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農政:真の地方創生に英知の結集をーJAの果す役割は甚大である-

第1回「農業の6次産業化」とは何か2016年11月6日

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今村奈良臣・東京大学名誉教授

 いま農業・農村についてさまざまな議論がされ「地方創生」ということが盛んに言われている。しかし、真の意味で地方創生を実現するためには、その地域にしっかりと根を張り、地方の経済の基盤である農業を振興しているJAの果たす役割が非常に重要だといえる。そこで、農業の6次産業化を提唱され、それを推進してこられた今村奈良臣東京大学名誉教授に、改めて農業6次産業化の意味と、地方創生のあるべき姿にご執筆いただき、5回に分けて連載することにした。
今回はその第1回「6次産業化とは何か」。次回以降のテーマは次の通り。
「第2回 農民・農業が主体性をもつこと」。
「第3回 私の地方創生論―5ポリス構想」。
「第4回 5ポリス構想実現のために」。
「第5回 地方からの主体的活動を」。

◆農業の6次産業化をなぜ考えたか

農業の6次産業化をなぜ考えたか 今から25年前、大分県の中山間地域(現、日田市)に立地する大分大山町農協の設立間もない農産物直売所「木の花(このはな)ガルテン」を中心に、そこへ出荷している農家・組合員の生産・加工・販売に情熱を燃やしていた皆さん。そしてこの直売所に農産物などを買いに来る消費者の皆さんの行動や意識を、約一週間にわたって農家に泊めてもらいつぶさに調査した。その中で、「農業の6次産業化」という理論が私の頭の中で定着し生み出されることになった。
 当時、私は東京大学で研究活動を行うとともに学生たちを教えていたが、その傍ら、(財)21世紀村づくり塾(現在は(財)都市農村漁村交流性化機構に改組)の副塾長として全国各地の農民塾、村づくり塾の塾生の指導に熱意を燃やしていた。そうした活動の中で、この「農業の6次産業化」を運動として進めようと、全国の農村にわたって情熱を傾けて呼びかけていった。

◆「農業の6次産業化」とは何か

 「農業の6次産業化」を発想した当初は次のように定式化した。
 『1次産業+2次産業+3次産業=6次産業』
 この意味を改めて述べておくと次のようになる。 近年の農業は、農業生産、食糧の原料生産のみを担当するようにされてきていて、第2次産業的な分野である農産物加工や食品加工は、食料品製造関係の企業にとりこまれ、さらに第3次産業的な分野である農産物の流通や販売、あるいは農業、農村にかかわる情報やサービス、観光などもそのほとんどが卸・小売業や情報サービス業、観光産業に取り込まれてきている。
 これらを農業・農村の分野に取りもどし、所得を増やし、農村での就業、雇用の場を増やそうではないかというのが「農業の6次産業化」である。
 しかし、私は上記の「1+2+3=6」という定式化を3年半後に、
 『1次産業×2次産業×3次産業=6次産業』と改めた。
 このように改めた背景には、次のような理論的・実践的考察を深めたからである。
 第1に、農地や農業が無くなれば、つまり0になれば「0×2×3=0」となり、6次産業の構想は消え失せてしまうことになるということだ。
 当時、バブル経済の後遺症が農村にも深く浸透しており、「土地を売れば金になる」という嘆かわしい風潮が充ちあふれていた。とりわけ、この当時、農協陣営において、土地投機に関わる融資などを契機に、膨大な負債・赤字を出す農協が続出していたことも私の記憶に深く刻み込まれている。
 第2に掛け算にすることによって、農業(1次産業)、加工(2次産業)、販売・情報(3次産業)の各部門の連携を強化し、付加価値や所得を増やし、基本である農業部門の所得を一段と増やそうという提案を含んでいた。
 第3に、掛け算にすることによって、農業部門にもちろん、加工部門あるいは販売・流通部門さらにはグリーンツーリズムなどの観光部門などで新規に就業や雇用の場を拡げ、農村地域における所得の増大を図りつつ、6次産業の拡大再生産の道を切り拓こう、ということを提案したものであった。こうして、「1×2×3=6」という農業6次産業化の理論は、その多彩な実践活動を伴いつつ、全国に広まっていったのである。

◆「6次産業論」の経済原理論による裏付け-ペティの法則について-

 6次産業というキーワードは、農業・農村の活性化をねらいとして、私が先進事例の実態調査を通じて分析・考察する中から考え出し、世の中へ提唱したものであるが、「6次産業の理論的根拠は何かあるのか?」という質問を受けることがある。
 実にもっともな質問であるので、理論的背景をしっかり押さえておいた方が、仕事や活動のエネルギーの源泉にもなるので、この質問に答えておきたい。
 6次産業というのは決して単なる言葉遊びや語呂合わせではない。
 そこで「ペティの法則」について論及しておきたい。
 かつて、世界的・歴史的に著名な経済学者であるコーリン・クラークは「ペティの法則」を説いた。
 その主著である『経済進歩の諸条件』(大川一司他訳"The Conditions of Economic Progress"1940)において、コーリン・クラークは、世界各国の国民所得水準の比較研究を通じて、国民所得の増大とその諸条件を明らかにしようとした。
 彼はこの中で、産業を第1次、第2次、第3次の三部門に分け、
(1)ー国の所得が第1次産業から第2次産業へ、さらに第2次産業から第3次産業へと増大していく。
(2)ー国の就業人口も同様に第1次産業から第2次産業へ、さらに第2次産業から第3次産業へと増大していく。
(3)その結果、第1次産業と第2次産業、第3次産業との間に所得格差が拡大していく。ということを明らかにし、それが経済的進歩であるということを提起した。彼によって、この経済法則は「ペティの法則」と名づけられたのである。なぜ「ペティの法則」と名づけられたのか。
 ペティとはいうまでもなくウィリアム・ペティ(William Petty 1623-1687)のことで、言うまでもなく経済学の創設者とされるアダム・スミスに先行する経済学の始祖であると経済学説史では位置づけられている。ペティは「土地が富の母であるように、労働は富の父であり、その能動的要素である」という思想のもとに労働価値説を初めて提唱するとともに、経済的諸現象について数量的観察と統計的分析を初めて行った偉大な経済学者であった。そのペティに敬意をはらいコーリン・クラークは「ペティの法則」と名づけたのである。

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