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コラム:グローバルとローカル:世界は今

【三石誠司 宮城大学教授】

2016.11.04 
(005)「すぐ役に立つこと」と「役に立つようにすること」一覧へ

 環境変化が早い現代社会では、好き嫌いにかかわらず、「すぐ役に立つこと」が求められる。現場では日々の売上増加につながることが求められ、毎月の業績に一喜一憂する。研究者は通常1年、長くても2~3年で目に見える明確な成果が出る研究が求められる。そうでなければ、そもそも研究資金の多くが現実問題として獲得できない。そして、仮に3年間の研究資金を取得したとしても、一息つけるのは最初の数か月位であり、すぐに初年度の「実績」あるいは進捗状況の詳細な報告が求められる。誰もが「すぐ役に立つこと」に追われている。

 ところで、筆者の大学生時代の専門はポルトガル語(ポルトガル語学)である。
 古い話になるが、1980年代の学生時代に週1度、当時のリオで発行されていた新聞を読む授業があった。同じポルトガル語でも他の授業で使用するものとは語彙や文体が大きく異なり、毎週の予習に四苦八苦した覚えがある。それでもナマのブラジルの動きを感じ取る非常に貴重な機会であった。旧友の家族がブラジル大使館勤務と聞けば、頼み込んで紹介してもらい、不要・廃棄するブラジルの新聞などを入手して、読みこんだこともある。
 サッカーも今ほど日本中で人気があったわけでもなく、そもそも日本にいるブラジル人やポルトガル人の絶対数が圧倒的に少なく、日常生活の中でポルトガル語に接する機会はほぼ皆無であった。だからこそ、大学以外でポルトガル語に接する機会があれば何を差し置いても出かけていった時期があったし、それだけ飢えていたのだと思う。
 法務省の統計によると、日本国内のブラジル人数は1980年代以降着実に増加し、ピーク時の2007年には約32万人にまで到達したが、2008年以降は急速に減少し(恐らくリーマン・ショック以降の経済状況の影響か)、2015年末時点の数字では約17万人、1990年代半ばの水準になっている。

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 話を戻すと、自分の社会人の初期、学生時代に学んだポルトガル語が実際の仕事で「役にたった」ことはほぼ無い。むしろ、就職して最初に決めたことは、当面「ポルトガル語を封印」したことである。その上で、実際の仕事で使う英語の力を実践に耐えられるものにすることの方が、目の前の仕事上ははるかに「役にたった」からである。
 学生時代には国際関係専修というコースに属しており、3年次は国際法ゼミにいたが、4年次で語学・文学専修のポルトガル語学ゼミに転向した。現在は知らないが、当時はこうしたことが可能であった。恩師である池上岑夫先生との1対1の卒論ゼミでは、日本語の古文もよくわからないのに16世紀のポルトガル語の文献を読み、ある時期などは毎週異なる言語の論文を渡され、辞書を片手に必死に内容を把握しようともがいた記憶がある。大変申し訳ないことであるが、就職後、ポルトガル語を封印したときに、池上先生から教えて頂いた多くの貴重な知識にも「良き思い出」として鍵をかけた。当時の目の前の仕事に「役に立たない」と感じたからである。学生時代は学生時代、仕事は仕事という近視眼的な割り切りの結果でもある。

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 その後、1992年に米国留学し多くの知己を得たが、ある友人と本当に親しくなったきっかけは、夕食をともにした際に、数時間お互いに論じ合った大航海時代のポルトガル人宣教師の活動やポルトガルで最も有名な詩の言語学的な解釈(実はこれが私の学部の卒論であり、大部の詩そのものは池上先生ご自身が日本語に翻訳されている)である。
 当時、日本型経営は世界の注目を浴びており、多くの外国人が日本に注目した。その友人も最初は同様の観点から近づいてきたのかもしれないが、本当に親しくなれた一番の理由は、経営や戦略、農業や食料問題という現在の自分のライフワークの世界ではなく、まさに学生時代に身につけた知識を通じてであった。

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 それ以降、穀物取引の世界でも封印していた様々な知識を活用したことは言うまでもない。
 「役に立たない」と思っていた多くの事を自分流にアレンジし「役に立つようにする」ことは非常に面白かったし刺激的であった。
 米国から帰国後に当時の巣鴨駅近くのフルーツ・パーラーで恩師にその話をしたところ、「毎年同じような話を何十人にもしてきているが、僕の与えた知識を穀物取引に使うとは面白い」「うまく役に立つようにしたものだが、それでこそよい」と笑ってコメントして頂いた。
 「すぐ役に立つこと」を学ぶ場があっても良いが、その寿命は短い。学んだことを、個々人が直面した環境に応じて「役に立つようにすること」の方が、はるかに価値があり応用範囲も広いということを、卒業して10年以上たってから改めて今は亡き恩師に教えて頂いた瞬間である。

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