シリーズ

食肉流通フロンティア ―全国食肉学校OBの現在

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第15回 一頭として同じものはない。だから「肉は一生勉強だ」

1年のつもりが社員を大事にする企業風土で
牛も豚も十頭十色 見極めて美味しく提供する

埼玉県草加市の精肉店の長男として生まれ、幼児の時には母親の背におぶわれて、学校に通うようになってからも、忙しく働く両親の姿を見て育ったので「肉屋を継ぐつもりだった」。
 スーパーの進出など競争が激しくなり、個人商店の経営が厳しくなってきたこともあってか、父親は「好きなことをやればいい」というようになった。高校卒業を前にして進路で悩んでいるときについ「肉屋なんてやりたくないな」と父親の前で言ってしまった。言ってしまって「言い過ぎた」ことに気がつき、父親を追いかけて風呂に入ると、寂しそうな父親の背中が見えた。たまらず「肉屋をやってみるか」と声をかけていた。

◆父親の背中を見て食肉の世界に

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大塩 隆一さん

 埼玉県草加市の精肉店の長男として生まれ、幼児の時には母親の背におぶわれて、学校に通うようになってからも、忙しく働く両親の姿を見て育ったので「肉屋を継ぐつもりだった」。
 スーパーの進出など競争が激しくなり、個人商店の経営が厳しくなってきたこともあってか、父親は「好きなことをやればいい」というようになった。高校卒業を前にして進路で悩んでいるときについ「肉屋なんてやりたくないな」と父親の前で言ってしまった。言ってしまって「言い過ぎた」ことに気がつき、父親を追いかけて風呂に入ると、寂しそうな父親の背中が見えた。たまらず「肉屋をやってみるか」と声をかけていた。
 その父親から「進学するなら全国食肉学校という学校がある。そこに入って、卒業したら、家に戻るか、どこか外で飯を食って経験を積んで戻ってきても良いのでは」と言われて、昭和59年春に大塩隆一さんは群馬県玉村町の全国食肉学校に入学した。
 同期にはOBシリーズ第11回に登場した(株)ミヤチクの永友英勝銀座みやちく店長ほかの「四十七士」がいた。比較的年下だった大塩さんも、年齢差に関係なく仲が良かった20期生を「同じ釜の飯を食べた仲間は一番の宝物」だと振り返る。

◆わが心の故郷・玉村での体験があっていまがある

 全国食肉学校では、食肉の基本的なことを学んだだけではなく、寮生活をすることで「親の有り難味が分かりました」と言う。生まれてからずっと両親と一緒に生活してきたので、掃除洗濯や布団を敷いたことがなかった。寮ではすべて自分でしなければならない。
 秋に入って校外研修は東京・中野の精肉店だったが、店の近くの3畳一間の部屋を借り、仕事が終わると大衆食堂で夕食を食べて風呂屋に行き、帰りに翌日の朝食用のパンを買う、暖房器具がない部屋で一人で暮らした経験が今も大塩さんの原点として強く印象に残っているという。
 その校外研修では、肉に「触らせてもらうレベルに至らなかった」けれど、朝から「対面販売をして、お客さんとの対話から商売の基本を教わりました」。
 「この全国食肉学校での1年があって今があります。あの体験が今も糧になっていると自信を持って言えます」。「わが心の故郷・玉村」と卒業文集に書いた言葉はいまも大塩さんの胸に有る。

◆命をもらった肉を粗末に扱うことはできない

 大塩さんのその後の生き方・考え方を決める出来事があった。近くの“と場”へ見学に訪れた時のこと、みんなが帰った後に一人畜舎に残り豚を見ていたという。その時に「この動物から命をもらっている」ということをしみじみと感じた。牛も豚も生まれたときから食肉になることが決まっている「経済動物」ではあるけれど、その豚の姿を見て「命をもらっているのだから、肉を粗末に、雑に扱ってはいけない」と心から思った。
 今、バイヤーとなり東京・芝浦の“と場”に行く機会がある。そのときも必ず生きた牛をみて、「肉に格付はあるけれど命はみな一緒だ」ということを、胸に刻み込んでくるという。

