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【アンパンマンはなぜ生まれたか】 ノンフィクション作家・梯久美子さん 第46回農協人文化賞特別講演2025年7月9日

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第46回農協人文化賞の表彰式で、ノンフィクション作家の梯久美子氏が特別講演を行った。NHK連続テレビ小説「あんぱん」のモデルであるやなせたかし氏の生き様を紐解きながら、梯氏はアンパンマンが伝える「食」と「いのち」の尊さを現代社会に問いかけた。

ノンフィクション作家 梯久美子さん

ノンフィクション作家 梯久美子さん

やなせたかし氏との出会い
漫画家・絵本作家・詩人のやなせたかし(1919~2013)は「アンパンマン」の原作者として名高い。著書『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)を執筆した梯氏は、自身とやなせ氏との出会いから話し始めた。

中学生の時、梯氏はやなせの詩集『愛する歌』に感動して詩を書き始めた。大学生になると、投稿した詩がやなせが編集長を務める雑誌『詩とメルヘン』に掲載される。卒業後は同誌を発行するサンリオに入社し、1年後には同誌編集部に配属され、やなせの下で働くことになった。

「とにかくいい人で、怒る、叱る、大声を出すのを見たことがない」と梯氏は当時を思い出す。退社してフリーランスになり、絵本の著者になってほしいとお願いすると快諾された。「私を助けたくれたんです。アンパンマンが困った人を助けるように」と、梯氏は当時を振り返る。

「戦うヒーロー」へのアンチテーゼ
やなせがアンパンマンを生み出した1960年代末から70年代には、スーパーマン、ウルトラマンをはじめ「武器を持って悪と戦うヒーロー」が活躍し人気を博していた。「先生はそうしたヒーローにちょっと疑問があった。戦うヒーローへのアンチテーゼとしてアンパンマンが生まれた」と梯氏は語った。

やなせは1941年に徴兵され、44年には台湾の向かいの福州に上陸、駐屯。戦争末期、上海に移動したが、食料不足から兵士たちはどんどん痩せ、飢えて命を落とす者もいた。占領下では、日本軍から敵側に「正義が逆転」する様も経験した。しかし、連合軍もまた人を殺めていた現実があった。やなせは原爆や空襲の跡も見ている。

「正義」を探求するなかで
「この世の中に正義はないのか。本当の正義って何だろう。ずっと考え続け、やなせ先生がたどり着いたのが、『目の前にお腹がすいてる人がいたら、自分の食べ物を半分分けてあげる。それが最低限の正義ではないか』ということなんです。人間ってそういうものなんだという気づきが、先生が戦後立ち直る原点ではなかったかと思います」と梯氏は話した。

武器で敵と戦うのではなく、食べ物を分け与える正義という考えは、長い時を経て熟成し、アンパンマンに結実する。

現代に通じる普遍性
それは「同時代的な作品」だったけれども、ガザで住民が飢えている状況を見ると、非常に悲しいけれども普遍性もある。梯氏はそう語り「戦争に普遍性があると私は思いたくない。飢えている子どもに何か食べさせたいという思いの方に普遍性があると、私は思っています」と続けた。

梯さんは講演をこう締め括った。
「アンパンマンは1972年にでき88年にアニメになって、今までずっと人気が途切れなかった。その理由は食といのちの関係、それから人の善意。それが子どもたちにも伝わるからだと思います。戦争は人を殺すことだけれども、食べ物を分けることは命を生かすこと、命を応援することです」

戦後80年の歳月を経て、人類は未だ、戦争と飢えの不安を解消できていない。だからこそ「食べ物を分けるという正義」を描いたやなせのメッセージは、現代社会に深く響く。そして、食に携わる協同組合、農協運動がめざす理念にも通じるものがある。

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