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私と農業

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農業も肥料も世界情勢に左右される時代に

その2(最終回)

 昭和41年に大学を卒業し、全国肥料商連合会に入社。この組織は二本建て肥料流通の一翼を担う商人系、つまり元売業・卸売業・小売業の肥料商を会員とする集まりで、商業者の一元的団結の具現で公正なる肥料流通を通じ肥料工業並びに農業経営の発展に資する目的で昭和30年に発足した団体ですが、恥ずかしながら肥料商の存在を知ったのはそれが最初です。

 「農は国の基なり」「農業の発展なくして…」。当時、良く聴かされた言葉です。
農業はわが国の基幹産業として国の発展に大きく関ってきています。戦後の国土の荒廃、人心の乱れや食糧不足のなか,農民はコメや麦、サツマイモを政府に供出して国民を飢えから救うとともに国家の危機に際して支えになったのが
農業であると信ずる一人です。
 現実は、高度成長と産業構造の高度化が農家数・農家人口を減少させ、特に昭和35年以降の農家人口の流出はテンポを早め、農業労働力は次・三男から長男・世帯主等の期間労働力も他産業に就職・通勤・出稼ぎ等で農外流出したため年齢構成はすでに老齢化。そして経営は三ちゃん、二ちゃんでやるしか手のない第一種兼業を減らし、第二種兼業が60?70%を占めるといった状況。
 そんな40年代当初、日本のGNPはアメリカに次いで先進国二位という経済成長の繁栄と平和を満喫のなか、農業にとっては初のコメの生産調整。化学肥料が最も使われる農産物は稲作であるが、そのコメの42?44年生産量は各年1400万トン強の豊作で在庫は増加の一方。緊急調整による農地転用、作付転換も効果は挙がらず、遂に45年からコメ生産調整奨励補助金制度を導入したが、生産調整は銘柄品種への転換、機械の複合活用、施肥量の減で地力回復維持の困難という変化のなかで地価高騰などのバブルが目につき、輸入食糧の増加で食生活は大変革時代に入った。47年の列島改造論もその多くは公共投資を必要とする産業基盤作り優先であり重工業の技術革新への注入。そして48年、第一次オイルショックの発生でトイレットペーパー入手に奔走する主婦の二ユース画像は今も目に浮かびますが、国内肥料価格も初の期中改定で31%、半年後には29%の連続値上げで需要者に大きな負担がかかることになり、続いて第2次オイルショックが昭和54年に発生し期中改定で15%の値上げとなった事実は、その後の肥料業界のあり方に一石を投じた流れとなった。
 農業も肥料も全ての点で世界情勢の動きに左右される時代になっていく。

その1はコチラから)

【著者】興梠欣一
           全国肥料商連合会 

(2009.07.28)