◆1年のつもりが社員を大事にする企業風土で

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 全国食肉学校を卒業した大塩さんは「独り立ちして責任者になるまでは帰ってくるな」と父親に励まされ株式会社コモディイイダに入社する。
 コモディイイダは、大正8年に東京・文京区に青果業を創業し、昭和9年に合資会社となり北区東十条駅前に総合食料品と日用品全般の販売を始めて今日に至る90年の歴史を持つ会社だ。
 現在、地域に密着した食品スーパーとして東京、埼玉を中心に千葉、茨城などに73店舗を展開している。いま景気が低迷しているなかで、大手量販店が苦戦し、元気なのは地域密着型の食品スーパーだといわれるが、コモディイイダもその一つである。滝野川の本店では夕方の買い物客が次々と来店し、店員の掛け声も大きく活気に溢れていた。
 「1年くらいのつもり」で入社した大塩さんは、「責任者になるまでは」という父親の励ましと社員を大事にする企業風土(「企業があって人があるのではなく、優秀な“人財”があってこそ企業もはじめて繁栄する。そのためには個々の社員を企業という集団の中で、単なる歯車にしない(松澤志一社長)」)や「人情味あふれる上司のおかげ」で、6年目に店舗の精肉のチーフとなる。その後、平成4年に春日部へ新店を開設するときには、それまでのベテラン配属に代えて、若手の大塩さんが精肉の責任者として登用される。
 そのころ父親からは「売り上げ一番の店に配属されるまで頑張れ」と励まされる。そしていくつかの新店開設に立ち会った後、精肉では一番売り上げがある東川口店に異動する。父親には「本部に行くまで頑張れ」と言われるという。

◆バイヤーは取引先と売り場を結ぶ懸け橋

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 その後、精肉だけではなく店舗運営全体を指導する部署に異動して、魚や野菜を含めた総合的な食品スーパーの店舗運営を考えるポジションを経て、平成18年の秋に牛・豚を担当する精肉のバイヤーとなる。
 バイヤーの仕事は、商品の仕入れとそれをどういう形で販売するかを考える「取引先と売る現場の懸け橋」だという。「お客様の8割はメニューを決めずに来店するから、料理サンプルやコーナーの幅の取り方を工夫してアピールする。寒い日には“しゃぶしゃぶ”を食べてもらったらどうだろうか。景気がよくないから、牛ではなく美味しい豚のばら肉を」と提案するのもバイヤーの重要な仕事だ。


◆価値と価格のバランスでお客は選択する

 「安くても美味しくなければお客様は他店にいってしまう。お客様がこだわるのは“価値と価格のバランス”だ」と大塩さんは言う。価値とは何かと問うと「鮮度、味、そして切り方」と答えが返ってきた。「切り方」とは、料理に合った厚さ・薄さになっているかということだ。料理に合っていなければ価値としては認められないのだ。
 コモディイイダでは精肉は各店舗でカットしている。そのほうが地域の変化に合わせたタイムリーな販売ができるからだ。各店舗に共通しては「自分にとって最も大切な家族に食べてもらうつもりで愛情を込めてカット」するように指導している。それがお客さんと心が触れ合うことになるからだ。

◆牛も豚も十頭十色 見極めて美味しく提供する

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 最後に後輩へのメッセージをという問いかけに、大塩さんが全国食肉学校の学生時代の寮監だった内田先生から言われた言葉を贈りたいという。それは「肉は一生勉強だ」という言葉だ。「その心は」というと大塩さんはこう答えてくれた。
 「十人十色と言いますが、牛も豚も十頭十色です。生き物だから同じものは一つもないんです。その一頭一頭の違いを見極めて、美味しく提供できるようにカットする。調理法に合い、素材が活きるようにカットする。同じ部位でも頭と尻では固さが違います。精肉をただ切って並べる時代は終わったと思います」とも語ってくれた。食肉の世界はそれだけ奥が深い世界だということだ。
 バイヤーとしてコモディイイダ73店舗のプレッシャーを背負いながら、奥深い世界を極めようと、大塩さんは今日も着実に歩み続けている。それが後輩への一番のメッセージではないだろうか。

【著者】大塩隆一さん(本科20期生 昭和59年度)
           (株)コモディイイダ商品部精肉バイヤー

(2008.12.22)