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民衆交易、そしてパレスチナへの共感【近藤康男・TPPから見える風景】2023年10月19日

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民衆交易と(株)オルタ-・トレ-ド・ジャパン(以下ATJ)

ATJは、1986年のフィリピン・ネグロス島での飢餓難民支援に取り組んだ日本・ネグロス・キャンペー委(JCNC)の設立、同年の現地輸出会社オルタートレード社の設立を受けて、1989年に設立されマスコバド糖(黒糖)の輸入を始めた。その後"民主交易"としてフィリピンのバランゴンバナナの輸入を手掛け、本格的に民衆交易事業体としての事業を開始することとなった。株主は日本の8つの生協と市民事業体、その他の市民団体・市民から構成される。その後インドネシアの粗放養殖エビ、中南米・東チモール・ラオス・タンザニアなどの有機栽培コーヒー、フランスのゲランドの塩(伝統製法の海水塩)、パレスチナのオリーブオイル、パプアのチョコレート(製造はインドネシア)と取扱品目を広げ、産地も10数ヶ国となった。ATJはアジア・アフリカ・中南米の小規模生産者と日本・韓国の生協等の消費者とを結ぶ連帯の交易関係を"民衆交易"と表現している。

そして、韓国の生協も、ATJとの交流を通じて産地を訪ね、今ではマスコバド糖・オリーブオイル・コーヒーなどの"民衆交易"に取り組むようになっている。現在の取扱品目は承知していないが、日本以上に"国産志向"が強く、取扱品目は慎重に選択しているようだ。

フェアートレード基準・有機認証を必要としない民衆交易

ATJの取り扱っている品物は全て自然栽培・粗放養殖だが、民衆交易では、産地・生産者にフェアートレード基準も有機認証も求めていない。零細生産者の中には文字を読めない生産者もいるし、書類作成管理などには慣れていない人が多い。そして、基準を設けることは、"線引きによる排除"が避けられないからだ。

「互恵のためのアジア民衆基金(APF)」と「民衆交易フォーラム」での出会い

「互恵のためのアジア民衆基金」は、2010年に設立された一般社団法人で、民衆交易の産地・消費地が共同で設立した"小規模融資事業体"だ。産地のパートナ-団体が、産地強化や生産者支援のために取組む投資に対して融資をする機能を持っている。

10月7日に開催された社員総会に続いて翌日に開催された「民衆交易フォーラム」では、各産地からの様々な活動とその広がり、参加団体の広がりが報告された。

当日は7ヶ国・121名(+オンライン47名)の出席者が参加していた。丁度同じテーブルでパレスチナのオリーブオイルの輸入先のPARCからの参加者と一緒になり、意見交換をする機会があった。オリーブオイルは、フランスのNGOを通じて2003年に依頼があり、イスラエルによるラマラ(パレスチナ自治政府所在地)包囲が解けた04年の現地訪問以降に始まった民衆交易商品だ。

生産者・消費者側からの様々な活動や事業の報告が続き、民衆交易を軸に関係団体が強い共感を持って繋がってきていることを実感させられた。

時節柄、耳目を集めたパレスチナについての質疑

しかし、一連の報告が終ると、7日に始まったイスラエルに対するハマスの攻撃とイスラエルの地上侵攻のニュースを伝えられている会場からの質問は、自然にパレスチナからの出席者に集まり、大半の時間がこの問題に集中することとなった。

常に思い出されるパレスチナの風景

ATJ社によるオルーブオイルが始まって以降、パレスチナの団体・産地・生産者を10回以上訪問している。そして、私がいつもパレスチナの風景で思い出す風景が3つある。

一つは、ラマラ付近の分離壁に書かれた有名なバンクシーによる壁画で、風船を掴んで壁を越えようとする少女の絵。もう一つは、強引にイスラエル軍に侵入され、住民が追い出され、荒れ果てたまま残されたヘブロンの街並みの一つ。そして、ラマラ近郊の村・ブリンの山の上にある入植地から下に続く、伐採されたオリーブの木もまばらな坂の中途に一軒だけ孤立して残された弾痕だらけの農家「(中年の奥さん曰く)逃げ出したら全て入植地になってしまう」だ。

やはり強く批判したい、歴史を歪め、自らの違法行為を顧みず、パレスチナ人の存在さえ否定する現イスラエル政権

2000年以上の昔、ローマ帝国の支配によるディアスポラ・民族離散でヨーロッパに散ったユダヤ人。少しは留まった人もいると想像するが、その後はパレスチナ人との衝突は聞かれない。

そしてロシアでのユダヤ人差別、フランスでのドレーフェス事件など、反ユダヤ主義がヨーロッパ社会に根強い中、シオニズム運動が広がった。

そして第一次世界大戦中の1915年マクマホン書簡(アラブ独立を約束)・1916年サイクスピコ条約(英仏分割統治の取り決め)・1917年バルフォア宣言(ユダヤ人の国民的郷土約束)による曖昧な約束、ドイツによる第2次大戦中のホロコストなどを背景に、ユダヤ人によるパレスチナへの移住の波が続くこととなった。

多くの場合、ユダヤ人移住者は先住のパレスチナ人の村を占拠し、パレスチナ人を追い出し、自分達の家を建てて"自分たちの村"を造るようになった。更に、それを加速したのが1948年のイスラエル建国だ。

この過程で多くのパレスチナ難民が生まれ、抵抗運動も繰り返されたが、現在も帰還できない状態が続いている。

私はガザには行ったことはないが、西岸地域のパレスチナ自治区で見たのは、違法な入植地や分離壁・専用道路の建設、入植者による丘の上からの銃撃、オリーブの木の伐採、イスラエル軍による夜中の農家襲撃や家財道具の破壊、NGO事務所の破壊などで、今も違法行為は続いている。

1993年のオスロ合意でイスラエルとパレスチナの西岸地域・ガザとの境界が確定した。ただ、難民の帰還・エルサレムの帰属など合意されない事項も残った。1986年創設のハマスはイスラエルを国として認めていない。

今回のハマスの行為は批判されて仕方ないが、イスラエルによる過剰な反撃が事態の悲惨さを加速させている事実を否定できない。また、イスラエルが、ガザを"天井の無い監獄"と化し、長い間非人道的行為を続けてきた中で、ハマスによる公共政策がかろうじて人々の命と暮らしを支えてきた事実もある。「民間人の犠牲を厭わずハマスを根絶やしにする」というネタニヤフ首相により、更に深刻な人道危機を双方に引き起こすことを懸念せざるを得ない。

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