
 籾殻集め、たい肥づくりと散布は地域の大規模農家が受託しているのも特徴だ。
 今年度から常勤役員となった渡邉均専務は7ヘクタールで米づくりをしている。
 「私もついこの間まで籾殻集めとたい肥散布をやっていました。農家の雇用の場をつくるというのも農協の大切な仕事だと考えています。農協がそこまで面倒見てくれるのかとなるから農協に米を出荷し利用しようということになる」と話す。また、清水清也組合長、専務のほか役員6人は有機JAS認証を受けている農家。環境保全型農業のプロが農協の運営に携わっている。
 「われわれの取り組みが異端児だと言われてきたがそれが当たり前のことにならなければ」と清水組合長は強調する。

◆運動こそ物語を生む力

ささかみの環境保全型農業の核になっているたい肥センター。後にたい肥が積まれている
ささかみの環境保全型農業の
核になっているたい肥センター。
後にたい肥が積まれている

 平成14年には転作大豆を使った豆腐製造を生協の提案で始めた。(座談会参照)農協が55%出資し、残りをパルシステムと新潟総合生協と神奈川県の豆腐製造メーカーが出資した会社が運営している。産直運動の大きなひとつの成果として共同で食を生み出すというレベルにまで達したといえる。これも交流活動から生産者と消費者の粘り強い話し合いと信頼関係があってのことだ。
 「商品の背景の物語が大切」というのがJA、生協に共通した考え。どうやってこの米や豆腐が作られるようになったか、それを伝え広げることが食と農を守っていくことになる。石塚さんはパルシステム生協連の内定者たちに盛んに「これは運動です」と強調していた。運動こそ物語を生み出すということだろう。

ささかみの生き物調査をする研修者たち
ささかみの生き物調査をする研修者たち

JAささかみに学ぶこと
―「販売交流課」の意義を考える―

今村奈良臣 東大名誉教授

今村奈良臣 東大名誉教授

 食、遊、会、快、教、知。JAささかみの活動、そしてこれまで27年間にわたる首都圏コープ(現パルシステム生協連)との多彩な交流事業を私なりに総括すれば、この6文字に集約できると思う。この6文字の示している活動の内容を私なりに整理すれば次のようになる。

 (1)食でむすぶ。本紙レポートや座談会でくわしく紹介されているように、有機栽培や減々栽培によって生産された米だけでなく、餅やしめ飾り、野菜や山菜、きのこや豆腐にいたるまで、多彩な本物の食べもので、パルシステムを通じて、生協組合員である消費者と結ばれている。その食べものをつくるための基盤となっている堆肥センターには籾がらが全量集められ、畜産のふん尿や豆腐製造かすのおからと混合されて作られ見事な環境保全型農業生産システムが作られているのである。

 (2)交遊でむすぶ。しかし、単に「こういう安全、安心システムで食料を作っています」と説明しただけでは、真に理解してもらえないと考え、生協組合員やその家族に笹神に来てもらい、実体験をしてもらうことが重要だと考えた。全国でも先例のない販売交流課を農協に設け、水路で泳ぐメダカを観察し、五頭山から湧き出る美味しい湧水を飲んでもらう、堆肥センターや豆腐製造の工場を見てもらうなど、多彩な交流をしている。

 (3)心のぬくもりでむすぶ。しかし、大事なのは、そういう現場見学だけではない。もっとも重要なことは、都市と農村、消費者と生産者というそれぞれ違う立場の人々がそれまでの歩んできた人生の物語、あるいは歴史、さらには地域ごとに培ってきた文化、それらを語り合うことを通じて、それぞれの持つ悩みや希望をお互いに理解し合う中から、新たな絆が生まれてくるのではなかろうか。

 (4)出会いの場でむすぶ。笹神の五頭山麓には「ぽっぽ五頭(ごず)」というペンションがある。JAささかみと生協連が出資した、緑の中の隠れ家ともいえるすばらしいペンションである。郷土料理を出すレストラン、ゆったりレコードを聞きながら話し合えるコーヒーショップ、そして宿泊や会議もできるようになっている。周りにはキャンプ場や薬用植物園もある心なごむ出会いの場である。

 (5)食と農の教育力でむすぶ。いうまでもなく交流を通して、特にこどもたちへ、農村のもつ教育力の重要さは説くまでもないであろう。着実に実を結んでいることがわかった。

 (6)都市や企業のもつノウハウ(知)でむすぶ。JAささかみのもつすぐれた点は、交流先の生協連からさまざまなノウハウ、例えば商品開発委員会の発想を作りあげるとか、豆腐製造工場「株式会社ささかみ」の出資金はJAささかみ55%、パルシステム15%、新潟県総合生協15%、共生食品(株)という豆腐製造メーカー15%というように、資金やノウハウを積極的に受け入れ、新たな活力と雇用の場を地域に作っている。斬新な構想である。
 全国のJAもささかみの活動から1つでも2つでも学び取って新たな飛躍の糧としていただきたいと切望する。

(2005.10.18)



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