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コラム:グローバルとローカル:世界は今

【三石誠司 宮城大学教授】

2017.05.12 
(030)努力する凡人に必要な時間一覧へ

 いわゆる頭の良さというものが「回転の速さ」とすれば、それは脳内の神経回路を情報という名の微弱電流が縦横無尽に駆け巡り、よく使われるルート以外にも様々なバイパスを備えていることのようだ。確率的には何万人に1人か何百万人に1人かは不明であるが、生まれながらにそのような遺伝形質を受け継いだ人は必ずいるはずであり、そうでなくても、生育環境によりかなり早い時期から特定の能力を鍛えられた人もいるはずだ。
 このような人は一種の天才なのであろうが、筆者も含め、世の中の多くは凡人である。基本的に世の中は凡人が動かし、社会システムは凡人に適合するように出来ている。もしかしたらシステムそのものは天才が考え出したのかもしれないが、日々のオペレーションは凡人が努力を積み重ねて熟練し、その上で行われているものが大半である。

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 ところが、多くの人は天才に憧れる。スポーツや芸術の分野であれば、その才能は小さな子供の時から発現し、それを徹底的に鍛えることで開花させることも可能であろう。我々凡人は開花した後の姿しか見ないため、そこに至る天才の努力を知らないことが多い。
 才能のある人間が、子供の頃から10年以上徹底的にある技術や機能を鍛え上げれば、それなりのものになる。なまじ分別がついた大人が同じことを10年以上続けてもほとんどはモノにならない。多くの中高年の趣味は、あくまでも趣味のレベルだから良い。
 言い換えれば、どのような分野であれ、プロになるためには、それなりの期間、集中した訓練が必要だということだが、人はそれを忘れていることが多い。

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 最近は、大学でもプレゼンの上手下手を競うような催しが行われる。特定のテーマについて、5分位で行うものだが、学生はどの位、事前練習をするのだろうか。最低でも50回位はやらないと、自分のモノとして言葉が出ないと思うのは学生時代の試験で似たような経験があるからかもしれない。
 当時の発表は2分であったが、習いたての外国語スピーチ2分をものにするために、時間さえあれば口に出し、何回練習したか正直覚えていない。それでも徹底的に考え抜いたそのスピーチの冒頭部分を40年近くたった現在でも口に出せるのは、もはや海馬から大脳新皮質にスピーチデータがしっかりと蓄えられたということであろう。画面で原稿を読むことができるパソコンなど全く無かった時代の話である。

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 さて、野球で言えば、どのような名選手も、キャッチボールや素振りという基礎練習を毎日行うという事実、これを冷徹に見つめる必要がある。例えば、大学教員の場合、週に1コマ1.5時間の講義を7コマ担当し、それを15回、年間30回実施すれば、単純計算で1年間に315時間は人前で話すことになる。人前で話すのが苦手だなどと言っているヒマはない。それは仕事の一部だからだ。
 私自身は12年目であるため、少なくとも11年間と考えれば過去の講義時間は約3500時間である。この間、外部での講演や研修講師などの総合計をざっと300~400時間と見ると、約4000時間は人前で話したことになる。
 どのような外国語でも3000~4000時間話せば、それなりに使いこなせるようにはなるであろう。これは1日5時間として、約2年間に相当する。ネイティブとそれなりに渡り合うためには、1万時間と聞いたことがあるが、妥当なところではないかと思う。
 大学教員として、私の講義はようやく何とか聞ける段階に入ってきたのかもしれない。研修生のような講義を聞いて頂いた方々には本当に申し訳ないと思うが、40代半ばに転職してこの世界に来た人間を支えてくれたのはまさに下手な講義を我慢して聞いてくれた学生や受講生の方達である。残念ながら、名講義の域に達するにはもはや本人の努力や才能以上に時間が足りない。過去10年と同じペースで残り時間を定年まで頑張ってもまだ合計は8000時間程度だが、それも仕方がないと割り切っている。

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 実は農業も同じではないかと思う。初めての人間が1年1作というサイクルが長い作業をやり、自分でそれなりに見極めが出来るようになるためには一定の時間がかかる。その間を支える仕組み、食と農の将来のために、これをもう一度考え直す必要がある。

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