コラム

「正義派の農政論」

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【森島 賢】
民主党が描く農業構造

 来年度からの新しい民主党農政の目玉である補償制度が、いよいよ国会で議論されるようになった。衆議院の本会議で首相は「規模や年齢にかかわらず」補償の対象にすると言明した。
 これに対して野党になった自民党は、規模拡大を阻害し、非効率な小規模農家を温存するものだと批判している。
 民主党が目指している農業構造と、自民党がめざしている農業構造との間にある大きな対立が明白になった。

 この対立は両党の農政観に根ざすもので、容易に妥協できないものだし、安易に妥協すべきでもない。政策の目的が分からなくなってしまい、ばらまきなどという不毛な議論に陥り、中途半端に終わってしまうからである。
 なぜ、規模拡大なのか。この議論は、両党がともに農政の最重要課題として掲げる自給率向上のためには、どのような農業構造でのぞむべきか、という観点で行うべきだろう。
 肯定する論者は次のように議論を展開する。規模拡大すれば生産性が上がり、輸入食糧より競争力が強くなり、その結果、自給率が向上するという。この議論を批判しよう。

 ここで議論すべきは、食糧一般の自給率向上ではない。農政論として議論すべきはカロリー源となる食糧、つまり、主に穀物自給率の向上であって、誤解を怖れずにいえば、野菜や果物の自給率向上ではない。もちろん野菜や果物の自給率向上はどうでもよい、というわけではない。
 なぜ自給率向上なのか。世界の食糧不足人口は最近増え続けている。また数年前には、世界の各地で食糧不足に対する激しい抗議運動が起きた。こうした状況をみて、多くの国民は食糧を外国に依存することの危うさに不安を抱いた。
 だから、政治論としての自給率向上論は、政府が食糧を国民にどのようにして安定的に供給して、国民を空腹にさせないか、というところに焦点がある。食糧不足とはFAOの定義をまつまでもなく、食糧の摂取エネルギーの不足なのである。これに失敗すれば、政治問題になり国民から激しい非難が起こる。このことは、これまで世界の各地で起きてきたし、今後さらに頻発することが危惧されているのである。果物や野菜が不足したから暴動が起きたという話は聞いたことがない。
 野菜や果物などを含めて金額で計算すれば、日本の食料自給率は低くないのに、カロリーで計算して自給率が低いというのは、補助金を増やすための主張だという論者がいるが、これは政治論ではない。

 このように考えると、問題は米である。米作の経営規模を拡大すれば生産性が上がり、競争力が強くなるか、という論点と、その結果、輸入米との競争に勝って自給率を向上できるか、とが論点になる。
 規模拡大による生産性の向上は、機械など固定費のコスト削減がその論拠である。それには個別大規模農家の機械の効率的な利用によるコスト削減と、小規模農家が集まって機械を共同利用することによるコスト削減とがある。
 ここが両党の対立点である。自民党は小規模農家や小規模農家による集落営農を否定する農政哲学を持っている。実際には、農村の現場の声に押されて肯定せざるを得ないことになるが、哲学としては否定する。小規模農家の大部分は高齢農家と兼業農家である。それに対して、民主党は小規模農家を肯定する。これは両党の農政哲学の対立であるし、両党が描く農業構造の対立である。この対立は今後議論が深まるにつれて、ますます鮮明になるだろう。国民の共感が得られるのはどちらか。
 さらに議論すべき重大問題は、どちらが競争力が強いかという問題と、その結果、輸入米と競争して勝てるか、の問題である。稿を改めて考えよう。


(前回 「米価闘争」の復活で農協が試される

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(2009.11.04)