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コラム:グローバルとローカル:世界は今

【三石誠司 宮城大学教授】

2017.03.31 
(025)三角形の相似・農村とグローバル企業一覧へ

 中学の数学で「三角形の相似条件」を学んだ。3組の辺の比が全て等しいとき、2組の辺の比とその間の角が、それぞれ等しいとき、2組の角が、それぞれ等しいとき、というものだ。

 さて、去る3月28日、千葉大学で開催された日本農業経済学会大会に参加し、「次世代型農業のゆくえ」と題するシンポジウムを拝聴した。
 個人的には、何を次世代型農業とするか、報告で提示された次世代型農業の持続性はどの位あるのか、そして、これらの次世代型農業が完全に普及した場合、日本で必要になる(最終的な?)農家数はどの位になるのか、それは本当に望ましいのか等々、様々な論点があると思うし、答えはこの限られたコラムで書けるようなレベルの問題ではないため、ひとまず脇に置く。
 ここでは、一人の参加者としてシンポジウムを聴き、感じた思いを述べてみたい。

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 それは新自由主義(ネオリベラリズム)の農業・農村への影響について坂本清彦氏(京都大学)が報告した内容について、立川雅司氏(茨城大学)がコメンテーターとして言及した内容に関連する。立川氏のいくつかのコメントの中で、かつては地域においてはいくつかの集落があり、それと企業とは併存あるいは対立していたが、企業活動が大きくなるにつれ、集落そのものが企業(活動)の中に含まれる可能性について述べた点に思い当たる節が多々あった。

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 日本農業経済学会のシンポジウムである以上、議論の焦点は、国内の農家や農村、そしてそこに進出するいわゆる農企業であるが、これらの関係に生じている変化と同様な変化が、農業・農村に限らず、実は国際的なレベルで生じていることに多くの人は気が付いているはずである。
 例えば、ヨーロッパ諸国とEUとの関係がある。それぞれの国を農村における集落とすれば、拡大した集落をEUとみなすことも可能であろう。その意味では集落営農とは共通農業政策と置き換えることができるかもしれない。
 あるいは国家とグローバル企業も同様である。個別国家を集落とすれば、国家の枠組みを超えたグローバル企業は、是非は別として、それぞれの集落、つまり国家をその中に抱合して活動していると言えなくもない。パソコンのOSを握る企業を「〇〇帝国」などというのはそれを象徴的に表しているだけでなく、現実に使用している人々の素直な感想でもある。自動車やハンバーガーなども例外ではない。
 筆者が、冒頭で述べた三角形の相似条件を思い出したのは、地域の農業・農村に関する議論を拝聴していながら、実は自分自身の頭の中では一種の相似形である国家とグローバル企業について考えていたからである。
 高校の世界史では、確定した領土と主権者である国民を持つ、いわゆる国民国家(nation state)が確立したのは30年戦争の講和条約であるウェストファリア条約(1648年)によるものと教えられた記憶がある。

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 国民国家の成立から400年近く経ち、企業活動は当時とは比べものにならない程、範囲が拡大している。
 現代において企業が農業・農村に参入することにより生じる変化とは、国際的な次元で見ると、グローバル企業の活動により国家がどのような影響を受けているかと重なる部分があるのではないか、もしそうであれば、その条件として、冒頭で述べた三角形の相似条件に相当するものは何か...などということをつらつらと考えていた次第である。
 かなり雑ではあるが、慣れた経営者が行う現実の経営手法の中には、平面・立体に限らず、こうした相似(英語ではsimilarityという)状態にある別の現象を観察し、そこで既に発生した変化や示唆を自らの環境に当てはめて現場で応用する、あるいは将来の準備を行うことがある。単純な例だが、米国で流行ったことが、5年後には日本で流行る...なども似たような経験則に基づいた警句であろう。

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 国際社会で生じていることは、「おらが村」で起こっていることの一部を違う形で表していると考えることができるし、逆もまた真である。グローバルとローカルは表裏一体、自分は田舎にいるから国際社会と無関係と思っていてはいけない。

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