コラム

「正義派の農政論」

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【森島 賢】
TPP推進派の元官僚の妄言が日本を滅ぼす

 元農水官僚の山下一仁氏が、実態を無視した根拠に基づいて、TPP加盟を主張し、日本を滅ぼそうとしている。だが、それ程の力量はない。
 しかし、同氏の主張をテレビや大新聞が取り上げて、公共の電波を汚し、民主主義の公器であるべき自らを傷つけている。それゆえ、見逃すわけにはいかない。
 同氏の言説が、歴史的事実に反していることを、全般的かつ根源的に指摘することは、すでに太田原高昭教授が行っている(本文下に注)。だが、同氏は反論することもなく、同じ主張をくり返している。だから妄言と言わざるをえない。
 ここでは、同教授の指摘をくり返すのではなく、同氏の主張の基本的な根拠である米価についての認識が、実態に即していないことを指摘したい。
 同氏は、かつて農水省のガット室長だった。こうした認識で日本外交の第一線に立っていたことを思うと、背筋が寒くなる。現職の官僚たちは、決して同氏を見習ってほしくない。政治家は、それを監督しなければならない。
 いま、財界首脳部はTPP加盟の圧力を強めている。そうして、日本を存亡の淵に立たせている。

 同氏の言説のすじ書きをみてみよう。それは、TPPに加盟して、輸入米の関税をゼロにしても、日本のコメは、輸入米と競争して充分に勝てる。だからTPPに加盟せよ、というものである。
 その理由は、輸入米の価格は、国産米の価格の、せいぜい8割、つまり、内外価格差は8割だから、コストを2割下げれば勝てるという。専門家と思われているだけに、影響は大きい。
 しかし、同氏の言説の、おお元にある、この認識は誤りである。だから、同氏の言説は、砂上の楼閣であり、幻想である。

 同氏がいう、内外価格差が8割という数字は、SBSの資料から採ったものである。
 最近のSBSの資料をみると、中国産米は、精米1トン当たり22万1342円である。60kg当たりでは1万3281円になる。一方、国産米は、全農の相対価格によれば、銘柄によって違うが、玄米60kg当たり1万5800円程度である。
 同氏は、この2つの数字を割り算して約8割と言っている。精米価格を玄米価格で割り算しているのである。これは2メートルを1グラムで割り算して、2倍だ、と言っているのと同じで、小学生でも分かる誤りである。

 これを微細な誤りとして、見逃すわけにはいかない。同氏には、国際的な米価についての、つまり、国際的なコメの流通の実態についての、初歩的な認識さえない、と思えるからである。
 あらためて言えば、日本では、コメは玄米の形で流通している。それは、精米してしまうと、味が急速に落ちるからである。だから、食べる直前に精米する。それほどに、日本人のコメの対する味覚は、繊細である。
 しかし、国際的には精米の形で流通している。コメの対する味覚は、日本人ほど繊細でないからである。

 もっと致命的な誤りがある。それは、内外価格差の推定に、SBSの資料を使ったことである。
 ここで、SBSを、あらためて思い出してみよう。SBSは、同氏が第一線にいたころ、ガット交渉の結果、日本が関税自主権という経済主権を、事実上アメリカに奪われて、屈辱的な輸入義務を負わされたMAの一部である。
 MAでは、国産米と競合しないという名目で、しかし実際には競合しているのだが、安価な加工用米だけを輸入することになる。それゆえ、MAの一部を、主食用米にして、自由市場での主食用米の内外価格差をみておこう、として作った制度がSBSである。
 同氏は、善意か悪意か分からぬが、この資料を誤って使い、TPP推進の根拠にしている。

 官僚の陥り易い誤りだが、制度は、根拠になる法令の趣旨にそって運用されている、と思い込んでいる。そうして実態を見ない。
 同氏も同じ誤りを冒して、SBSの資料を使い、内外価格差を8割と思って疑わない。そうして、輸入米をあなどっている。

 では、実際にはどうか。
 もしも仮にTPPに加盟して、関税がゼロになったとすれば、コメは主に中国から輸入されるようになるだろう。昨年度の実績をみると、SBSで輸入された中国産米は2936トンに過ぎない。だがTPPに加盟すれば、やがて日本のコメの過半の数百万トン程度になるだろう。いまの1000倍以上である。
 それは、加盟した翌年からという訳ではないが、数年後には大量のコメが輸入される。そうなると、流通は今とは全く変わる。
 同氏の洞察は、ここにまで及んでいない。

 中国の現地の米価をみてみよう。最近値上がりしたとはいっても、今日は、精米1kg当たりで、せいぜい4元である。玄米60kg当たりにすると約2600円になる。日本までの流通経費を加えても、3000円にならない。
 同氏は、現地のこの実態を無視している。
 一方、国産米の価格は、前に述べてように1万5800円である。だから内外価格差は16%であって8割ではない。つまり、中国米は国産米の約6分の1の価格で輸入されることになる。
 こうした状況が分かっても、同氏は、輸入米と競争せよ、というのだろうか。TPPに加盟せよ、というのだろうか。そして、このような言説をマスコミが取り上げるのだろうか。

 想定される反論に答えておこう。それは、1kg当たり4元のコメは不味いから、日本人は買わないだろう、という反論である。
 だが、日本に大量に輸出できるようになれば、中国は日本人好みのコメに作付けを転換して大量に作って輸出するだろう。そのためには、種子を変えるだけでよい。特別に高価な資材を使うわけではない。だから、コストは従来作っていたコメのコストと変わらない。
 当初は高価で売れて、先駆者利潤が得られるだろう。だが、競争の結果、それはやがてゼロになり、コストと同じ価格で売ることになるだろう。
 同氏には、このような構想力が欠落しているのだろうか。

 以上のように、同氏の言説を実態に当てはめれば、コストを8割ではなく、6分の1に下げれば、輸入米と競争して勝てる、だからTPPに加盟せよ、という現実ばなれした主張になる。同氏はコストを6分の1に下げられると思っているのだろうか。そうだとすれば、妄想としか言いようがない。
 マスコミには強力な情報収集力があるのだから、せめて現地の米価を確認すべきである。そうした上で、同氏のような妄想を取り上げて、世間をまどわすのではなく、今後の国際協力のありかたについての、まともな議論の場を作るべきである。そうすれば、民主主義の公器としての評価を高めるることができる。


注 太田原高昭『「農協の大罪」の大罪』(『TPPと日本の論点』(2011、農文協)所収)

 

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(2012.01.10)