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【酒井惇一・昔の農村・今の世の中】第88回 わら縄、縄綯い2020年2月20日

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【酒井惇一・東北大学名誉教授】

 『縄』、日本人であるかぎりみんな知っているはずである。学校の体育の時間には「縄跳び」をし、地理の時間には「沖縄県」を習い、歴史の時間には「縄文式」を教わり、国語の時間には常用漢字としての「縄」を覚えさせられるはずだからだ。そしてどんな形状をしているのか、どういう用途で使うものなのかも知っている。

昔の農村今の世の中サムネイル・本文 でも、縄と聞いてわら縄を思い浮かべる人は少なくなっているのではなかろうか。大都会の若者の中にはわら縄を見たことも触ったこともない人もいるのではなかろうか。縄跳び用や荷造り用の縄は見たことがあろうが、最近のそれはほとんど化学繊維をよじってつくられているからだ。それどころかその縄跳び用や荷造り用の化学繊維も縄状でなく紐状につくられている場合が多くなっている。

 となると、縄をまともに見たことがない、ましてやわら縄など見たこともないという若者が増えているはずである。と思ったのだが、合格祈願やパワースポットめぐりなどで神社の「しめ縄」を見たことがあるはずだ。でも、しめ縄に注目し、ましてやあれが稲わらでできていると認識している若者はどれだけいるだろう。

 稲わらに囲まれて暮らし、遊びから仕事までわら縄にお世話になった私たち世代、その子どもの頃には想像もしなかった世の中になってしまった。

 私の子どもの頃、雪が降って田畑での仕事ができなくなると、農家の家族みんな、小屋のなかで、あるいは土間で、縄綯い(なわない)を中心とするわら仕事をしたものだった。

 私の生家だが、小屋にむしろを敷き、そこに座ってまずわら打ちをする。太い木の幹を輪切りにした台(何と呼んでいたか忘れてしまった)にわら束をのせ、それを少しずつねじりながら、わらが柔らかくしなやかになるまで木槌でたたくのである。子どものころは力がないので、それは父か祖父にやってもらったが。

 そのわらを綯う、これを口で説明するのはきわめて難しい。でもやって見よう。

 わらを2本(縄の太さにより本数が違うが)ずつ両手に取り、その一番下(根元の方)を縛ってそこを足の親指にかける。そのかけた稲わらの左右の2本の下の方をそれぞれ左手と右手でつかみ、左手のひらを広げ、そこに乗っている稲わらの下の方に右手に持っている稲わらをおき、右手の手のひらをひろげて上の方に摺り合わせていく。摺り合わせるとそれぞれのわらが捻られる、同時に右手の手のひらは上の方に動くが、その右の手のひらで最初つかんでいたわらを放し、同時に当初左手の手のひらがもっいた稲わらをつかむ、そしてそして右手はそのわらを握り取って左手の手のひらの下の方にまた移り、また前と同じように両手の手のひらを重ねて下から上のに摺り合わせる。これを何度も繰り返すと徐々に縄ができていく。だが、このような私の説明ではおわかりいただけないだろう(もしかすると説明のどこかが間違っているかもしれない)、パソコンで縄綯いしている映像を検索して、見ていただきたい。

 私事になるが、もう何十年縄綯いをやっていないだろうか。でも、今やってみろと稲わらを差し出されたら、手がひとりでに無意識のうちに動き、綯えると思うのだが。できあがりの上手下手は別にして。

 なお、用途によって縄の太さや長さ、精粗さ、それに対応してわらの本数やその質をいろいろ変える。もっとも細くてきれいで丈夫なのはわらから芯のミゴを抜き取って綯(な)ったミゴ縄だった。


 このように稲わらを縄に綯うと、稲わらそれ自体よりも丈夫になり、長持ちもする。また、太くも細くもでき、しかも長くできる。となると、括り、結わえ、束ね、吊す対象、利用の範囲が広がる。そればかりではない、縄を長く伸ばせば計測や線引き等々もできる。耕したり、畝を立てたり、苗を植えたりするときに曲がったりしないようにするための目印として縄を張るなどはその典型だ(前に述べた縄張り田植えのときの縄がその一例だ)。また縄は俵やむしろなどの他のわら工品の素材としても不可欠である(このことについては次回述べたい)。

 このように縄は農業生産、農産物の流通にはもちろん農家の生活にも必要不可欠のものだった。

 当然のことながら、このような便利なわら縄は林業、漁業、商工業、都市住民の生活にも欠かせないものだった。麻縄(麻糸を撚って作った縄)もあり、わら縄よりもずっと強くて丈夫、長持ちもしたが、麻は栽培作物で稲わらは副産物、当然麻縄は高価、だから麻縄は大きな重い物の結束や梱包、縛り付けなどに用いられ、日常はわら縄が用いられた。

 今のように化学繊維のひもがない時代、都市、農山漁村を問わず、生産、生活両面でわら縄が使われており、なじみ深いものだった。子どもたちの遊びの縄跳びもそうしたわら縄のきれはしをもらってやったものだった。縄は、稲わらは、子どもにもなじみ深いものだった。

 こうしたわら縄の需要に応えるべく、農家は農閑期の冬期間に縄綯いに家族ぐるみで従事した。たまにだが、夜なべ仕事になって、寒い小屋から引き上げ、家の土間のいろりの近くにむしろを敷いて父や祖父が縄綯いをすることもあった。薄暗い電灯の光がやっと届く土間から、トントンとわらを打つ音がする。しばらくしてカシャカシャと縄を綯う音が聞こえてくる。これが繰り返される。いくらいろりの近くとはいえ土間は寒いのだが、小屋よりは暖かいだろうと思うと、また父や祖父が近くにいると思うと、幼い頃の私は何となく安心で、縄綯いの音を聞きながら寝床に入ったものだった。

 

そのほか、本コラムの記事一覧は下記リンクよりご覧下さい。

酒井惇一(東北大学名誉教授)のコラム【昔の農村・今の世の中】

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